第93話 お前らは……人間なのか?
「……おい、聞いてるのか」
「あ、あぁ」
大佐に睨まれて、顔をそちらに戻す。
管理室のテーブルに腰かけて、入れられたお茶を静かに飲んでいるロゼリア。その姿が気になって、大佐の話が全く頭に入ってこなかった。
「そ、その。Re-Memory Protocolに、想起記憶定着療法……何だか、話が壮大過ぎて、ついていけないというか」
能彩が声を上げると、大佐がそっちを見た。
慌てて目を逸らす能彩。睨まれたと思ったのか。いや、そいつはいつもしかめ面だ。
「……茜、大丈夫?」
柚葉が茜の肩にそっと触れる。
「う、うん。両親がやってた研究は、何となく知ってたから」
茜は思いの外、落ち着いていた。
「それで、秋山茜。──お前には伝えておかなければならない事がある」
大佐が、勿体ぶるように茜に向き直った。
「な、何ですか?」
身構える茜。大佐も少し構えるように口を開いた。
「いいか、よく聞け。お前は——ゾンビに感染しない体質だ」
……。
「へぇ。やっぱそうなんだ。すごいね」
柚葉が呑気な声を漏らす。
「ほ、本当だったんですね」
「さすが晴翔さんの情報です」
能彩と茜もうんうんと頷く。
(は、はぁ!? 何で大佐がその事をっ!?)
もちろん驚いているのは俺だけだ。
だって、茜がゾンビにならないと言い出したのは俺なんだから。
「なっ、どういう事だ? お前たち、まさか知っていたのか?」
大佐も驚いているようだった。
「うん。晴翔が、自衛隊の話を盗み聞きしたって」
「……本当か」
睨むような視線がこちらに向く。
「あ、あぁ。たまたまだけどな」
嘘です。思わず声が裏返った。
「……っち、機密事項じゃなかったのか」
大佐が小さく舌打ちするのが聞こえた。
「とりあえず、秋山茜。お前は一度学校に顔を出せ。蒼——兄貴が待ってる」
「わ、分かりました」
「じゃ、私も行く」
柚葉が手を上げる。
「あ、あの。私もいいですか? そのファイルというのを、見せてもらいたいです」
能彩もおずおずと手を挙げた。
「分かった。今日はもう遅い。明日、全員で向かおう。それでいいか?」
本音を言えば、俺一人で先に状況を確認したいところだ。が、こないだの約束もある。全員で向かう方が安心だろう。
大佐もそれで納得し、今日の話はこれで一旦終了となった。
「話は終わったのか? なら、我は一旦帰るとするか」
ロゼリアが椅子から立ち上がる。
「え、ええっ!? 危ないですって、もう暗いし、てかそもそも一人でなんて無理……」
柚葉が慌てて止める。
「忠告、感謝する。だが、夕飯を作って待ってくれている相方がいるのでな。粗末には出来ん」
ロゼリアがちらりと俺を見て、小さく笑った。
「分かった。なら俺が送っていく」
そう声をかけると、大佐も立ち上がった。
「なら、俺も行こう」
「いいのか?」
「帰りは二人の方が安全だろう。それに——俺だけをここに残すほど、俺を信用はしていないだろ?」
それは、まぁ確かに。
「じゃあ、行ってくる」
「き、気をつけてよ」
柚葉の声を背中に受けながら、俺は頷く。
「大丈夫。聞いたマンションなら無線のエリア内だ。何かあれば連絡は取れる」
大佐と一緒に魔王の護衛か……。
字面だけ見ると、とんでもないな。
◇ ◇ ◇
護衛のつもりで出てきたはずが、ロゼリアはどんどん先へ歩いていく。
俺も大佐も、気づけばその後ろをただ淡々とついていくだけだった。
ゾンビは一体も出てこない。
それはそうだろう。ロゼリアが歩くたびに、微かに空気が揺れている。魔力の波動だ。
ゾンビ程度の相手なら、触れただけで消し飛ぶはずだ。俺はまぁさておき——大佐が何ともない顔で歩いているのが、少し腑に落ちないが。
何せ、元々口数の少ない三人が、ただただ無言で夜の街を歩く。
沈黙に耐えかねて、おもわず口を開いた。
「なぁ、ロゼリア。何で遥と一緒に居るんだ?」
ロゼリアはこちらを振り向きもせず、歩きながら答える。
「見知らぬ街で、ゾンビに襲われそうになっていたところを、助けられてな」
「……何か、聞いたことある話だな。てか、そもそもお前、ゾンビなんて相手にもならないだろ」
小さな笑いだけが返ってきた。
「……遥は、その、迷惑かけてないか? 口煩いけど、いい奴なんだ。一緒に居るなら、良くしてやってくれると、助かる」
今度は立ち止まった。こちらを振り返る。
「相変わらず、妹に甘いな」
「別にいいだろ。たった一人の家族なんだ」
ロゼリアは黙ったまま歩き出した。そして一言。
「心配するな。我と一緒に居る限り、遥に危険が及ぶことはない」
それを聞いて、正直、腹の底からホッとした。
◇ ◇ ◇
目的のマンションが見えてきた。
何階建てだろうか。この辺りでは珍しい高層マンションだ。エントランスのガラスが一部割れているが、建物自体はしっかりしている。
確かに、見晴らしだけなら魔王城より良いかもしれない。
「良いところに住んでんな」
「どうせ住むなら、高いところが良いからな」
「そんなもんか?」
「あぁ」
そんな会話を交わすと、ロゼリアはこちらを振り返った。
「付き添いご苦労。ここで充分だ」
「分かった。遥によろしく頼む」
「あぁ」
短く答えて、ふと腕を組む。
「我の方からも言っておこう。いつまでも腹を立てていないで、会いに行けと」
「……あいつ、何で怒ってるんだ?」
俺の問いに、ロゼリアはさも可笑しそうに口を綻ばせた。
「さあな」
それだけ言い残して、開け放たれたマンションの玄関へと入っていった。
金の髪が、暗がりの中に消えた。
◇ ◇ ◇
帰り道は、当然大佐と二人きりだ。
こうなると、喋らなくてもロゼリアがいただけさっきの方がまだマシに感じる。あいつが居れば、少なくとも沈黙に意味があった。
街灯のない夜道を、懐中電灯の光だけを頼りに歩く。
見上げると、月と星が妙に明るく見えた。光害のなくなった夜空というのは、こうも美しいらしい。
「おい」
不意に、後ろから声がかかった。
「どうした?」
振り返ると、大佐は神妙な面持ちで俺を見ていた。
「——あの女は」
そこまで言って、一度口をつぐむ。
「いや、お前らは……人間なのか?」
……お前ら、というのには、当然俺も含まれているのだろう。
「……ああ」
落ち着いて答える。
嘘は言っていない。
けれど、腑に落ちないのか大佐は微動だにしない。
「……少なくとも、俺はな」
付け足した。
大佐の口元が、一瞬歪んだように見えた。
「俺は……」
何かを言いかけて、黙る。
「まぁ、ゾンビが街中を闊歩してるような世の中だ。何があってもおかしくないと思うけどな」
適当なことを言って、歩き出す。
大佐は何も答えずに、後ろをついてきた。
夜の静寂が、耳が痛むほど静かに広がっていく。




