第2話 さっそく封印解除
静まり返った廊下。
(それにしても……妙に静かだな)
深夜でも早朝でもないはずなのに、物音一つ聞こえない。
看護師の足音も、ナースステーションの話し声もない。
(重症患者だけ集めた隔離塔……とかか?)
違和感を抱えつつも、尿意が全てを押し流していく。
幸い、トイレはすぐに見つかった。
見慣れた青い人形のプレートが掲げられた方のドアを開く。
真新しい白いタイル。綺麗に掃除された床。
至って普通で、特別に変わった所もない。
ただ……一番奥の個室だけが閉まっていた。
(誰か使ってるのか……? まぁいい、もう限界だ)
長期間寝ていたせいで足元がふらふらする。
それでもどうにか小便器の前に立ち狙いを定めた。
ふぅ……と深い安堵の息が漏れる。
(“向こう”のトイレはここまで清潔じゃなかったからな)
文明の利器は偉大だ、と心の底から思った。
そのとき。
──カラリ。
背後の個室のドアが開く音がした。
(ん? 中の人、水流してないような。……不発だったのか?)
いやいや。
他人の “うんちの成否” を気にするなんて、余計なお世話にもほどがある。
(俺は俺の事情に集中しよう……!)
尿意という名の緊急クエストはまだ進行中だ。
だが──
ヒタッ、ヒタッ。
体を引きずるような、テンポの悪い足音が、背後から聞こえてくる。
(……体調でも悪いのか? 大丈夫かな)
まぁ、病院だし足が不自由な人も居るか。
ヒタッ、ヒタッ。
(ん……なんか、こっち来てる? いやいや、やめてくれ今はマジで動けない……!)
ようやく尿の濁流が止まり、慌てて処置パンツを整えながら振り返ったその瞬間。
「ォォオオアア゛ア゛ッーーー!!」
そこには──明らかに“人ではないなにか” が立っていた。
全身の肉はそげ落ち、灰色に干からびた皮膚が骨に貼りついている。
顔の半分は崩れ、黒く濁った眼窩がこちらを見据えていた。
腐乱した体液が滴り、床に黒い点々を作っている。
どう見ても、どう取り繕っても
──動く死体、ゾンビ だ。
「なっ……お、おいおいおいおい!!」
ゾンビは喉の奥から濁った奇声をあげ、血走った目でこっちに飛びかかってくる。
「うおおお、うそうそ、待って、いやーー!!」
パンツをあげる手がもたつく。
異世界で様々な修羅場を越えてきたけれども、これは想定外だ。
「──って、ヴォルティックファイアー!!」
反射的に手のひらを突き出す。
次の瞬間──
雷光と業火の奔流 がほとばしり、一直線にゾンビを貫いた。
ゾンビは悲鳴もあげられず、その場でチリとなって霧散。
勢いそのまま閃光は窓ガラスを粉砕し、空へと抜けていった。
現世に帰還してわずか数分。
さっそく封印が解除されたらしい。
「って、なんでここにゾンビなんか居んだよ!? 雰囲気的に何かそんな気はしてたけどもぉ!!」
ドラマでも映画でも、『目覚めたら町がゾンビに支配されていた』なんて展開はありがちだ。
しかし剣と魔法の異世界で魔王軍と戦ってきた俺にとっては──
(……まあ、異世界転生に比べたら、まだ現実味ある話だな)
深くため息をつき、パンツをしっかり履き直す。
壊れた窓の向こうから吹き込む風は、先ほどよりずっと冷たい。
「……とりあえず、状況確認だな」
◇ ◇ ◇
廊下に出て早足で反対側へ向かう。
階段の踊り場近くの大窓から眼下の町を見下ろすと──
まず目についたのは、至るところで上がる黒煙。
さらに町全体を見渡しても、車は止まり、道路には人気がない。
信号は消えたまま、建物の一部は崩れている。
病院前の大きな駐車場には乗用車や救急車が乱雑に停まり、いくつかは衝突した形で横転していた。
そして。
動いて見えるものといえば、
ただ目的もなくウロウロと歩き回る──
ゾンビの群れだけだった。




