第103話 ゾンビとか今更ザコなので快適ライフを目指します
ロゼリアは呆れたように、細く息を吐いた。
「ここまで来て、何を躊躇っている?」
赤い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
「その小娘を救いたいのだろう?」
俺は唇を噛んだまま、拳を握る。
「……方法がない」
絞り出した声だった。
「装置は未完成だ。基地は燃えてる。時間もない。茜を傷つけずに世界を救う手段なんて……」
「全く、何を訳の分からないことを言っている。そんなものに頼らずとも──」
ロゼリアは心底理解できないと言わんばかりに眉をひそめた。
「ゾンビを、全て倒せば良いだけの話だろう?」
その一言に——
俺は、はっと顔を上げた。
場の全員が息を呑む。
あまりにも単純だ。
あまりにも乱暴だ。
けれど——その発想だけが、最初からどこにもなかった。
ロゼリアは、そんな俺を見て口元を歪めた。
「かつて、世界を二分しないかと冗談半分に話したのを覚えているか?」
その言葉で、胸の奥に沈んでいた何かが少しずつ浮かび上がってくる。
絶望で塗りつぶされていた頭の中に、ようやく風が通る。
俺は小さく息を吐いた。
「あぁ。北か南かで決裂したな」
「今回は、我は特に拘らん」
ロゼリアは黒のドレスの裾を揺らしながら、くすりと笑う。
「どちらも面白そうだ」
俺の口元にも、ようやく笑みが戻った。
「なら——俺は北だ」
「では、我は南だ」
ロゼリアは視線を横へ流す。
「おい、野田。付き合え」
呼ばれた大佐——野田は、一瞬だけ目を丸くしたあと、少し笑った。
まるで、最初からそうするつもりだったみたいに自然に。片膝をつき、頭を垂れる。
「魔王様の仰せのままに」
「うむ」
ロゼリアが満足そうに頷く。
それから、俺へと向き直った。
「では、行くぞ、ハルト」
迷いは、もうない。
世界か、茜か。
そんなふざけた二択に付き合う気はない。
世界も救う。
茜も救う。
そのために、邪魔なゾンビを全部消し飛ばす。
ただ、それだけだ。
俺は笑った。
この期に及んで、いつものように。
「あぁ——」
そして、言い放つ。
「ゾンビなんて、今更ザコだからな」
◆ ◆ ◆
屋上に張られたブルーシートが、春の風にぱたぱたと鳴っていた。
拠点の屋上——資材置き場だったそこは、今や妙な方向へ進化しつつある。
ブロックで簡易的に囲いを作り、その内側に水を張る。
水量は“大水の青石”でほぼ無尽蔵。“大火の赤石”で熱源も十分だ。
温泉じゃないのは致し方ないが、能彩が断熱材代わりに使えそうなものを集めてくれたお陰で快適なものになりそうだ。
「……なにか、他に優先してやることがあるような……」
茜が呆れたようにポツリと呟いた。
手に雑巾を持って、湯船を綺麗に拭いている。
柚葉が即答する。
「いやいや、快適ライフといえばコレでしょ」
胸を張る。
「食う、寝る、風呂。日本文化の三本柱だよ?」
「そう、だったかな……?」
茜は屋上から周囲を見渡す。
荒れた街。
遠くには壊れた建物も見える。
生活の立て直しは始まったばかりだ。
そんな中で、屋上露天風呂である。
「やっぱり、優先順位おかしくない?」
「おかしくない」
今度はフェリが真顔で言った。
「フロは心のせんたく」
「ど、どこで覚えたんですか!?」
能彩はブルーシートの端を引っ張りながら、目を丸くした。
「でも、こんなのもいいじゃん。こういうのあると、“生きてる”って感じするでしょ?」
茜は、少し困り顔で。それでも笑って答えた。
「そうだね」
確かに、その通りではある。
これからの事を真面目に考えて、たまに無茶なものを作ろうとして、でも皆んなで笑って明日に進む。
そんな何でもない時間が、今は妙に愛おしかった。
◇ ◇ ◇
校舎では、人々が慌ただしく動いている。
物資の整理。
役割分担。
安否確認。
生活区画の再編。
その中心には総理の姿があった。
「水の配給は一階ではなく中庭側へ。混雑を避けてくれ。負傷者の対応は保健室に一本化しよう」
「そこの機材は、秋山夫妻の研究室に。大事な物らしいから壊すなよ」
「慌てなくていい。もう、奴らに襲われる心配は無いからな」
その言葉に、補佐にまわっていた二佐と准尉……いや“元”か。二人が顔を見合わせた。
「本当に……もう、大丈夫なのか?」
その問いに、総理は少しだけ空を見上げた。
「少なくとも、ここ数日は一体の目撃報告もない」
断言はできない。
だが、その声には確かな実感があった。
朝日山基地の生存者が合流し、一時的に起きていた混乱も、今は静まりつつある。
まるで、長く長く続いていた悪夢が、ようやく醒め始めたみたいだ。
もちろん、全てが元通りになったわけじゃない。
失われた命は戻らない。
壊れた街も、崩れた日常も、そのまま残っている。
それでも。
人は少しずつ前へ進むしかない。
◇ ◇ ◇
荒廃した街を、一人の男が歩いていた。
──野田だ。
