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第102話 どうか、ロゼリアが──

本日19:20

最終話投稿予定です。

 魔王城は、すでに半ば崩れ落ちていた。


 砕けた柱が床に散乱し、割れた壁の向こうには夜空が大きく口を開けている。吹き込む風が、瓦礫の隙間に溜まった砂塵を巻き上げた。

 その広間の中央で、二つの影が激しくぶつかり合っていた。


 黒い剣が、真紅の大鎌を弾く。

 次の瞬間、大鎌の刃が妖しく赤い軌跡を描き、勇者晴翔の喉元を狙って薙ぎ払われる。晴翔は身を捻ってそれをかわし、そのまま踏み込みざまに剣を突き出した。だが、魔王ロゼリアは黒いドレスの裾を翻しながら後方へ滑るように退く。床を裂いた剣閃だけが、火花と共に虚しく残った。


 間髪入れず、今度は魔法が飛ぶ。


 晴翔の掌から放たれた蒼白い光弾が幾重にも夜を裂く。

 ロゼリアはそれを赤黒い障壁で受け流し、逆に幾本もの紅の杭を宙に生み出して撃ち返した。空間そのものを貫くような魔力の奔流が広間を薙ぎ、壁をさらに破壊する。轟音と共に石材が吹き飛び、天井の一部が崩れ落ちた。


 その瓦礫の中を、二人はなおも駆ける。


 剣と鎌。

 魔法と魔法。

 殺意と、それでもなお捨てきれない何かがぶつかり合う。


 晴翔の黒剣が振り下ろされる。

 ロゼリアは大鎌の柄で受け止めた。


 甲高い音が響いた。


 刃と刃が噛み合い、二人の顔が間近に迫る。


 長い金髪が揺れ、赫い瞳が細められる。

 黒のドレスに身を包んだ魔王ロゼリアは、戦いの最中だというのに、なお艶やかな笑みを浮かべていた。


 一方の晴翔は、肩で息をしていた。

 頬には浅くない傷が走り、額から流れた血が顎先へ伝って落ちる。呼吸は荒く、握る剣にも疲労の震えが宿っている。


 限界は近い。

 それは誰の目にも明らかだった。


 ロゼリアがぐっと鎌を押し込む。

 晴翔は歯を食いしばって押し返したが、力比べは一瞬で均衡を失った。大鎌の柄が黒剣を弾き上げる。晴翔は後ろへ飛んで間合いを切り、崩れた床石の上に着地した。


 二人の距離が、数歩ぶん開く。


 吹き抜けた夜風が、ロゼリアの金髪をさらった。

 背後には、壁の崩れた先に広がる静かな夜空。まるでこの戦場だけが、世界から切り離されているようだった。


「いよいよ、あとはお前だけだな、勇者」


 ロゼリアは真紅の大鎌を肩に担ぎ、余裕の笑みを深める。


「我が門下に降ると言うならば、命までは取らぬが」


 対する晴翔は、荒い息の合間に口元を歪めた。


「悪役らしい台詞を吐きながら、おっさんとフェリにトドメを刺さないで、遠くの街まで飛ばすだけとは……随分優しいな、魔王」


 その言葉に、ロゼリアは一瞬だけ目を細めた。


 そして、喉の奥で小さく笑う。


「──フッ、是非も無いことよ」


 次の瞬間、再び二人は激突した。


 晴翔が踏み込む。

 黒剣が鋭く閃き、ロゼリアの肩口を狙う。

 だが大鎌がその斬撃を受け流し、返す刃で腹を薙ぐ。晴翔は咄嗟に後退して致命傷こそ避けたが、服の脇腹が裂け、赤い線が走った。


 止まらない。


 ロゼリアはそのまま間合いを詰める。

 大鎌が円を描くたび、赫い残光が空間を断ち切っていく。その一撃一撃には、ただの武器の重さではない、概念めいた圧が宿っていた。受ければ願いごと両断されるような、そんな理不尽な威圧。


