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第70話 Re-Memory Protocol

「茜! にんじんの皮、剥けたよ!」


「ありがとう……あ、でも、ちょっと剥き過ぎかも……」


 柚葉から受け取った人参は、ゴボウのようにほっそりとしていた。茜は少し困り顔でそれを眺めながら、ジャガイモの皮を手際よく剥いていく。


「それにしても晴翔、野菜どこから取ってきたんだろ」


 自分で剥いた人参をまじまじと見つめながら柚葉が顎に手を当てる。


「近くに畑を見つけたって」


「でも、それなら普通に真っ先に荒らされてそうじゃない?」


「運が良かったんじゃないかな、きっと」


 そんな話をしながら、カレーが少しずつ仕上がっていく。玉ねぎの甘い匂いが、拠点の中に広がっていた。


 ここに来て、五日が経つ。

 貯水タンクはさらに改造が加えられ、フィルターやら何やらが取り付けられて、煮沸すれば飲み水の心配もなくなった。

 水が使えるようになったことで、料理にも幅が広がった。ルーを使ったカレーくらいなら簡単だ。


「そういえば、晴翔たちは?」


「能彩さんとフェリちゃんと一緒に屋上みたいだけど」


「あ。何かデカい機械運んでたね」


「ビルにある防災無線を改造するって言ってたけど」


「へぇ。ラジオでも聴けるのかな?」


「放送してるといいね」


 茜が小さく笑った。鍋の中で、野菜がゆっくりと煮えていく。


 ◇ ◇ ◇


 屋上では時折り涼やかな風が吹いていた。


「そこ、もう少し右……右です。あ、違います、その右じゃなくて……」


 能彩が図面を胸に抱えながら、おどおどと指示を出してくる。アンテナのポールを押さえながら、言われた方向に少しずつ動かした。


「こっちか?」


「ち、ちがいます! 逆」


「俺から見てどっちだよ」


「は、晴翔さんから見て左、お茶碗方の……」


「それは分かるわっ!」


「あ、ああ、そこ! そこで固定してください」


「はいよ」


 屋上の隅では、フェリが段ボールを敷いて丸くなって昼寝をしている。風が吹くたびに、銀色の髪がふわりと揺れる。

 こちらの作業なんて完全に他人事といった様子だ。


「……よし。それで、これで本当に無線が使えるのか?」


「も、もちろんです! 元々の防災無線はチャンネルが特定の行政周波数に固定されていたのですが、PLLシンセサイザー回路を換装して、ワイドバンド対応にして、スケルチ制御とスキャン機能を組み込みました。ノイズさえ少なければ、かなり広い帯域をカバーできるはずで……たぶん」


 口早に言いながら、俺が警備会社のビルから持ち帰った無線機を指差す。


「ほ、ほんとに、無線機が見つかって良かったです。外で拠点と会話できるようになるのは大きいですから」


「そうだな。色々と捗りそうだ」


 固定したアンテナが、風を受けてわずかに揺れた。


 ◇ ◇ ◇


 管理室に戻ると、甘くスパイシーな匂いが漂ってきた。


 フェリが鼻をひくひくさせて顔を上げる。それまで眠そうにしていた目が、ぱっと輝いた。


「……いいにおい」


「カレーだよ!」


 腕まくりした柚葉が、得意げに胸を張る。


「カレー?」


「知らない? ロシアにはカレーないの?」


「うん、ない」


 フェリが適当に答える。


「む、向こうはボルシチが主食だからなっ!」


 口からでまかせでごまかす。

 フェリはきょとんとした顔でこっちを見上げた。いや、フェリに非は無いけれど、さすがにロシアネタ、無理が出てきたか……?