肩に荷物を担ぎ、気ままな足取りで瓦礫の道を進んでいく。
空は高く、風は穏やかだ。
「……迷ったな」
ふと立ち止まり、遠くを見る。
かつて所属していた組織はもうない。
守るべき大義だとか、従うべき命令だとか、そういうものも全部なくなった。
けれど、今の彼は妙に晴れやかだった。
「まぁ、いいか」
誰に言うでもなく呟いて、また歩き出す。
魔王に付き合って、ずいぶん派手に暴れもした。
今となっては、あれはあれで悪くなかった気もする。
世界を救う方法が、まさか「全部ぶっ飛ばす」になるとは思わなかったが。
笑みが漏れる。
「ほんと、とんでもない連中だよ」
野田は旅を続ける。
誰の命令でもなく。
誰のためでもなく。
けれど確かに、自分の足で。
もし困っている奴がいたら、ついでに助けてやってもいい。見返りがあれば儲け物だからな。
◆ ◆ ◆
数日後。
晴翔たちの拠点の門前に、見覚えのある二人組が現れた。
「よう。お帰り」
晴翔が軽く手を上げると、ロゼリアは相変わらず尊大に顎を上げた。
長い金髪が風に揺れ、黒のドレスの裾がさらりと鳴る。
「南はどうだった?」
「なかなか愉快だったぞ」
ロゼリアが口元に笑みを浮かべる。
「特に建築物は見応えがあった。寺、といったか。あの手の建物はどこも趣があって良い」
「でも、お土産屋が全然やってなかったんだよねぇ」
横から遥が口を挟む。
「そこだけは不満だったかも」
「……ははっ。さすがに旅行気分すぎるだろ」
晴翔は呆れ半分で笑った。
室内へ入ると、茜たちもその気配に気づいて顔を出した。
柚葉が「あっ」と目を丸くし、フェリは少しだけ身構えながらも露骨な敵意は見せない。
能彩はおどおどしながらも、隠しきれない興味を目に浮かべていた。
「そういや、大佐は?」
晴翔が尋ねると、ロゼリアはふっと笑う。
「別行動だ。途中までは一緒だったのだがな」
「私たちと一緒だと、ストレスがすごいんだって」
遥が頬を膨らませる。
「失礼しちゃうよね」
「……あー」
晴翔は曖昧に頷いた。
この二人と旅をする。
そう考えると、まあ。少し同情はする。
「とりあえず、この列島はこれで片付いただろう」
ロゼリアがさらりと言う。
「落ち着いたら、そのうち海の外も見てくるか」
「飛行機はもう飛んでないし、そこは考えないとだね」
遥が、遠く街の先に煌めく水面に目を送る。
「海くらいなら、我の魔法でどうとでもなるが」
「え、マジ!?」
遥の目が一気に輝いた。
「じゃあ海外旅行し放題じゃん!」
なんともスケールのデカい二人の雑談に、晴翔が苦笑する。
「おい、まさか“昔”みたいに海を割る気か?」
ロゼリアの視線が、ふと晴翔に向いた。
「ところで、屋上に妙なものが見えたが。池でも造っているのか?」
「いや、露天風呂だ」
「露天風呂?」
遥がきょとんと首を傾げる。
「なんでまた急にそんな方向に進化してんの?」
「快適ライフの要なんだとさ」
晴翔が肩をすくめると、ロゼリアはしばらく黙り込んだ。
それから、小さく鼻で笑う。
「なるほど」
赤い瞳がわずかに細められる。
「快適ライフとは、ただ物資が大量にあれば成るものではない、というわけか」
「そういうこと!」
柚葉が得意げに胸を張った。
「食べ物があっても、寝る場所があっても、それだけじゃ足りないんだよ。落ち着けるとか、楽しいとか、“これがあると嬉しい”ってものがないとさ」
その言葉を引き継ぐように、茜も小さく頷く。
「……うん。たぶん、そういうことなんだと思う。皆んなとの何気ない会話とか、誰かと一緒に食べるご飯とか、そういう普通のことも含めて」
「ひ、人によって違いますしね」
能彩もおずおずと続けた。
「お風呂が大事な人もいれば、静かな場所が欲しい人もいますし。おいしいご飯が何よりって人もいると思います」
「つまり」
フェリが腕を組み、少し考えてから結論づける。
「好きなだけぐーたらできるのが、快適らいふ」
「雑すぎるだろ」
晴翔が思わず笑う。
つられて、ロゼリアもふっと口元を緩めた。
かつて魔王と勇者として剣を交えた二人が、今は快適ライフについて意見を交わす。
冷静に考えれば、ずいぶんとおかしな光景だった。
けれど——悪くない。
こういうのもきっと、快適のひとつなのだろう。
ひとしきり笑いが収まったところで、ロゼリアがふと思い出したように口を開いた。
「そうだ。快適ライフといえば……一つ、聞きたいことがある」
「何だよ」
晴翔が返す。
ロゼリアは真顔のまま言った。
「──ホアジャオはないか?」
「無ぇよ。……てか何でホアジャオ?」
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。最後まで見届けていただけたこと、心から嬉しく思います。
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◇◇◇
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