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第79話 みんなの拠点、なんですから

 深夜の管理室は、PCの僅かなファンの音だけで支配されていた。

 能彩がヘッドフォンを耳に当てたまま、無線のツマミをじわじわと回し続けている。手元のノートには細かい数値がびっしり並んでいた。もう何十行目になるだろうか。


 俺はパイプ椅子に腰かけて、とっくにぬるくなったコーヒーの缶を両手で包んで、その様子を見守る。

 ソファではフェリが丸まって小さな寝息を立てている。呼吸に合わせて毛布が規則的に上下する。


 茜と柚葉は別室で就寝済み。


 静かで、平和な夜だ。

 静かすぎて、あの無線の声が気のせいだったんじゃないかと思えてくる。


『──最優先事項を確認。アキヤマ アカネの確保』


 ……あれから数日が経つ。

 あれ以来、無線機は沈黙したままだ。能彩によると、定期的に帯域を変えているのかもしれないという。


 当の茜は……笑っていた。


「もしかしたら、お父さんたちが無理言って、自衛隊の人達に私を探させてるのかも知れないですね。ほんと、親ばかなんだから」


 口調は軽かった。

 茜の事だ。自分のせいで皆に心配をかけたくない。せっかく軌道に乗ってきた、安心出来る生活を壊したくない。そんな風に考えたんだろう。

 その気持ちは痛いほど分かるが……茜がそう言った以上、俺たちには何も言えなかった。


「ふなぁー」


 能彩がヘッドフォンをずり下ろして、机に突っ伏した。


「だ、ダメです。やっぱり何も……」


「そうか、お疲れ」


 俺はウォーターサーバーから水を汲んで、コップを机に置いた。


「あ、ありがとうございます」


 能彩は起き上がって一口飲む。


「そ、それにしても……困りましたね。相手の出方がわからないと、こちらも動きにくいですよね」


「そうだな」


 短く返しながら、考えていた。


 生活基盤はそれなりに安定してきた。能彩のおかげだ。

 妹──遥の安全も、一応とはいえ確認できた。


 となれば、次にやることは……当初からの目的——茜の家族を捜すこと。

 朝日山基地にいる可能性が高いが、変異体の件もある。そこにあの無線だ。基地が味方なのか敵なのか、今の段階では判断できなかった。


 俺もコップに水を汲んで一口で飲み干す。


(こうなったら、一度直接確かめに行くしか無いか)


 ソファに目をやる。

 フェリが毛布の端を握りしめたまま、寝返りを打った。

 ここ数日、外への物資調達は俺とフェリの二人でこなしている。

 その延長と言う事で、拠点を離れる事は可能だ。

 ここから基地まではかなり距離がある。茜たちを連れていくには危険が大きすぎるが、フェリと二人なら基地まで行って帰ってきても、丸一日ほどだろう。


「……なぁ、能彩」


 声をかけようとした時、ふと能彩が立ち上がった。

 遠くを見ながら、窓へ近づいて行く。


「あ、あの。あそこ。何か、見えませんか?」


「どこだ?」


 能彩が指差した方。窓の外の遠くを見る。

 山の稜線の向こうが……赤い。

 夜明けにはまだまだ早い時間だ。朝焼けじゃない。


「……確かに。明かりだな」


 能彩が窓に顔を近づけた。


「山火事……ですかね? 人工的な光、じゃなさそうな」


「地図、見せてくれ」


 机の隅に置いてあった道路地図を広げる。

 能彩が拠点の位置と周辺の建物を照らし合わせて方角を導き出した。


「……朝日山基地の、方向です」


 その時だった。

 沈黙していた無線が、ざ、と息を吹き返した。


『──朝日山本部基地より全隊へ。緊急通報。基地内においてΣ暴走事故が発生。被害甚大。各隊は直ちにパターンRED11へ移行せよ。繰り返す──朝日山本部基地より全隊へ。緊急通報──』


 雑音に混じって聞こえてきた声は、先日の事務的なものとは違った。明らかに、追い詰められた人間の、生の焦りが滲んでいる。


 もう一度、山麓の赤い明かりに目を向ける。


「は、晴翔さん」


「あぁ……」


 不安そうにこちらを見る能彩に、短く同意を返す。


 基地で何かあったんだ。おそらく、あの変異体——Σとかいうのが暴れたんだろう。

 学校で遭遇したときは、遥と魔王に気を取られて気にも留めなかったが、後から聞いた話では銃弾でも手榴弾でも傷一つつけられなかったらしい。それが暴走したとなると……確かに、被害は甚大になる。


 問題は。

 基地に茜の家族がいる可能性があるということだ。


「能彩。このことは茜たちには伏せておいてくれ」


「え、あ……はい。……いいんですか?」


「ああ。これ以上、茜に余計な心配はさせたくない。明日、俺とフェリで確認に行ってくる」


 というか、それが一番早い。


「え、ええ!? 遠いですよ!?」


「大丈夫だ。日帰りとはいかないが、数日で戻る」


 能彩が心配そうに俺を見る。

 暫くモジモジと考え込むような素振りを見せて……何かを飲み込むように一度だけ口を閉じ、こくりと頷いた。


「……わかりました。拠点は、わ、私がしっかり守っておきます……!」


 そう言って、監視カメラのモニターが並ぶ机へ駆け寄る。画面をひとつひとつ確認しながら、俺に背を向けたまま言った。


「晴翔さんは、その……必ず帰ってきてください。こ、ここは……みんなの拠点、なんですから」


 その背中が、少しだけ震えているように見える。


 みんなの拠点……か。

 つい数日前、出てってくれと言っていた能彩の顔がふと浮かんだ。


 小さく笑ってみせる。


「あぁ。約束だ」


 窓の外、山の向こうは変わらず赤いままだ。

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