第24話 怒ってないって
校長室を後にして、教えられた通り、売店にあるという”換金所”へ向かう。
校舎の廊下を歩く間、茜はずっと無言だった。足音だけが、やけに響く。
「……」
さすがに気になって、立ち止まる。
「大丈夫か?」
「は、はい」
返事はすぐに返ってきた。けれど、それだけ。
一瞬、いつものように気丈に振る舞おうとしたのだろう。だがすぐに視線を落とし、俯いてしまう。
「……私」
ぽつりと、茜が呟いた。
「私、ずっと守られてたんですね」
……俺に、か? 今日はまだ何もした覚えはないが。
「どういう意味だ?」
問い返すと、茜は少しだけ間を置いた。
「法律とか……社会とか……周りの大人の人たちとか。そういうものに、ずっと守られてたから、毎日を無事に過ごせてたんだなって……」
小さく息を吸い、続ける。
「さっきも……もし、晴翔さんが一緒にいてくれなかったらって思うと……。すごく、怖くて……」
そう言って、両腕で自分の体を抱く。
「そしたら……。さっきまで助けたいって思ってた人のことなんて、頭から消えて……ただ、怖くて……」
俯いたまま、言葉が途切れる。
……確かに、そうかもしれない。
特に日本は、世界的に見ても平和な国だった。法律があり、秩序があり、それを”当たり前”として生きてこられた。
そう思えば、さっきの状況で──奴らもやろうと思えば、俺一人を取り押さえて茜を襲うくらいはできたはずだ。……まあ、実際には相手にもならないが。
それでも、誰もしなかった。
ということは、まだここもある程度の規律は残っているらしい。
……こちらも、暴力に訴えかけるのは最終手段に留めておく必要があるな。でないと、今度は俺が暴君だ。
ともあれ。
「……少なくとも。俺が一緒にいる以上、茜に手は出させない」
俺の言葉に、茜の肩がわずかに揺れる。
「それに、この状況だ。人間、自分の命一つ守るだけでも精一杯になる」
少し言葉を選びながら、続けた。
「そんな中で、他人を助けたいと思える気持ちは……大切なものだ。実際に助けられるかどうかは、力の話。心とは、また別問題だ。だから……そんなに、自分を責めるな」
そう言って茜を見ると、彼女はふと顔を上げた。
紛れもない事実だ。こんな状況で、他人を思いやれる人間なんて、実はそう多くない。異世界で、何度も見てきた。
小さく笑い、茜に向かって頷く。
「行こう」
そう言って、再び歩き出す。
少し遅れて、茜もついてくる。
その足取りは、まだ重い。けれど、さっきよりは──しっかりと、前を向いている。
◇ ◇ ◇
やがて、購買が見えてきた。
売店のカウンターの向こうには、生活物資が整然と積み上げられている。
缶詰、乾パン、ペットボトルの水。日用品や薬、簡易医療品まで、最低限の”生活必需品”は揃っているようだった。
普通の売店と違うのは、愛想の良さそうな店員の隣で、銃を持った屈強な男が睨みを利かせていることくらいか。
その手前で、見覚えのある金髪が目に入った。
……そういえば、途中から姿が見えなかったな。
「……柚葉」
背後から名前を呼ぶと、びくり、と肩が跳ねた。
「……っ」
ゆっくりと振り返るその表情は、複雑だ。
何か言いかけて、言葉を飲み込み。一度俯いてから、もう一度、顔を上げる。
「……俺たちを売った手柄を、換金しに来たのか?」
その言葉に、柚葉の唇が歪んだ。
「わ、私だって……!」
声を張り上げ、次の瞬間──俺の胸元に拳を叩きつけてくる。
別に殴ったわけではなさそうだ。力はこもっていない。痛みもない。
「……手」
「は?」
「出して」
言われるまま、手を差し出す。
柚葉は一瞬だけ躊躇い、それから、俺の掌に拳を重ねた。
僅かな金属音。
掌に置かれたのは、一握りのコインだった。
「これで……ご飯くらいは食べられるから」
視線を合わせないまま、柚葉は言う。
「……詫びのつもりか?」
問いかけても、答えは返ってこない。柚葉は、そのまま背を向け、歩き出そうとする。
茜が、一瞬だけ戸惑ったように、俺と柚葉を交互に見た。
「待てよ」
その声に、柚葉が立ち止まる。
「──これ以上は、渡せないからっ! な、殴りたかったら殴ればいいし! 警備の人達が飛んでくるけどっ!」
振り返ったその顔は、必死だった。泣きそうで、怒っていて、それでも、どこか怯えている。
俺は、そんな柚葉に向かって、笑ってみせた。
「せっかくだ。一緒に、飯でも食わないか?」
「……は?」
呆気に取られた顔。
「他に知り合いもいないし、色々教えてくれよ。先輩」
そう言って笑うと、隣で見ていた茜も、ホッとしたように小さく笑った。
柚葉は、しばらく呆然としていたが──やがて、困ったように視線を逸らす。
「……意味、分かんない。気まず過ぎでしょ」
柚葉が、ぽつりと零した。
「気にするな。別に、怒ってない」
俺がそう答えると、柚葉はますます困惑した顔になる。
……実際、まったくもって怒ってなどいない。
元々何かあるとは思っていたし、情報が欲しかったのも事実。その点で言えば、ここは打って付けの場所だ。
それに──早々に確認しておきたかった物に、こうも簡単に出会えたのだ。
(──銃か。威力を確認するために、一度撃たれてみないとな)
黙っている俺を見て、柚葉は少しだけ間を置いてから答えた。
「じゃあ……もう、謝らないからね。後から恨みとか……ナシだよ」
「ああ」
短く頷いてから、茜の方を見る。
「茜も、それでいいか?」
「はい」
茜は、迷いなく頷いた。
「晴翔さんが良いなら」
そう言って、柔らかく笑う。
その様子を見て、柚葉は一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、少し黙り込み──小さく息を吐く。張り詰めていた肩の力が、ほんのわずかに抜けたようだ。
そして、消え入るような声で一度だけ呟いた。
「……ごめんなさい」
「だから、怒ってないって」
今にも泣きそうな柚葉に、改めて笑顔を返す。




