3話
休日の午前。
美咲は湊に頼み、湊が茶道を通して知っている和菓子屋へ見学に行くことになった。
路地裏に佇むその店は、木の格子戸と白い暖簾が静かに揺れていた。
戸をくぐると、餡の甘い香りと白玉粉の蒸気が混じり合い、張り詰めた空気が漂う。
蒸し器から立ち上る「ことこと」という音、木べらが餡をすくう「すっ」という音、練り切りを切り分ける「しゅっ」という鋭い音、指先が形を整える「かすかな摩擦音」が響き、店内は静謐な舞台のようだった。
湊は慣れた様子で「こんにちは」と声をかける。
茶道の稽古で何度も顔を合わせているらしく、職人は軽く頷いて作業を続けた。
美咲はその光景に息を呑んだ。
餡が指先でわずかな力を受け、花びらが生まれ、葉脈が刻まれる。
淡い桃色から濃い紅へと色彩が移り変わり、光沢のある表面が蛍光灯を反射する。
その集中力と気迫に、背筋が自然に伸びた。
「…すごい」
美咲の声は自然に漏れた。
湊は横で静かに言った。
「和菓子は季節を映すもの。茶席では、この一瞬を味わうんだ」
美咲は頷きながら、職人の手元から目を離せなかった。
雑に見える自分の調理とはまるで違う、研ぎ澄まされた世界。
「私も、もっと丁寧に作らなきゃ…」と心の中で呟く。
劣等感と同時に、希望が芽生える。
職人の無言の集中は、刀を研ぐ侍のように鋭く、空気を切り裂いていた。
盆に置かれた練り切りは淡い桃色の花。
美咲は呼吸を忘れるほどの緊張に包まれ、その美しさに圧倒され、ただ黙って見つめるしかなかった。
「インスタに載せたら絶対バズる…」と一瞬思ったが、同時に「軽い気持ちで扱えない」と感じた。
湊が微笑みながら言う。
「茶席では写真なんて撮らないよ。心に残すんだ」
美咲は冗談めかして「じゃあ心に保存するしかないね」と返し、二人は小さく笑った。
やがて職人が差し出した練り切りを口にすると、舌に広がる上品な甘さが余韻を残した。
柔らかな食感と抹茶のほのかな香りが重なり、心まで静まるようだった。
店を出ると、路地にまだ和菓子の香りが残っていた。
桜の花びらが風に舞い、二人の肩にひらりと落ちる。
美咲は「豪快と繊細が一つに重なる瞬間を、自分も作りたい」と心に誓い、湊は「次は茶席で一緒に味わおう」と未来への約束を置いた。
その瞬間は、豪快と繊細を結ぶ橋のように見え、二人のこれからを象徴するように静かに輝いていた。




