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第71話 このパンデミックは、事故だ

 基地の夜は、妙に静かだった。


 外の世界を知っている野田 悠斗には、それが余計に奇妙に映った。


 ゾンビが跋扈するこの状況下で、人が集まる場所というのは本来、うるさいものだ。

 怒号、泣き声、言い争い。恐怖と混乱が凝縮された、あの学校のコミュニティがそうだったように。


 なのに、この基地には生活音というものがほとんどない。


 訓練の掛け声も、雑談でもない。

 あるのは整然とした足音と、科学者たちの囁きだけ。まるで、感情を切り取ったみたいな静けさだった。


 野田悠斗は与えられた自室のベッドに横たわり、天井を見つめていた。


 ◆ ◆ ◆


(基地に来てから、今日で一週間か)


 食事は悪くない。

 この状況にしては、という条件付きだが、学校で食っていたものよりはマシだ。部屋も清潔で、寝具も整っている。表向きは、文句のつけようがない。


 だが、妙だ。

 一週間、何もない。


 情報提供の対価として保護されたは良いが、それ以降、次の指示がまるでない。


『今はゆっくり休んでくれ』

『自由にしていい』


 ——言葉は丁重だったが、裏を返せば、何もするなということだ。

 “働かざる者食うべからず”とは、俺が学校で常々口にしてきた事だ。それが今自身の頭の中で違和感となって反芻される。


 違和感の原因は他にもある。


 自由に、と言われた割には、基地内には立入禁止のエリアが異様に多かった。

 作戦本部は勿論、研究棟らしき区画、地下へと続く階段。それらは全て、さりげなく、しかし確実に遮断されている。


 それに、研究者の数が多すぎる。

 俺は軍の施設に詳しいわけじゃないが、それにしたって白衣の人間が目立つ。食堂でちらりと見かける顔、廊下を足早に歩く人影。ここは戦う場所というより、何かを作る場所に近い気がする。


 まぁ、事態が事態だ。対策を研究するくらい、当然といえばそうだが──。


 いや、それだけじゃない。


 三日前、何気なく正門の方へ歩いていったとき、すぐさま声をかけられた。

 門兵は穏やかな口調だったが、目が笑っていなかった。


「まさか基地の中で迷われましたか?」

「案内しますよ」


 と言いながらも、銃は常に打てる状態のまま。

 明らかに俺を逃がさないようにしている。そうとしか、思えなかった。


 ……


 俺はゆっくりと上体を起こし、窓の外を見やった。


 暗い敷地に、一台のトラックが停まっている。

 数人が集まり、荷台に大きな鉄の箱を詰め込んでいく。

 無骨で、継ぎ目のない、用途不明の代物。あれを何度か見かけた。いつも夜のことだった。


(あの箱に、何が入ってる)


 冷静に考えろ、と俺は自分に言い聞かせた。焦っても仕方ない。情報が少ない。今は観察だ。

 どう動くのが一番俺にとって得なのか。もっと材料が揃ってから判断すればいい。

 それが俺の、唯一の流儀だ。


 そのとき──


 コンコン、と。

 ドアを叩く音がした。


 ここに来て以来、毎日行われている“健康診断”だろう。感染も確認されなかったんだから、そろそろいいだろう……。

 飽き飽きしつつも、命令には従うしかない。


 表情を消して、「どうぞ」と短く返した。


 返事も無くドアが開かれる。

 入ってきたのは、いつもの無愛想な若い医者……じゃなかった。


 白髪の混じった壮年の男。

 年齢は五十代といったところか。やけにやつれた顔をしている。

 目の下に濃い隈があって、頬がこけている。まともに眠れていないか、あるいはまともに食えていないか——どちらにせよ、この基地でいい扱いを受けている人間の顔じゃない。


 男は着いてきた隊員を振り返り、静かに言った。


「彼の精神状態を確認する必要がある。少し外してくれ」


 隊員は一瞬だけ間を置いたが、従った。ドアが閉まる。


 男の手には、毎日打たれる注射が乗ったトレーがある。栄養剤だとか言われている注射が、今日も並んでいた。

 それを机の上に置いて——男は振り返るなり、真っ直ぐ俺に近づいてきた。


 足取りが、速い。


「——っ」


 思わず身構えた。距離を詰めるのが早すぎる。俺は無意識にベッドから足を下ろし、重心を低くしていた。

 だが男は攻撃してくるでもなく、ただ、声を潜めて言った。


「時間がない。聞いてくれ」


 その目は、本気だった。

 血走ってすらいる。


「……誰だ、あんた」


「秋山という。民間の研究者だ。この基地で、ある研究に関わらされている」


 秋山。

 その名前に、俺は一瞬で事態を察知した。


 二佐たちが反応した名前。

 学校に居た少女──秋山 茜。

 おそらく、その親だろう。


「……続けろ」


 俺が警戒を解かないまま促すと、男——秋山は短く息を吐いた。


「君が持ち込んだ情報で、基地は一気に騒がしくなった。秋山茜の居場所に繋がり得る情報だ」


「それが何だ」


「君は今、この基地で最も危険な立場にいる」


 静かな声だった。脅しではなく、事実を告げるような淡々とした口調。それが余計に、背筋に冷たいものを走らせた。


「……どういう意味だ」


 秋山は一度だけ、ドアに目をやった。それから、また俺を見た。


「このパンデミックは、事故だ。軍がある研究を悪用した。記憶と神経に干渉する技術を——人間から抑制を奪うために転用した。その結果があれだ。外を歩き回っているものたちの正体は、ゾンビなんかじゃない。脳の高次機能を壊された、生きた人間だ」


 俺は何も言わなかった。

 言葉が、うまく処理できなかった。


 全く理解の出来ない内容をベラベラと喋る目の前の人物。イカれてるのか……? とも思ったが、この人物が秋山 茜の父親であり、あの少女が重要人物だと言う点を考えると、あながち出鱈目とも思えない。


 とりあえず、黙って続きを聞く。


「軍は今も、それを利用している。Σシリーズと呼ばれる変異体がいる。人工的に作られた、強化された個体だ。防弾装備を持ち、指示に従う。彼らはそれを使って、パンデミック下での任務を遂行している。一般には“変異体”と呼ばれているが」


「……ちょっと待て。変異体は“大型の犬”だろう?」


「いや……何の事か分からないが、Σシリーズの素体は、生きた人間だ」


 秋山の声が、わずかに掠れた。


「……は?」


 聞き返した自分の表情が引き攣っているのは、鏡を見なくても分かる。


「変異体を作るためには、ベースになる人間が要る。鍛えられた肉体を持ち、栄養状態が良い。それでいて命令に従う訓練をされた……つまり自衛隊員が最も適している」


 そこで俺は、全部を理解した。

 丁重な扱い。自由にしていいという言葉。立入禁止区画。逃がさないようにする視線。毎日打たれる、栄養剤とやらの注射。


(俺は……化け物の材料か)


「君は事情を知り過ぎている。外の世界との繋がりもある。生かしておくのは危険と判断されたのだろう。──素体候補に挙がっている」


 秋山がはっきり言った。

 思わず笑いそうになった。笑えない状況なのに、乾いた笑いが込み上げてきた。なるほど、そういうことか。情報提供者として迎えられたんじゃなくて、程の良い素材として確保されたわけだ。


 ふざけた話だ。


「……あんたは、なんでそれを俺に教える。あんたはあっち側の人間だろう」


 俺の問いに、秋山は間髪入れずに答えた。


「頼みがあるからだ」


 まっすぐ俺を見る。やつれた顔の奥に、それでも消えていない光があった。


「息子と、娘を助けてほしい」

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