2.プライドは空腹に勝てない
リサの生活には、一切の無駄がなかった。
情も、幻想も、そして元王子への遠慮も。
「はい、お粥」
差し出された器の中身は、米粒が数えられるほどに少ない。
湯気よりも先に、残酷なまでの現実が立ち昇っていた。
「……これは餌か?」
「病人食。文句があるなら自給自足どうぞ」
アルフレート・フォン・ベルシュタインは、震える手で器を睨みつけた。
かつては王宮の料理長が三日かけて仕上げた至高の料理しか口にしなかった男である。
「俺に、下民の食事を……泥を啜れと言うのか……!」
「嫌なら食べなきゃいいじゃない」
リサは事もなげに肩をすくめる。
「その代わり、体力が落ちて野垂れ死んでも責任は取らないわ。死ぬのも、あんたの自由よ」
「……っ」
完膚なきまでの正論。そこには脅しもなければ、慰めもない。
ただの「事実」が転がっているだけだ。
結局、アルフレートは屈辱に唇を噛みながら、粥を啜った。
味はほとんどしなかった。だが――「生きている」という重苦しい実感だけが、胃の底に落ちてきた。
「食べ終わったなら、皿を洗って」
「は?」
「そこに水汲み場があるでしょ。割ったら次から飯抜きよ」
「ふざけるな! 俺を誰だと思っている、俺は王子だぞ!」
「“元”でしょ」
リサは縫い物をしながら、視線すら上げずに言い放つ。
「今のあんたは、うちの居候その一。役職は『働かないと追い出される人』よ」
「……ぐっ」
言い返そうとして、喉が詰まった。
追い出される――その先にあるのは、あの冷たい路地裏だ。
アルフレートは無言で立ち上がり、ぎこちない手つきで皿を洗い始めた。
水は氷のように冷たく、ひび割れた指先に突き刺さる。
その丸まった背中を、リサは静かに見つめた。
汚れに隠れているが、彼の体は逃亡中に受けた暴行でまだ治りきっていない。
時折、痛みに顔を歪める動作を、リサは見逃さなかった。
(……ほんと、手のかかる男)
その夜、リサは無言で彼の傷に薬を塗り、破れた服を手早く繕った。
優しい言葉はない。
労わる素振りもない。
ただ、必要だからやる。それだけだ。
「……なぜだ」
暗い納屋に、アルフレートの掠れた声が響いた。
「俺を笑わない。蔑まない。……かといって、敬いもしない。お前は、俺に何を求めている?」
「必要ないから」
針を止めずに、リサは答える。
「同情も、復讐も、今は役に立たないでしょ。生き延びるのには」
そして、ふいにつけ足した。
「あんた、顔はいいんだから。働けばそれなりに価値が出るわよ」
その瞬間、アルフレートの胸の奥が、ちくりと痛んだ。
価値。
それは、王子だった頃には疑うことすら許されなかった、当然の権利だったもの。
だが今、初めて「条件付き」で与えられた評価だった。
崇拝でも、侮蔑でもない。ただの、生存のための事実としての価値。
「……妙な女だな、お前は」
「よく言われるわ」
リサはようやく彼を見て、不敵に、にやりと笑った。
「だから生き残ってるのよ。無駄な感情を省いてね」
アルフレートは、その笑顔から目を逸らせなかった。
この女のそばにいれば、自分は“王子”ではいられない。
だが同時に――“何者でもない自分”として、生き直せる気がしてしまった。
その救いのような感覚が、後に自分を狂わせ、
この少女への執着という名の地獄に落ちる引き金になるとも知らずに。




