第10話 エルヴンボウ
◆ ◆ ◆
「……んっ」
差し込む朝日に照らされ、隣で小さな寝息が揺れた。
茜が、毛布の中でもぞもぞと身じろぎする気配。
(やばっ……!)
反射的に目を閉じ、寝ているフリをかます。
心臓が一瞬だけ跳ねた。
「……朝?」
寝ぼけた声。茜は体を丸めたまま、ゆっくりと上半身を起こす。
「……朝か」
俺も、いかにも今起きましたという顔で身を起こした。
「ごめんなさい、起こしちゃいましたね」
「いや、大丈夫だ」
「……少しは寝られましたか?」
「あぁ、それなりに」
眠気を払うように、肩を回してコキコキと鳴らしてみせる。
(嘘です! 一睡もできてません! 目、ギンッギンです!!)
五月の山は朝こそ冷える。
車の窓ガラスは俺たちの体温と湿気で真っ白に曇り、外がほとんど見えない。
ドアを開け、外の空気を吸い込む。
昨日から何一つ変わらない、静かすぎる山の風景。
五月晴れの澄んだ空気が頬を撫で、冷たく肺の奥まで流れ込む。
見える範囲にゾンビの姿はない。
(夜の間に来なかったのか、結界に触れて蒸発したか……。どっちにせよ存在感が薄すぎて判断しづらいな)
そんなことを考えながら、大きく伸びをする。
「……春日さんって、この状況なのに落ち着いてますね」
車から降りてきた茜が、覗き込むように俺の顔を見る。
まぁ、“この状況”といっても──
俺にとっては、雑魚モンスターしか出ない超初級ダンジョン以下だ。
「……ずっと気を張ったままでも体力削れるだけだ。休めるときはちゃんと休まないとな」
「そ、そうですね。……覚えておきます」
茜は俺の隣に立ち、真似をするように体をぐっと伸ばす。
その弾むような動きに、つい視線が胸元に吸い寄せられ──慌てて目を逸らした。
(お、落ち着け俺……!)
誤魔化すように車へ向かい、座席からリュックを降ろす。
「ほら、朝飯」
缶詰タイプの非常食パンを取り出して手渡す。
「ご、ごめんなさい。貴重な食料なのに……分けてもらって、いいんですか?」
「あぁ。育ち盛りだろ?」
軽口を叩いて笑ってみせると、茜は一瞬だけ俯き、
次の瞬間、こくこくっ、と勢いよく首を縦に振った。
缶の蓋を開ける音がやけに大きく響く。
茜は中のパンを噛み締めるように口へ運び、必死に飲み込んだ。
「本当は……すごくお腹空いてて……」
泣き出しそうな声で呟き、昨日渡しておいた水をぐいっと飲む。
「それなら昨日言えば良かったのに。……いや、気づかなくて、悪かったな」
自分は茜に出会う前に、イベントリから適当に食って済ませていたせいで、空腹のことなんてすっかり忘れていた。
茜は胸の前でパンを抱きしめるようにして、小さく首を振る。
「……そんな、ここまで良くしてもらってるのに、謝らないでください」
朝日がようやく山の上から差し込み、茜の表情を淡く照らす。
静かな山の朝。
こっちに戻って来てから、初めての朝。
まさかこんな形で迎えることになるとは夢にも思わなかったが、何か少しだけ、悪く無いと思えた。
◇ ◇ ◇
「じゃ、行くか」
そう言いながら、車の運転席に詰め込んでいた荷物を取り出す。
リュック、非常食、そして──
「あの、そういえば……」
茜がきょとんとした顔で、俺の肩を指差した。
「昨日から気になってたんですけど……それは?」
「ん?」
指の先には、肩に担いだエルヴンボウ。
……しまった。異世界じゃ武器の持ち歩きが当たり前すぎて忘れてた。
「あぁ、これ?」
内心、冷や汗を流しながらも、あくまで平然と答える。
一応“聞かれたとき用の無難な回答”は準備しておいた。
「俺、元々趣味で弓道やっててさ。いや〜、まさかここで役立つとは思わなかったわ〜」
ど、どうだ!?
