第91話 まさか晴翔の彼女!?
管理室の簡易キッチンから、いい匂いが漂ってきた。
茜と柚葉が夕飯の準備をしている。今夜は缶詰の煮込みらしい。
フェリは隅のソファで丸まってまた昼寝中だ。銀色の耳がぴくりと動いたが、目は開かない。口からは小さくヨダレが垂れている。まったく。
俺はモニターの前でぼんやりと監視カメラの映像を眺めていた。能彩がキーボードを叩くたびに、画面に映る景色が変わっていく。
ゾンビ。廃車。廃墟。いつも通りの何もない景色。
「あっ」
能彩が短く声を上げた。
「ひ、人……」
指差す画面に目を向ける。確かに、人だ。
背格好からして、体格の良い男か。学校の補給部隊だろうか? それにしては何でこんな所に?
画面が切り替わり、顔が映る。
「あぁ! 大佐だっ! あいつ、生きてたんだ!」
柚葉がキッチンから身を乗り出して叫んだ。茜も鍋を置いてモニターに目を向けてくる。
「お、お知り合いですか? ど、どうしましょう。個人的には、あまり関わりたくは——」
能彩が手をモジモジしながら画面を見つめる。
「無視無視! ほっとけばいいから。もし入って来たらソッコー叩き出すし!」
柚葉がさっさとキッチンに戻ろうとした。
「——ちょっと能彩、画面、今の所に戻せるか!?」
思わず声が出た。
「は、はい!」
切り替わった画面がもう一度前に戻る。
野田の背後に、もう一つ人影があった。
(な、なんであいつが……)
黒のドレス。金の髪。
夜目でも分かる、緋色の瞳。
あの佇まいは——間違いない。
(──魔王、お前が何であいつと居る? ……遥は、どうした!?)
「悪い、少し話をしてくる」
「ど、どうしたんですか、突然」
茜が心配そうにこちらを見た。
「あいつと一緒に……古い知人が居たんだ」
「そ、そうなんですか」
少し間があった。
「そ、それなら。ここに来てもらったらどうですか? その、す、少し話をするくらいなら」
能彩がモジモジと提案する。
(ここに魔王を?)
一瞬だけ考える。戦力差はそもそも問題じゃない。本気を出されたらここごと消える。ただ——遥の件は直接確認する必要がある。
「分かった。助かる。何かあれば俺が責任を持って対処する」
「そ、そんな。大袈裟ですよ」
能彩が目を丸くした。
……大袈裟じゃないんだが、それは言えない。
あぁ。胃が痛い。
◇ ◇ ◇
外に出ると、夜の空気が冷たかった。
門の外、少し離れた街灯の下に、二人が立っていた。
野田はこちらに気づいて、面倒そうに目を細める。相変わらず感じの悪い男だ。生きていたのは少し意外だったが、まぁこういう手合いはしぶとい。
問題は、その後ろだ。
「……息災そうだな、ハルト」
低く静かな声。夜風に金の髪が揺れる。
緋色の目が、まっすぐこちらを見ていた。
魔王——ロゼリア。間違いない。
「遥は? お前、遥をどうした?」
焦りを表情には出さず、口を開く。
「……そんなに妹が心配か?」
余裕ぶったその笑みに、思わず眉間にシワが寄る。
「心配ない、家で夕飯の支度をしている」
「……家?」
「あぁ。マンション? というものの最上階だ。景色だけなら城より良いぞ」
……まぁ、確かに魔王城からは寂れた荒野しか見えなかったからな。
いや、それより。
「……何の用だ?」
「用があるのは我ではない」
魔王が、隣に立つ大佐を目で指した。
「……秋山茜は、居るな」
「あぁ」
自然と身体に力が入る。
「あいつが探していた兄と、今朝まで一緒に居た」
「なっ」
思わず一歩踏み出す。
「今は学校に居る。それともう一つ」
野田が、ひとつ呼吸を置く。
「秋山茜。あいつは——ゾンビにならない唯一の人間だ」
……。
な、何故その事を——!?
◇ ◇ ◇
二人を連れて管理室に戻ると、一瞬で空気が変わった。
茜はじっと警戒した目で大佐を見ている。
さっきまでソファで丸まっていたフェリは、銀髪を逆立てて魔王を真っすぐに睨んでいた。八重歯を剥き出しにして、今にも飛びかかりそう。そっと肩に手を置いて止めた。
不満そうに鼻を鳴らしたが、渋々引いた。
「えっ、なに、ヤバッ、めっちゃ美人! モデルさん!? 日本人じゃないよね? やっば、まさか晴翔の彼女!?」
柚葉が持ち前のコミュ力で魔王に突撃していく。
茜の肩が、ビクリと一瞬跳ねた。
「カノジョとは?」
魔王が柚葉に問い返す。
「え? 恋人だよ」
それを聞いて、魔王は表情をわずかに綻ばせた。
「恋人か。そうなのか、ハルト?」
……俺に話を振るな。
祈るような目でこちらを見る茜の視線が、じわじわと痛い。
「そんな訳ないだろう。むしろ宿敵だ」
「えっ!? 敵って。晴翔、こんな美人さんに何したの!?」
柚葉が今度は俺に食ってかかる。魔王はさも愉快そうにそれを眺めた。
「なんだ、つれないな。お前の事は、それなりに気に入っているのだぞ」
その一言で、茜の表情が音もなく凍りついた。
さっそくもう……メチャクチャだ。
はぁ……胃が痛い。