 晴翔は黒剣で受け、逸らし、時に魔法で相殺しながら必死に凌ぐ。

 しかし徐々に押されていた。


 足が止まりかける。

 剣筋が鈍る。

 防ぐたびに、身体の奥から力が削り取られていく。


 どうにか、殺し合わずに済む方法を探したかった。


 剣を交えながら、ずっと。

 ロゼリアを殺すのではなく、別の終わり方があるはずだと。

 この戦いの先に、どちらかの死しかないなんて、そんな結末は認めたくなかった。


 だが——


 ここまで来た以上、もう出し惜しみはできない。


 晴翔は大きく後ろへ飛び、崩れた玉座の前まで下がった。

 ロゼリアは追わず、ただ赫い瞳でじっと彼を見つめる。


 黒剣を握る手に力を込める。

 荒い呼吸を整えながら、晴翔は覚悟を決めた。


 こうなったら、切り札を出すしかない。

 これで、決める。


 晴翔の前方に、空間の裂け目が走った。


 音もなく裂けたその亀裂の中へ、彼は手を差し入れる。

 そして次の瞬間、引き抜かれたのは——白く輝く、一振りの美しい剣だった。


 夜そのものから削り出したような静かな光。

 清冽で、神々しく、それでいてどこか儚い。

 戦場の只中に現れたそれだけが、別世界のもののように見えた。


 ロゼリアの瞳が、わずかに見開かれる。


(やはり——“運命を紡ぐ剣(フォルトナ)”)


 勇者だけが手にすることを許される秘剣。

 『一度だけ、持つ者の願いを叶える剣』


 それは伝承ではなく、呪いに近い奇跡だった。


 かつての勇者も、そうだった。

 この剣を手に、彼女へ戦いを挑み——そして敗れた。


 ロゼリアの手の中で、真紅の大鎌が低く唸る。


 『永遠の別れを告げる赫』。


 人の願いを断ち切る鎌。

 願望を、祈りを、執念を、何度も何度も刈り取ってきた魔王の証。


 かつて幾人もの勇者が抱いた「魔王を討ち滅ぼす」という願いも、この大鎌によって断ち切られてきた。

 願いそのものを否定し、届くはずの未来ごと切り捨てる——それが、この赫き鎌の本質だった。


 ならば、今回も同じはずだ。


 勇者の願いが「魔王を倒す」なら。

 この鎌は、その願いをまた断ち切るだけ。


 けれど。


 ロゼリアは、晴翔の目を見て違和感に気づいた。


 そこにあるのは、敵を討つ者の眼ではない。


 憎しみでもない。

 使命感でも、勝利への渇望でもない。


 もっと、愚かで。

 もっと、救いようがなくて。

 そして——どうしようもなく優しい願いだった。


 晴翔が白剣を構える。


 その刹那、ロゼリアはようやく悟る。


 この勇者の願いは──……


 驚きが胸を貫いた。


 そして次いで、こみ上げてきたものに、ロゼリアは笑った。


 戦場に似つかわしくない、ひどく穏やかな笑みだった。


「そうか」


 小さく、吐息のように漏れる。


「まったく、呆れたものだ。勇者」


 フォルトナが光を増す。

 真っ白な輝きが、夜の広間を満たしていく。


 ロゼリアはもう、大鎌を振るわなかった。


 避けることも、防ぐこともしない。

 ただ静かに、晴翔の一撃を受け入れるように立っていた。


 白い剣が、その胸を貫く。


 衝撃はなかった。

 痛みすら、ほとんどなかった。


 ただ、温かい光が身体の奥へ染み込んでくる。


 黒のドレスを白光が照らし、長い金髪が風に舞う。

 赤い瞳は揺らがず、ただまっすぐ晴翔を映していた。


 胸の奥で、長く長く続いた戦いの記憶がほどけていく。


 終わらない討伐。

 繰り返される勇者たちの願い。

 幾度も断ち切ってきた救済。

 魔王として在り続ける孤独。


 そのすべてが……


(ようやく……終わるのだな)


 ロゼリアの身体が、白い光の粒となってほどけ始める。


 指先から。

 髪から。

 黒のドレスの裾から。


 夜に溶ける雪のように、静かに、穏やかに。


 晴翔は何かを言おうとした。

 だが、声にならない。


 ロゼリアは最後まで笑っていた。


 それは敗者の笑みではなかった。

 憎しみに敗れた魔王の顔でもない。


 ようやく解放される者の、安堵にも似た微笑だった。


「全く、笑わせてくれる」


『どうか、ロゼリアが──平穏な日々を過ごせますように』


 そして次の瞬間。


 魔王ロゼリアは、溢れる光の中へと消えた。


 崩れた魔王城に残されたのは、白い剣の残光と、夜空へ吹き抜ける風の音だけだった。

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