第48話 まだ、世界は終わっていない。
──深夜のショッピングモール。
人気の無い駐車場に、一台の車が静かに入ってきて、停まった。
中から降りて来た人影が、漆黒の闇夜を懐中電灯で照らす。
「なぁ、勝手に抜け出して来てよかったのかよ」
「大丈夫だって。門番は買収済みだし、他の奴らはパーティーに夢中で酔っ払ってたし、バレねえって」
胸元で不慣れな小銃を抱える若い男たち。──学校から勝手に抜け出して来た若者たちだ。
昼間の回収では、食料や生活必需品しか持って帰れなかった。だから今のうちに、個人的に必要なものをこっそり拝借しようという算段らしい。
懐中電灯を手に、広い駐車場を進む。
月明かりすら遮られた暗闇。照明が一切ない駐車場は、墨を流したように真っ黒だ。
懐中電灯の光が届く範囲だけが、ぼんやりと浮かび上がる。
足音が、やけに大きく響く。
風が吹くたびに、遠くで何かがカタカタと音を立てた。
放置された買い物カートが、風に揺れているのだろう。
「……なんか、気味悪ぃな」
誰かが呟いた。
その通りだ。陽の光に照らされた昼間の風景とは、全く様子が違う。
闇が、すべてを飲み込んでいる。
その時──。
懐中電灯の光が、何かを捉えた。
「……ん?」
闇の中に、人影が立っていた。
動かない。ただ、確かに人だ。
「おい、ゾンビか……?」
一人が小声で尋ねる。
「……いや」
──違う。
ゾンビにしては、デカすぎる。
身の丈3メートル近くはある巨躯。真っ黒なコートを纏い、両手は拘束具のようなもので固定されている。顔には、ガスマスクのような無機質な装置。
それが、ただ立って、こちらを──見ている。
「な、なんだありゃ……!」
懐中電灯の光が小刻みに揺れる。
持つ手が、震えているのだ。
得体の知れない、感覚。
本能任せのゾンビとは違う……明らかに、意思を持ってこちらを捉えているような、そんな恐怖。
次の瞬間──大男が、突進してきた。
地面を蹴る音。
ドスッ、ドスッ、ドスッ。
巨体に似合わぬ、獣のような機敏さで、あっという間に眼前に迫ってくる。
「うわあああっ!」
男たちは慌てて散り散りに飛び退く。
ドゴォン!
鈍い衝撃音。
大男の蹴りを受けて、近くにあったトラックが軽々と横転した。
ガラスが砕け、金属が軋む。重量2トン近くあるはずの車体が、まるでおもちゃのように転がる。
「う、嘘だろ!?」
「なんだよ、こいつ!?」
「変異体!?」
『……顔認証……開始。目標、アカネ』
ガスマスクに取り付けられたゴーグル状の装置が、赤く光った。
そして──男たちを順に見渡す。
小さく発せられる機械音声。
無機質で、冷たい。まるで、獲物を選別するような呟き。
『目標、不適合。目撃者ヲ排除』
ドスッ、ドスッ、ドスッ。
重い足音を響かせながら、大男が近づいてくる。
アスファルトが、その足音のたびに震えた。
「ひっ、来るな、来んな!」
逃げようとした男の首を、片手で掴む。
軽々と持ち上げられた体が、宙に浮いた。
ゴキッ。
乾いた音。
首が、不自然な角度に曲がり、ダラリと四肢が垂れ下がった。
「ひ、ひぃぃぃ!」
別の男が、震える手でサブマシンガンを構える。
引き金を引いた。
ダダダダダダッ!
