第98話 殉職扱いにしてやれたのにな
「では、安全性を示す資料を提出してもらおう。こちらで検討した上で、本人とも話を——」
乾いた発砲音が、空気を引き裂いた。
准尉が懐から拳銃を抜き、空へ向けて一発、撃ったのだ。
その場の全員がびくりと身をすくめる。
「時間がないと言ったはずだ。それに——これは交渉ではない。命令だ」
……ああ。ここまでだな。
こいつらは、もう国民を守る自衛隊じゃない。
ただ武器を持っているだけの野盗だ。
「悪いが、お前たちに茜は預けられない」
「晴翔さん……?」
少し離れた位置から一歩踏み出すと、全員の視線が一斉に俺へ向いた。
背中に隠れていた茜が、不安そうにそっと服の裾をつかむ。
「……いたぞ。確保しろ」
准尉の声と同時に、Σが動いた。
ヘッドギアが赤く明滅する。
重い足音が、地面を叩くたびに腹へ響いた。
一直線に、こっちへ来る。
門のそばにいた連中も、慌てて銃を構えた。
「やめておいた方がいい。抵抗すれば障害と見なされる。——排除、だ」
その一言で、全員の動きが止まる。
銃口は上がったまま。だが、引き金を引く覚悟まではない。
自分たちの居場所で暴れられるのは御免だが、少女一人のために命を張るかと言われると……。そんな顔だった。
「は、晴翔さん。私……」
震えた声。
けれど、その奥には既に決意が混じっている。
分かってる。
自分ひとりが出ていけば済むなら……そう言うつもりなんだろう。
そんなの、認められるわけがない。
ここには大勢の目がある。
相手は武装した元自衛隊。しかもΣとかいうオマケつきだ。
異世界の力を使えば、もう誤魔化しは利かない。
正体が露見した後、どうなるかも分からない。
少なくとも、ここまで積み上げてきたものは全部吹き飛ぶ。
それでも……誓っただろう。
俺はそっと振り返り、背後の茜を見る。
──この子を護ると。
「なあ、茜。少しだけ聞いてくれ」
「は、はい……」
「世界には、人間がまだ知らないことが山ほどある。たとえば、ここじゃない別の世界——異世界なんてものがあっても、おかしくない。そこから帰ってきた人間がいたって、不思議じゃない」
ひとつ息を吸う。
「だから、何が起きても——怖がらないでくれ」
覚悟を決めて、一歩前へ出る。
——だが、その前に。
大佐が動いた。
すっと、前へ出る。
迫り来るΣの進路を塞ぐように、その正面に立った。
「長谷川二佐、佐藤准尉。これはどういう事ですか」
静かな声だった。
だが、よく通った声。
「自衛隊が民間人に兵器を向けるなど、正気とは思えませんが」
准尉が片手を上げる。
それだけでΣの動きがぴたりと止まった。
「……野田三曹。生きていたのか。君は貴重な人材だ。戻ってきたまえ」
「人材、じゃなくて材料の間違いでしょ」
大佐は鼻で笑って答えた。
「……気づいていたか」
「……俺は元から、それほど立派な隊員じゃありませんでした。出世もしなかった。けれど——さすがに、民間人へ銃を向ける側まで落ちる気はありません」
そこで一度、肩をすくめる。
「隊も、終わりですね」
「……はぁ」
准尉は呆れたように息を吐いた。
「この世界に、もう民間も隊もない。あるのは、大義だけだ」
「そうか。なら——俺は今この場で辞めさせてもらう」
次の瞬間。
准尉が、再び手を上げた。
Σの丸太みたいな腕が、空気を裂いて振り下ろされる。
鈍い破砕音。
土煙が一気に噴き上がった。
「残念だ」
煙の向こうで、背後に控えていた二佐が冷たく言う。
「辞めていなければ、殉職扱いにしてやれたのにな」
誰かが悲鳴を上げた。




