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第92話 我は魔王で——お前は勇者だからな

 魔王──ロゼリアとの初めての出会いは、異世界に来てまだ間もない頃だった。


 ◆ ◆ ◆


 異世界に転生して、今日で十四日。

 やれ転生勇者だ、それ魔王討伐だと、訳のわからないまま放り出されたこの世界にも、多少慣れてきたかと思った矢先——まさか、森の中でおっさんと逸れるとは。


 パーティを組んでいた他の冒険者たちは、魔物の群れに怯えてさっさと視界から消えた。

 王様から支給されたなけなしの軍資金で雇ったのに。やっぱり妙な安物はダメだな、どこの世界でも。教訓だ。


 それはさておき、その後がひどかった。

 まずはコボルトが三体。茂みから飛び出してきたところを、どうにか剣で捌く。

 返す刀でモリオオカミを一頭仕留めたが、二頭目に腕を引っかかれた。多少痛みはするが、大したことはない。ない、はずだ——たぶん。


 絶望に打ちひしがれ、激しくホームシックになりながら森の中を彷徨う事小一時間。

 木々の隙間から光が差してきた。

 光に吸い寄せられる虫のようにフラフラと進むと、開けた場所に出た。湖だ。


 その水際に──女が一人立っていた。


 漆黒のドレス。

 金色の髪が、優雅に風に揺れている。


 まるで光を纏う女神のような佇まいに、思わず目を奪われて呼吸が止まる。


 ──が、その目の前に、翼を広げた巨大な黒い影があった。蝙蝠の形をしているが、馬ほどの大きさがある。


 女はピクリとも動かなかった。

 逃げるそぶりも、怯えるそぶりもない。ただ静かに、魔物を見ている。


 考えるより先に、足が動いた。


「うおっ——!」


 我ながら情けない声を上げながら、魔物の横腹に剣を叩き込む。深くは入らなかった。ただ、怯んだ隙に湖の方へ追い込んで、水面に剣先を向ける。

 一瞬、剣が妙な輝きを放ったように見えた。多分、気のせいだ。


 魔物は一声鳴いて、羽ばたきながら森の奥へ消えていった。


 緊張で息が切れる。

 膝に手をついて、大きく空気を吸った。


「……だ、大丈夫、か?」


 振り返ると、女がこちらを見ていた。


「あぁ。問題ないが。……お前こそ、大丈夫か?」


 息も絶え絶えな俺を見て、不思議そうな顔をしている。


「怪我は、無い?」


「あぁ。お前は?」


「俺も……大丈夫だ」


 改めて見ると、女に傷一つない。

 息も上がっていなければ、汗のひとつもかいていない。それどころか、ドレスにシワも無ければ、なんなら髪の一つも乱れていない。

 あの距離で魔物と向き合っていたとは思えない、悠然とした佇まいだ。


「……こんな所で、何を?」


 女は少し間を置いてから答えた。


「この辺りに野蛮な魔物が出るというのでな。少し様子を見に来た」


「何でそんな危ないことを一人で。護衛の人とかは?」


「そんなものは居ない。そもそもあの程度、危険もない」


 あっさり言う。俺が命がけで追い払ったあの魔物が、危なくない、と。


「も、もしかして。……見かけによらず、強い、とか?」


「あぁ。我は——魔族だからな」


 さらりと言った。


「そ、そうなのか」


 言われてみれば、漂う雰囲気がどこか浮世離れして感じられる。目の色も、見たことのない深い緋色だ。


「全く見た目じゃ分からないんだな。……俺は、春日晴翔だ。一応、人間だ」


 手を差し伸べると、女は少し驚いた顔を見せた。


「え? もしかして、失礼だったか。悪い、あんまりここの礼儀に慣れてなくて」


「いや……人間というのは、魔族を見れば即殺せと斬りつけてくるものと思っておったが」


「あんたも別に俺に斬りつけてきてないだろ」


「お前のようなひ弱な人間、どうとでもできるからな」


「そうか」


 思わず笑った。

