第94話 よかった
「準備はいいか?」
皆に声をかける。
「オッケー!」
柚葉の元気な声が真っ先に返ってきた。お菓子でパンパンに膨らんだリュックを担いで、既にスタンバイ万全の様子だ。
能彩は何に使うか知らないが、色々な機材を詰め込んだ鞄を肩にかけてフラフラしている。
フェリは柚葉に飲み物を詰めてもらったらしい子供用の水筒を斜めに掛けて、満足そうに揺らしていた。
「あの、晴翔さん」
茜が遠慮がちに声をかけてくる。
「どうした? 忘れ物か?」
「いえ……実は」
少し言いにくそうな様子だ。視線が微妙に泳いでいる。
「弓を、無くしてしまって」
……あぁ、エルヴンボウか。そういえばこないだから見ていないな。
「ゾンビに襲われたときに落としたみたいで——ごめんなさい!」
深く頭を下げる。申し訳なさそうに肩まで縮こまっていた。
「気にするな。元々茜にあげたつもりだったんだから。そのうち何か代わりになる武器を見つければいい」
茜がそっと顔を上げる。まだ少し申し訳なさそうだったが、小さく頷いた。
(しかし、これはラッキーだったかもしれない)
今回は、厄介なことに大佐が一緒だ。
エルヴンボウの威力を見られたら、さすがに怪しまれる。百発百中もさることながら、あの貫通力は普通の弓じゃ出せない。下手に言い訳を考えるより楽だったろう。
とはいえ、俺のバットも今日はより慎重なスイングが必要だ。油断せずに行こう。
◇ ◇ ◇
道中は順調だった。
ここ数日の探索で周囲の地理はだいたい把握している。それに俺よりも索敵能力の高いフェリがいる。
フェリが言う通りに行けば、まず危険はない。
途中、数体のゾンビに遭遇した。
バットのスイングを意識的に絞る。力を込めすぎず、かといって頼りなくもなく——それっぽい塩梅で仕留める。地味に神経を使う作業だ。
肝心の大佐は、何か神妙な顔つきで列の一番後ろからこちらを見ていた。じっと、観察するように。
「あんたもサボってないで戦ったら!? ビビってんの?」
「うるさい。いざとなったらやる」
柚葉が詰め寄っても濁すだけだ。
サボっているというより——何かに戸惑っているようにも見えた。
ゾンビなんて今まで何体も倒してきただろうし、今更ビビるとは思えない。腰にナイフを下げてるようだが、抜こうともしない。
……まぁ、今は考えないでおこう。
何はともあれ、無事に学校の外壁が見えてきた。
◇ ◇ ◇
「おい、あれ——晴翔さん!? おい! 晴翔さんが帰ってきたぞ! 総理を呼べ!」
門番がこちらに気づいた途端、一気に騒がしくなる。声が連鎖して、中の方まで伝わっていくのが分かった。
ややあって、門が重い音を立てて開かれる。
中に入ると、見知った顔がちらほら集まってきていた。案内されながら前庭を歩く。
校庭の隅には立派な畑。あのじいさんが作ったんだな。そういえばあの子は元気だろうか。
たった数日しか離れてないはずなのに、何だか随分懐かしく感じる。
後ろでは大佐が住民に小声で詰められているのが聞こえた。
「何でお前まで戻ってきた」
「……」
黙ってやり過ごしているが。
まぁ、身から出た錆というやつだ。同情はしない。
玄関まで近づいたところで、見慣れた顔が見えた。
総理。
前よりは少し顔色が良くなったか。
そして——その隣に、見知らぬ青年が一人、立っていた。
ドサリ、と隣で音がした。
茜が荷物を落としたようだ。
「茜? 大丈夫か——」
声をかけるよりも早く、駆け出して行く。
──あぁ、そういうことか。
「……お兄ちゃん!」
茜の声が、わずかに震えていた。普段の落ち着いた声とは全然違う。年相応の、十七歳の声だ。
青年が、一歩踏み出した。
「茜」
それだけだった。
ただその一言に、離れ離れだった時間と、心配でたまらなかった気持ち、言葉にならない何かが、全部詰まっていた。
茜が胸に飛び込む。兄は何も言わず、ただ強く抱き締めた。
しばらく、誰も声を出さなかった。
前庭を、風が静かに通り抜けていく。
柚葉が隣でそっと目を拭うのが見えた。能彩も気づけばこっそり目元を押さえている。
フェリは首を傾けて、じっとその様子を見ていた。
(よかった)
心の中で、ただそう思った。




