第13話 生きてる。ちゃんと逃げたさ
街の区画を抜け、見慣れた住宅街が見えてきた。
これまで何度通ったか分からない道の──角を曲がった先に、俺の家があった。
大きくも小さくもない。
新築でもなければ古びてもいない。
ただ、“父さんと母さんが、俺と遥に遺してくれた家”。
俺にとっては、世界中のどの城や宮殿よりも大切な場所だ。
「……ここが、晴翔さんの家なんですね」
茜は玄関前で立ち止まり、ちらりと家を見上げる。
「中……見てきてください。私はここで待ってます」
俺は頷き、玄関のドアを押し開ける。
(鍵が……開いてる)
──懐かしい空気が、ふわりと流れ込んできた。
現実ではほんの数週間。
けれど異世界で数年を生きた身にとっては、久しぶりに帰省したみたいな錯覚を覚える。
廊下にはいくつか物が散乱しているものの、荒らされたような跡はない。
(……戦闘の形跡もなし。ゾンビが侵入した感じでもないな)
「──遥?」
念のため声をかける。
もちろん……気配で誰もいないことは最初から分かっている。
だが、それでも呼ばずにはいられなかった。
返事は、やはりなかった。
キッチンへ向かうと、いくつかの棚が開け放たれ、中のインスタント食品が散らばっている。
いつも遥が「お兄ちゃん、またカップ麺ばっかり……」と呆れていた棚だ。
それを見て、玄関へ視線を戻す。
──非常バッグが、ない。
(避難した……んだな)
他にも、通帳や現金、それに家族写真などが持ち出されているようだ。
この状況で金が役に立つとは思えないが、遥なりに“大事なものだけ急いで持ち出した”という事なんだろう。
自室、そして遥の部屋も確認する。
残念ながら、行き先の手がかりになるようなものは残されていなかった。
だが、不思議と絶望感はない。
(……生きてる。ちゃんと逃げたさ)
家の中の、いつもと何ら変わらない様子を見ると、そう思えたのだ。
──
玄関から外へ戻ると、茜が家の前で体育座りして、手をぎゅっと胸の前で組んでいた。
俺に気づくと、慌てて立ち上がる。
「ど、どうでしたか?」
「……誰もいなかった」
「そっ……そう、ですか」
茜の表情には“安堵”と“寂しさ”が入り混じった複雑な影が差していた。
俺は続ける。
「食料を持ち出した形跡があった。非常袋もない。……きっと、どこかに避難したんだと思う」
すると茜は、ぱっと顔を明るくした。
「そ、そうですよね! 絶対そうです! 一緒に……頑張って探しましょう!」
太陽みたいに明るく笑う。
状況は茜も変わらないはずなのに。それでも、俺を励ますように、支えるように。
その笑顔を見ていると──歳の割に甘えん坊で、いつも笑顔を絶やさなかった遥の姿がふと重なった。
「……あぁ。探そう。絶対に」
俺は小さく笑い返し、家のドアをそっと閉めた。
◇ ◇ ◇
家を後にし、再び街を進む。
ゾンビの気配をより慎重に避けながら──次は茜の家へ向かう。
道自体は分かっている。だが、それが逆に厄介だった。
(ここ、真っ直ぐだが……気配が濃いな)
遠回りするには理由がいる。
だが、ゾンビがいる、とは言えない。
「……こっちは、なんとなく嫌な気配がするな。回り道しようか」
「そう、なんですか?」
「あぁ。勘、みたいなもんだけど」
我ながら雑な言い訳だと思ったが──茜は疑う様子もなく、素直に頷いた。
「分かりました。じゃあ、こっちから迂回しましょう。晴翔さんが言うならきっと間違いないですよ」
(……凄い信頼だな)
そう思いつつも、ありがたい。
何度か道を変え、物陰に隠れ、何とかゾンビをやり過ごしながら進む。
そのせいで、予定よりもだいぶ時間がかかってしまい──茜の家に辿り着いた頃には、空はすでに夕焼け色に染まっていた。
「──ここです」
茜が指差した先を見て、俺は思わず言葉を失った。
白い外壁。
広い敷地。
ガレージ付きで、停められている車も見るからに高級そうだ。
……うちとは、えらい違いである。
「……なぁ、茜ってさ。もしかして、結構いいとこのお嬢様?」
「えっ? そ、そんなことないと思いますけど……」
いや、どう見ても“そんなことある”家だが。
まぁ、今は突っ込むところじゃないな。
茜に促され、門をくぐる。
広い庭を横目に、玄関へ向かいながら神経を研ぎ澄ます。
(……中には、誰もいないな)
それが“良い事”なのか、“残念な知らせ”なのか──一概には判断できなかった。
茜はリュックから鍵を取り出し、震える手で玄関を開ける。
「た……ただいま」
恐る恐るの声。
返事は、なかった。
誰も居ないとこは分かっている。教えてあげたいが、それを口にするわけにはいかない。
「……気をつけて」
俺は玄関に立ったまま言った。
「俺はここで待ってる。何かあったら、すぐ大声で呼んでくれ」
茜は一瞬だけ唇を噛みしめ──それから、こくりと真剣な面持ちで頷いた。
「……はい」
そうして、広い廊下の奥へと歩いていく。
その背中が見えなくなるまで、俺は玄関先で、ただ静かに耳を澄ましていた。