銃声が夜の静寂を引き裂く。
火花が散り、でたらめに乱射される銃弾。
けれど──弾は、コートに弾かれて地面に落ちるだけだった。
傷一つつかない。
『排除』
弾丸の連射をものともせず、今度は、その男に向かってくる。
ドスッ、ドスッ、ドスッ。
「やめろ、やめてくれぇぇ──!」
悲鳴が、夜のショッピングモールにこだました。
……
ほどなくして……再び静寂が訪れる。
駐車場を風が吹き抜ける。
転がったトラックと、地面に倒れた複数の人影。
大男は、再びゴーグルを光らせた。
『目標、不在。範囲ヲ変更シ、捜索ヲ継続』
そして──重い足音を響かせながら、闇の中へと消えていく。
その姿が闇に溶けても、しばらく足音だけが響いていた。
やがて、それも消える。
再び訪れる、静寂。
ただ風の音だけが、夜のショッピングモールを支配していた。
◆ ◆ ◆
荒廃した夜の街を、一台の車が走っていた。
道路には至る所に障害物が転がっている。放置された車、倒れた看板、散乱したゴミ。
ヘッドライト一つを頼りに、それらを縫うように進む。
ガタン!
何かに乗り上げたのか、車が大きく揺れた。
「──っ、くそっ!」
ハンドルに頭を打ち付ける。
運転していたのは、野田悠斗三曹──“大佐”だった。
痛む額を押さえながら、舌打ちする。
全く、なんだってんだ。
こんな世界で、やっと俺が主役になれたってのに。安全な王国を築いたってのに。
あの男のせいで、全て台無しだ。
ハンドルを強く握りしめる。思い出すだけで苛立ちが込み上げてくる。
……まぁ、いい。
あれだけの物資の情報を持ち帰れば、それなりの褒賞もあるだろう。昇進だってあるかもしれない。
学校にいるのは素人ばかりだ。
プロの自衛隊員が乗り込めば、一瞬にして占拠できる。……見てろよ、ガキども。
一度ギアをバックに入れて下がる。
ヘッドライトが、轢いたものを照らした。
ゾンビの死骸だ。
誰かが始末したのか、道を横切るように数体倒れている。腐敗した肉が、月明かりの下で鈍く光っていた。
「全く、邪魔くさい!」
勢いをつけて、死骸をタイヤで踏み潰し乗り越えていく。
ゴリッ、ゴリッ。
嫌な音と共に、腐敗した肉片が辺りに散った。
助手席に置いた地図を確認する。
道は間違っていない。もう少し行けば見えてくるはずだ……。
街を抜け、山間の道を暫く進む。
そして──見えてきた。
闇の中に煌々と輝く光。
“朝日山自衛隊基地”
所属が違うので、来たのは初めてだ。
周囲を高いフェンスと鉄条網で囲まれた施設。
真っ暗なこの世界で、そこだけが強力なライトで照らされている。まるで、闇の海に浮かぶ孤島のように。
──
門の前に車をつけると、すぐに重武装した隊員が数名駆けてきた。
車を取り囲み、銃口を向ける。
皆、緊張した面持ち。指は、いつでも引き金を引けるようトリガーにかかっている。
「待ってください。野田悠斗三曹です」
手に持った隊員証を掲げて見せる。
門番の一人が、慎重に近づいてそれを確認した。ライトで照らし、じっくりと見比べる。
「……降りろ」
言われた通り、車から降りる。
他の隊員が車内を確認している間、事情も聞かれず基地の中に通された。
──
基地の中は、外の荒廃した世界とは別世界だった。
整然としている。
外にはトラックなどの車両が整然と並べられ、兵士たちが規律正しく動いている。この世界に、まだこんな場所が残っていたのかと思うほど、秩序が保たれていた。
建物の中に通される。
廊下は清潔で、蛍光灯が明るく照らしている。消毒液の匂いが鼻をついた。
小さな部屋の前に着くと、中に入るよう案内され、待たされる。
しばらくすると、白衣を着た医師のような人物が入ってきた。
「動かないで」
無表情に、淡々と作業を始める。
ペンライトで眼球を見られ、腕を出すよう指示される。注射器で血を抜かれた。
「……あの、色々と報告が。上官を呼んで貰えますか」
「しばらくお待ちください」
そう言い残して、医師は部屋を出て行った。
窓すらない部屋に独り残される。
壁に貼られたポスター、感染症予防のマニュアル。
整然と並べられた医療器具。
既に懐かしく感じるような“文明”の景色があった。
まだ、世界は終わっていない。
少なくとも、ここでは。




