第4話 干し肉 998
エレベーターのボタンを押してみたが、当然反応はない。
「まぁ、そうだろうな」
階段を下りて一階へ向かう。
そしてロビーに出た瞬間、思わず足を止めた。
──ゾンビが、大量にいた。
受付カウンターの前、待合のソファの間、廊下の奥……
二十体は軽くいる。
破けながらも残っている衣服を見る限り、入院患者や病院のスタッフが大多数のようだ。
動きは遅いが数は侮れない。
(んーー。倒して進んでもいいけど……)
異世界と比べて、こっちはとにかく人口が多い。
病院でこれなら、街にはいったいどれだけのゾンビがいるのか。
(無駄な戦闘は避けておくか)
息を吸い、声を抑えて低く呟く。
「──シャドーウォーク」
足元の影がゆらりと揺らぎ、次の瞬間、身体が影へと溶け込んでいく。
視界は濃淡だけで構成されたモノクロの亜空間へと変わった。
中級レベルの闇の潜伏魔法だ。
この状態なら、ゾンビはもちろん、訓練された城の兵士ですら気づけない。
(よし。行くか)
ドラマなら、病院ロビー突破だけで数話かかる大ボリュームだろうが──今の俺にとっては久々に来た初級ダンジョンのようなものだ。
ゾンビの包囲を影の中から軽々と抜け、そのまま病院駐車場のゾンビ群も回避し、街へ続く山道へと静かに歩み出た。
(さてと……とりあえず山を下りるか)
穏やかな日差しを背に受けて、前へ進む。
◇ ◇ ◇
病院の敷地を抜けると、そこには緑豊かな山道が続いていた。
片側一車線の舗装された綺麗な道路。
普段なら病院に向かう車や、山に遊びに来た車が行き交っているはずだが、いまは静寂が支配している。
時折、路肩には持ち主を失った車が斜めに停まり、開け放たれた座席から荷物が散乱していたりする。
それを除けば、鳥の声すら聞こえるほどの静けさだ。
(……ハイキングかよ)
緩やかな坂道を下りながら、半ば呆れ、半ばのんきに思った。
──
しばらく歩くと、不意に腹が鳴る。
「……そういえば、腹減ったな」
道端のガードレールに腰掛け、背負ってきた非常用リュックを開ける。
中には缶詰や水などがいくつか。
これだけでも数日は耐えられるが──さすがにその先は心許ない。
(目下の目標は、水と食料の確保。それと寝場所だな)
魔法が使えようが、腹は減るし、風邪をひけば治療できる医者もいない。
サバイバルの基本は変わらない。
(……いや、待てよ)
俺は手を止めた。
──魔法が使える。
この事実そのものが重要だ。
もしあれが使えるなら──
緊張しつつ、目の前の空中へ手をかざす。
「……イベントリ」
その瞬間、空間に細い亀裂が走り、黒い裂け目が開いた。
異世界で何度も見た光景。
(よし……! いけるか!?)
腕を突っ込み、ごそごそ探る。
そして取り出したのは──
「干し肉」
変わらぬ質感。
変わらぬ匂い。
食べ慣れた異世界産だ。
(あ……もう、取り敢えず食べ物の心配はいらないな、これ)
“イベントリ”
勇者級の冒険者だけが使える、亜空間収納魔法。
中では時間が止まり、食料も薬品も劣化しない。
念のため中身を確認してみる。
――――――――
《イベントリ内容》
焼きパン 999
干し肉 998
湧き水 999
リゴンの実 999
ゴートミルク 999
チーズ 999
薬草 999
毒消し 999
……
――――――――
「いや、今更だけど、どんだけ詰め込んでんだよ俺」
自分で言うのもなんだが、俺は収集癖がある。
腐る事がないなら、こういうのは詰めれるだけ詰め込んでおかないと気が済まない。
異世界での旅も終盤は資金に余裕ができ、手に入ったものはとりあえず突っ込んでいたのだ。
(とりあえず……最大の心配だった食料問題は当分大丈夫だな)
とはいえ、日用品は現世のほうが圧倒的に便利だ。
それに、薬や衣類も欲しい。
(よし。後でパニック映画の定番、ショッピングモールに行ってみるか)
大きな施設なら、生存者が立てこもっている可能性もある。
そう考えつつ坂道を下っていたとき──
「き、きゃぁ!! 誰か、助けて!!」
高い悲鳴が森の奥から飛んできた。
(……ん?)
次の瞬間、草むらをかき分けるようにして女の子が飛び出してきた。
年は高校生ほど。
アウトドアウェアの上着は泥で汚れ、袖はところどころ裂けている。
頬には細い傷が数本走り、息も荒い。
そして──
「オオォォア゛ア゛!!」
彼女の後ろを、数体のゾンビが林を突き破って追いかけてくる。
どの個体も顔や身体の損壊は少なく、状態が“新鮮”なのか、まだ原型を留めている。
その分病院で見たものより動きが速く、人間の早歩き程度のスピードで女の子に迫る。
(異世界のより、だいぶ動きが速いな……って、呑気に観察してる場合じゃないか)
女の子は逃げるのに必死で、こちらの存在に気づいていないらしい。
「た……助けて……ッ!」
誰に向けたでもない震えた叫びが、辺りに響く。




