第50話 必ず、生きて戻ってきてください
清々しい初夏の風に吹かれて目が覚めた。
……何だか辺りが騒がしい。
遠くで、人の声がする。走る足音。叫び声。
(えと。昨日はパーティーしてて……。いつ寝たっけ?)
目を開けてみると……地面が見える。
土と、枯れ葉と、誰かが落としたらしいゴミ。
(どこだここ?)
起き上がろうとして──ゴン、と頭を打った。
「痛ってぇ……」
校庭に置かれた机の下で寝ていたらしい。
体を丸めて、まるで野良犬のように。
そういえば、茜たちと夕飯を食べていたところ、俺を『ショッピングモールの勇者』だとか持ち上げる連中に連れていかれて、やんややんやとしこたま酒を飲まされた。
こっちの酒と異世界の酒は違うのか、久々だったせいか、途中から記憶がない。
そのままベンチで寝たところ、机の下に落ちたんだろう。
にしても、放置は酷くないか?
まだクラクラする頭を押さえて立ち上がる。口の中が、やけに渇いている。
見回してみると、辺りに人の姿はない。
昨夜はあれだけ賑やかだったのに、今は静まり返っている。テーブルや椅子が散乱したまま、誰も片付けていない。
向こうのほうで、数人が慌ただしく走っているのが見えた。
(……何かあったのか?)
その時──。
「こんな所に居たんですか!」
一人の男が駆け寄ってきた。息を切らし、額に汗を流している。
確か、総理の側近の一人だ。
「ん? あぁ。酔い潰れて放置されたらしい。酷くないか?」
呑気な俺とは違い、男は血相を変えて俺の手を引っ張った。
「いだだっ」
まだ頭痛がするので優しくして欲しい。
「と、とにかく!は直ぐに総理の所へ! 校長室です!」
手を引かれながら校舎へ走る。
足元がふらつく。二日酔いだ、これは。
フラフラと走りながら──聞こえてきた音。
タタタタン。
マシンガン? 銃声か?
◇ ◇ ◇
校長室に入ると、総理と数人が窓から外を見ていた。
全員、緊張した面持ち。誰も俺たちに気付いていない。
「総理! 春日さんをお連れしました」
側近の声に、全員が一斉にこちらを振り返る。
「こんな時に、何処行ってたんだ!?」
総理が俺に駆け寄ってくる。その顔は青ざめ、額には汗が浮いている。
「どこって……」
「……いや、すまない。英雄に対して失礼だったな」
頭を掻く総理。
肩をすくめてみせる。
「失礼ついでに、すまないが。──緊急事態だ」
そう言って、窓の外を指差す。
窓に近付くと、数人が場所を開けてくれた。
指差された方角、門の外を見ると──
少し離れた場所に、何かが立っていた。
いや、何か、じゃない。
人──なのか?
「……人、なのか?」
確かに人形だ。
けれど、手前の男性達と比較すると、おそらく身の丈3メートル近い巨体。
真っ黒なコートを纏い、両手は拘束具のようなもので固定されている。
顔には、ガスマスクのような装置。
ゴーグルが、赤く光っていた。
門の前で、隊員たちが銃を構えて威嚇している。
「……何だ、あれ」
窓から離れて、総理を見る。
総理は、苦い顔で答えた。
「分からない。十五分ほど前、突然現れた。警告を無視して近付いてきたので、一人が発砲したが……」
あぁ、さっきの発砲音か。
「銃が効かない」
その場の全員が引き攣った顔を見せる。空気が重くなり、誰も何も言えない。
となると、ただのデカいゾンビじゃないのか。確かに、何か変な服も着てるし。
どのみち……ここからじゃ良く見えないな。
ふと見ると、一人の男性が手に双眼鏡を持っている。
「ちょっと借りていいか?」
「どうぞ」
受け取って、窓の外に視線を向ける。
慣れないこともあり、目標が中々捉えられない。
ウロウロと動かし──俺の視線は、釘付けになった。
……手が震える。
嫌な汗が吹き出す。
心臓が、跳ね上がった。
「は、は? ……な、何でここに」
双眼鏡を放り投げ、窓枠に足をかける。
「お、おい!」
総理の慌てた声が聞こえる。
……っち、さすがにひとっ飛びはまずいか。三階から飛び降りたら、確かに普通は死ぬ。
「全員に避難指示を出せ! とにかく、校門から少しでも離れろ!」
「ちょっと待て! いったいあれが何だって──」
総理を無視して、窓枠を蹴る。
体が宙に浮き、側にあった樹の幹を二、三度蹴りながら勢いを殺して地面へ着地。
ドスン、と衝撃が足に響いた。
これならギリギリ人間技だろ!?
それにしても……油断した!
いや、警戒は怠っていない。現に今だって、ゾンビの気配は無意識レベルで感知してる。
けれど……あそこまで完璧に気配を断てる相手は、想定していなかった。
とにかく、校門へ走る。
──
校門前には人が大勢集まっていた。
騒然としている。みんな不安そうに門の方を見ている。
その中に、茜と柚葉の姿もあった。
「ちょっと、晴翔! こんなときに何処行ってた──」
柚葉の言葉を遮って、声を張り上げる。
「全員、逃げろ! 荷物も何も持つな! 少しでもここから離れるんだ!」
「ち、ちょっと! どうしたの?」
俺に伸ばされた柚葉の手を振り解く。
「早く行け、死にたいのか!?」
俺の剣幕に押されて、柚葉は戸惑いながら後ずさり……そして走り出す。
それを見て、他の人達も続き、悲鳴に近い声を上げながら散り散りに逃げていく。
そう、それで良い。
悪いが……他を構ってる余裕は無い。
「晴翔さん!」
茜の声。
振り返ると──茜だけが、まだ残っていた。
「私は……残ります! 晴翔さんを一人にはできません!」
そう言って、エルブンボウを構える。
だが、その手は震えて、弓を握る指先は白くなっている。
「──っ、ダメだ!」
思わず声を荒げてしまう。
「茜も逃げろ!」
「──!? で、でも!」
一歩近付いてくる茜。その瞳には、恐怖と決意が混ざり合っている。
俺は茜の肩に手を置いた。
この状況か、そとも俺に怒鳴られたのが怖かったのか……細くて小さい肩が、震えている。
「いいか、茜」
言葉を選ぶ。どう……説明すればいい。
「あれは──普通じゃない。銃も弓も……いや、ここにある武器程度じゃ傷ひとつ付けられない」
茜の目が、大きく見開かれる。
「だから──無理だ。絶対に、無理なんだ」
茜の肩を掴む手に、力が入る。
茜にとっては理解できないだろう。けれど、説明してる暇は無い。
「頼む──」
まっすぐ、その目を見た。潤んだ瞳が、じっと俺を見返してくる。
「俺は、茜に死んでほしくない」
声が、震えた。
「こんな世界で目が覚めて、最初に出会ったのが茜だった。茜がいたから、こんな世界も悪くないと思えた」
茜の目から、涙がこぼれる。
「だから──頼む。俺がこの世界で生きる意味を奪わないでくれ」
必死の俺の説得に、茜は震える唇を噛みしめた。涙を流しながら、何度も頷く。
「……わかり、ました」
掠れた声。
弓を下ろし、俺の手を握る。
「でも、約束してください」
茜が、涙を拭いながら言う。
「必ず、生きて戻ってきてください。私──待ってますから」
その言葉に、小さく頷いた。
「約束する」
茜が走り去るのを見届けてから、俺は門の隙間から外に出る。金属の門が、ギィと音を立てる。
必ず、生きて戻る、か。
……無茶な約束をしたもんだ。