ワンチャン誤魔化せる……わけないよな!?
いや無理だろこれ。絶対バレるだろ、とか内心焦っていたら──
「──す、すごいです! うちの高校にもありますよ、弓道部! 弓ってそんなに強いんですね!」
(あ。)
この娘……めっちゃ純粋だ。
俺の引きつった笑顔がそのまま固まり、逆に焦ったのが恥ずかしいような気すらしてくる。
「そ、そうなんだよ。触ったことない人が殆どだから知らないだろうけど……強いんだ。まぁ、一応武器だからな。本当は人に向けちゃ絶対ダメだぞ!」
「も、もちろんです!」
興奮したように両手をぶんぶん振る茜。
良かった……全く疑ってないらしい。
「あ、そうだ。よかったら、使ってみるか?」
「えっ? む、無理ですよ! 私、不器用ですし」
「大丈夫大丈夫。やってみれば意外と簡単だから」
……本当に“簡単”なのだ。
エルブンボウの特性は“百発百中”。腕に関係なく、狙った獲物は絶対に外さない。
「そ、それじゃ……。私も、自分の身は自分で護らないと、ですしね……」
覚悟を決めたように茜が弓を受け取る。
「ど、どう構えればいいですか?」
「まず力を抜いて、背筋は真っ直ぐ」
茜の後ろに立ち、なるべく触れないように気を遣いながら、両手を軽く添えて構えを教える。
(ち、近い……! いい匂いする……! いや、落ち着け! 鼻息を抑えろ!!)
「そ、そんじゃ、これをつがえて……あそこにある木でも狙ってみて」
矢筒から普通の矢を取り出して渡す。
さすがに魔力の矢を使うわけにはいかないので、昨日こっそりイベントリから“ただの木製の矢”を準備しておいた。
茜は深呼吸して心を落ち着けると──矢をつがえる。
白龍の髭で作られた魔法の弦は、女の子の力でも容易に引ける柔らかさと強度。
茜の両目が真剣な光を帯びる。
「──ふっ!」
次の瞬間。
空気が裂けるような音と共に矢が走り──狙っていた木に命中すると、木が轟音を立てて弾け飛んだ!
真っ二つに割れた幹がメキメキと倒れこむ。
「えっ!? ええ!? えぇぇっ!?!?」
混乱する茜。
(し、しまったぁぁぁ!! 普通の矢で威力抑えてもこれか!!)
慌ててフォローに入る。
「ち、ちょっと力入りすぎたかな! ほら、あの木、腐って倒れかけだったから! ほっといても倒れそうだったし! いや〜、弓の才能あるよ! 落ち着いたら、弓道始めてもいいんじゃないか!?」
自分でも何を言ってるのか分からないまま、思いつく限りの理由を必死に並べ立てた。
茜はぽかんとした後──
「す、すご……! 私、こんな才能あったんですね……!」
感動したように目を潤ませた。
(あ、信じた……。純粋ってすごい)
「……その弓は、君が持ってくといい」
「えっ!」
俺の申し出に茜が驚く。
「で、でも、春日さんは」
「俺は……コレを借りてくよ」
車に積まれていた金属バットを肩に担ぐ。車内にはグローブもあった。きっと公園で野球でもしようとしてたのか……。家族の運命を考えると……胸が痛む。
「だ、大丈夫なんですか、それで?」
「大丈夫大丈夫、俺、野球もやってたから。この先、君だって武器はいるだろ?」
そう言って豪快に素振りをして見せる。
実際のところ、俺が居れば茜が戦う羽目になる事はまず無いだろう。けれど、この先何があるかわからない。
ずっと一緒に居るとも限らないし……。
「……ありがとうございます。何から何まで」
茜が深々と頭を下げる。
「大丈夫だって。気にするな」
ほんと、気にしなくていいんだ。
イベントリには、それよりもヤバい弓が、まだまだ何本も入ってるから。




