第97話 これは命令だ
「では、車はそちらの奥から順に停めて……」
総理が男に話しかけるが、それを待たずにトラックが次々と門から入ってくる。
校庭と前庭に、あっという間に十台が並んだ。
止め方に統一感はない。間隔もばらついている。だが、どの車も無駄にエンジンを吹かさない。音だけがやけに静かだった。
呆気に取られていると、車から一斉に隊員たちが降りてきた。
皆——手に銃を持っている。
その動きは素早く無駄が無い。
構えも、視線も、すでに外ではなく“こちら”を警戒している。
人々のざわめきが、歓声から別の何かに変わった。
「おい、こちらの指示には従って貰いたい。ここの皆も不安がる」
総理が鋭く声をかける。
しかし、最初に降りてきた男は無言のまま。
深く被った帽子で、目元がよく見えない。
応じる気配すらない。ただ一度、校舎の窓と、門の外と、群衆の密度を順に見ただけだった。
やがて、先頭のトラックのドアが開いた。
降りてきたのは二人だ。
一人は五十がらみの男。もう一人は少し年若い。
年嵩の男は、手すりに軽く触れてから地面に降りた。着地の瞬間、わずかに体重を逃がす。癖のような動きだった。
顔色はくすんでいる。制服も擦れている。だが、その視線だけは濁っていなかった。
周囲を見た——というより、睨みを効かせる。
その一瞬で、何人かの隊員の動きがわずかに変わる。誰に言われるでもなく、姿勢を正した。
遅れて降りた若い男は、無駄のない動きで足を揃える。
だが、その制服だけが場違いに整っていた。新しい階級章が、不自然に浮いて見える。
年上の男が、総理の前に立つと徐に口を開いた。
「佐藤だ。隊で准尉という階級をしている」
若い方の男も続く。
「長谷川だ。同じく二佐」
それだけだった。目的の詳細も、何も付け加えない。
総理が二人の目を静かに見返す。
「……物資と医薬品を届けに来た、と聞いたが」
二人は何も答えない。
ただ、周囲の人間の配置と出入口を見ている。
「では、その銃は何のためだ」
わずかな間があった。
誰も動かない。隊員たちも、住民たちも、その一瞬だけ呼吸を止めたようになる。
やがて、准尉を名乗った男が表情一つ動かさず、低く言い放った。
「……秋山 茜はどこだ」
乾いた声だった。
それだけで十分だ。
茜を名指しの時点で、目的を隠す気がない。
「……先にこちらの質問に答えてもらえないか」
総理が言う。
ほんのわずかの間。
「我々は交渉に来たのではない」
今度は二佐の男が、静かに言った。
「これは命令だ。もう一度言う。秋山 茜を引き渡したまえ」
声は荒げない。だが、言葉だけが一切の余地を残していなかった。
それを聞いて、門番たちが銃を構えた。
遅れて、向こうも構える。
……違う。
同じ“構える”でも、まるで別物だ。
こちらは皆引き金に指をかけるのをためらっている。当然だ、相手は生きた人間。ゾンビを撃つのとは訳が違う。
対して向こうは、いつでも「撃てる位置」に指がある。
数も、装備も、練度も。
勝負にならない。
だが、ここで撃てば——向こうも無傷とはいかないだろう。なにより、大勢を巻き込む可能性がある。
「……仕方がない。あまり時間も無いのでね」
准尉が、ため息のように言って、手を上げた。
その仕草は軽い。
次の瞬間。
トラックの荷台が、内側から叩かれたように揺れた。
金属が軋む音と、何かが擦れる音が混じる。
固定具が外される音。
重い何かが、ゆっくりと動き出す気配。
そして——
荷台の影から、それが降りてきた。
ゴーグルのついたマスク。黒いコート。
トラックの背丈ほどある巨体。
Σシリーズ。
人々の間に、悲鳴に近いざわめきが走った。
誰かが一歩下がる。
それにつられて、さらに後ろへと波が広がる。
「無駄な抵抗はやめたまえ」
二佐の声が、追い討ちをかける。
「君たちも貴重な人類の生き残りだ。悪いようにはしない」
「彼女を、どうするつもりだ」
総理の問いに、今度は准尉がこちらを見た。
澤野奥で鋭く光る目と視線が合う。
「彼女の身体には、ゾンビに対抗する術が隠されている」
淡々とした口調だった。
「解析し、増幅装置と組み合わせれば、感染者の活動を広域で停止させられるかもしれない」
一拍。
その間に、周りに居た人々にざわめきが広がる。
「彼女は、世界を救う鍵だ」
説明自体は、さっき蒼から聞いた内容とほぼ同じだ。
けれど——二人の声にはどこか、温度がない。
「一つ確認だが」
「なんだ」
「彼女に、危険性はないんだろうな」
わずかな沈黙。
ほんの一瞬。だが、確かに“空白”があった。
「——あぁ」
短い返答。たったそれだけ。
──嘘だ。目が、わずかに逸れた。
呼吸の間が、ほんのわずかに遅れた。
それだけで十分だった。
こいつらに、茜を渡す訳にはいかない。