 女は少し間を置いて、白くほっそりとした手をゆっくりと差し伸べた。


「……ロゼリアだ」


 握手を交わす。

 湖面が風に揺れて、光を散らした。


 ……


「そうか。森で仲間と逸れたか。それは災難だったな」


「逸れたってか、見捨てられた?」


「それは尚の事」


 ロゼリアが薄らと笑いながら森の一方を指差す。


「このまま真っ直ぐ行けば街道に出る。西に向かえば直ぐに人の村がある」


「おぉ、マジでか。助かるよ」


 深く頭を下げると、ロゼリアは思いついたようにポンと手を打った。


「裏切った仲間たちもおそらくそこに居るだろう。制裁するならば、手を貸すか?」


「いや、いい、いい。どうせ金で雇った奴らだし。一人本当の仲間のおっさんが居るけど、まぁまぁ強いから多分大丈夫だ」


「そうか」


「じゃ、ありがとう。縁があったらどこかでまた会おう」


「あぁ」


 もう一度礼を言い、森の中へと歩みを進める。


「また会おう、勇者ハルト」


 ふと背後からそう言われた気がして、振り返ったときには既にロザリアの姿は無かった。


 その後──幾度となく顔を合わせる事になるとは、夢にも思っていなかった。



 ◆ ◆ ◆



「久しぶりだな、ハルト。ランデブルグの港以来か」


「あぁ。あそこの魚は美味かったな。奢ってくれてありがとうな」


「礼には及ばない」


 遠く、荒野の向こうを見る。

 霧の海に佇むのは、旅の最終目的地——魔王城だ。


「……まさかロゼリアが魔王だったなんてな」


「我も、まさかお前がこうも早く魔界四天王を倒すとは思っていなかった」


 どこか、感心したような声だった。


「しかし、魔族も律儀だよな。こっちだってパーティー組んでるんだから、そっちも四天王まるごと一斉に襲い掛かれば、人間なんてイチコロなのに」


「前にも話したが、なにも我は人間を根絶やしにしたいわけではない」


 ロゼリアは荒野に目を向けたまま、静かにそう言った。

 嘘も怨みも籠っていない。ただ、淡々と事実を告げるような口調だった。


「……そうだったな。千年続く因縁だっけ」


 ——およそ千年前。人類は繁栄の極みにあった。

 世界の覇者として、あらゆる種族を支配下に置き、独裁の限りを尽くしていたそうだ。

 その傲慢さに限界が来て、ついに魔族と獣人の共同連合が立ち上がった。


 戦線は泥沼化。出口の見えない消耗戦が続いた。

 そこへ現れたのが、当時の魔王。圧倒的な力で形勢が一転、人類は滅びの淵に立たされる。

 しかし今度は勇者が現れ、それを阻止した。


 出口の見えなくなった争いの中。疲弊しきった両陣営の権力者たちが出した答えが——魔王と勇者による代理戦争だった。


 それから何代にも渡って、魔王と勇者は戦い続けてきた。両陣営を引き連れて。


「とんだ茶番だな」


「そう言うな。これで世界が破滅から救われるなら安いものだろう」


「どうだか」


 皮肉に笑ってみせる。

 ロゼリアが少し考えるような間を置いた。


「なら……いっそのこと、我とお前で手打ちというのはどうだ? 二人で世界を半分ずつ支配するのだ」


「はは、いい話かもしれないな。どうやって分ける?」


 本気で考えているのか、冗談のつもりなのか。こいつの言う事は未だによく分からない。


「南北で分けるか」


「なら、俺は北かな。ノルムの温泉は譲れない」


「我も北だな。ローゼンベルクの地に、いずれ葡萄畑を作りたいと思っていた」


「交渉決裂か」


「そのようだな」


 ロゼリアが笑う。

 このときだけ、ほんの少し——寂しそうだった。


「次に会うときは——殺し合いだな」


「やっぱり、そうなるのか」


 風が、荒野を渡っていった。

 霧の中の魔王城が、遠くに揺れていた。


「あぁ。我は魔王で——お前は勇者だからな」

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