「お疲れ様です。アンテナ、うまくいきました?」


 茜が水で濡らしたタオルを差し出してくれる。受け取って手を拭いた。埃で汚れたいた事もあり、あっという間にタオルが黒ずんだ。


「一応、あれで大丈夫らしいけど」


 能彩を見る。


「は、はい! あ、あとは周波数帯域のスキャニングとスケルチレベルを微調整すれば、かなり広い帯域を送受信できるはず……です! それにそれに──」


 目を輝かせて続けようとする能彩を、茜が優しく笑いながら、そっと遮った。


「能彩さん、続きはご飯食べてからにしましょう」


 能彩がはっとして口を閉じる。その頬がほんのり赤くなった。


 ◇ ◇ ◇


 カレーは、思っていた以上に美味かった。

 ごろごろとした野菜がルーに絡んで、スパイスの香りが鼻の奥まで抜ける。

 レトルトのルーを使ったとはいえ、卓上のIHコンロだけでよくここまで作れるものだと、素直に感心した。


「うまいな」


「でしょ! 私と茜の共同作だよ! 私はにんじん剥いただけだけど」


「お肉が無いから、少し物足りないかもしれないですけど」


 茜が苦笑しながら皿に目を落とす。

 言われてみると、人参がずいぶん細い。なるほど、理由が分かった。まぁ、それでも味には関係ない。


 フェリは、最初の一口を口に運んだ瞬間、ぴたりと止まった。

 スプーンを持ったまま、しばらく黙っている。


「……か、からい」


「フェリちゃんには辛かった!? 大丈夫?」


 柚葉が身を乗り出して水を渡す。

 フェリは首を横に振って、もう一口、今度はゆっくりと味わうように食べた。


「でも、おいしい。ふくざつな味」


 ぽつりとそれだけ言って、またスプーンを口に運ぶ。その顔が、じんわりとほころんでいた。異世界にカレーはない。フェリにとって、この味初めてのものだ。


「……おかわり!」


「はいはい」


 柚葉が笑いながらご飯とルーをよそう。フェリは皿を受け取ると、今度は大胆に頬張った。


 俺もカレーを口に運びながら、ふと思う。こんなふうに、みんなで温かいご飯を囲めるとようになるとは。本当に能彩に感謝だな。


 当の能彩は、黙々と食べながら、ちらちらと窓際に置かれた無線機のほうを見ていた。気になって仕方がないらしい。


 ◇ ◇ ◇


 昼食を終えると、食器を片付けるより先に、能彩は机に向かっていった。


 設置した無線機にヘッドフォンを繋ぎ、ダイヤルをゆっくりと回していく。指先が慎重に、丁寧に動く。


 しばらくの沈黙のあと、机に置かれたトランシーバーのランプが点灯した。


『あー、あ。どうですか、聞こえますか?』


 能彩の声だ。


「あ、凄い! 聞こえた!」


 柚葉がトランシーバーを拾い上げて耳に当てる。


「よ、よかった! 大丈夫そうです! もう少しノイズが減らせると、もっと遠くまで届くと思うんですけど……」


 ヘッドフォンをつけたまま、能彩がダイヤルをわずかに動かす。

 トランシーバーから、ザーっというノイズが絶え間なく聞こえる。

 

 そして、ふいに能彩の指が、止まった。


「あ、あれ? 今、何か言いました?」


「ううん」と柚葉が首を振る。


 能彩が眉をひそめる。

 難しい顔で、もう一度ダイヤルをわずかに回した。


「何か……無線、拾っちゃったみたいです」


 無線本体のスイッチを切り替えると、スピーカーからノイズ混じりの声が流れ出した。


『──こちら朝日山本部基地。全ユニットへ送信する。現在時刻、一四三〇。作戦識別コード〈Re-Memory Protocol〉、継続中──』


 ざざ、とノイズが走る。


『──〈Σ-04〉の誘導ルートを修正。集積ポイントをコード77よりコード12へ移行せよ。移行完了後、定点保持。繰り返す──』


 また途切れる。柚葉が息を呑む気配がした。


『──民間との接触は極力回避。目撃者が発生した場合は、コード・サイレントを適用。記録は一切残すな──』


 長いノイズ。

 ざあざあと耳障りな音が続いたあと、最後にひとこと。耳を疑う内容が……静かに告げられた。


『──最優先事項を確認。アキヤマ アカネの確保』


 部屋に、沈黙が落ちる。

 誰も動かなかった。誰も声を出さなかった。


 俺はゆっくりと茜を見た。

 茜は机の上に両手を置いたまま、スプーンを静かに皿に置いた。その手が、かすかに震えていた。

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