我が恋は紅に染まりて
残酷描写はないと思うけど、一応入れときました。
よろしくお願いします。
仄暗い海の底で私は気が付けば一人でたゆとうていた。
海の上には小さな島が浮かんでいて、そこには壊れかけた屋敷があり、樹木が生い茂った庭には一つの青年像が置かれていた。
私は夜になると、その青年像の下へ行き、月明かりの中で彼に話し掛けるのが日課となっていた。
「ねぇ、今日は向こうまで泳いで行ったんだよ。遠くに船が見えたんだ。楽しそうな音楽が聞こえてた。あなたも一緒に行けると良かったんだけどね。」
「……」
「え?行きたかったって?ふふ。今度、一緒に行こうよ」
物言わぬ青年像に向かって、私は眠くなるまで話しを続けるのが好きだった。
そうやって過ごす、ある嵐の晩、私は一人の人間を助けた。
怒り狂う海のなか雷鳴が轟き、その中を一艘の船が強い風にあおられながら荒波を突き進んでいた。
あっと思った瞬間、一人の男が高波にのまれて海の中に落ちていった。
私はすぐさま彼を追い、海の中へと潜った。
深く深く蒼い中をゆるやかに落ちていく男。海の中は静謐で海上の嵐の影響はない。
私は男を受け止めると、そのまま海中から島へと泳ぎ、屋敷の中へ運んだ。
暗がりの中、濡れた服を脱がせ、ベッドへ放り込む。男の身体は私より大きくて放り込むのが精一杯だったからだ。
そこまですると、私は再び海へと戻り、船の行方を探した。
嵐は少し静まっていたが、船の姿はどこにもなく、だが遠くに灯りが見えたので沈んではないようだった。
私は屋敷に戻ると男の寝ているベッドの傍に蹲った。
日が昇る。
私は男の唸り声で目が覚めた。
彼は次の瞬間、飛び起きると目を見開いて私を見た。
朝日に照らされた彼の顔はまだ若く、驚くべきことに青年像と瓜二つだった。
「ここは……?きみは?…確か嵐がきて」
「あなたは嵐の中、海へと落ちました。船は無事だと思いますが、遠くへ行ってしまいました」
「きみが助けてくれたの?ありがとう」
初めての会話。物言わぬ像とは違う。青年の声は低く、凪いだ海のように穏やかで、澄んでいた。
「僕はジェイド。きみの名は?」
「……わかりません。呼ばれたことないから」
「そう。いつからここに居るの?」
「……」
分からない私は首を振るしかなかった。
「言えないのかな?…じゃ…そうだ、サファイヤと呼ぼう。きみの瞳の色は綺麗な青い色をしてるからね」
「サファイヤ……」
私はその時、その名の響きの発音が美しいと思った。いや、彼が付けてくれた、彼の澄んだ低い声で呼ぶ、その声が特別だと思ったのだ。
嬉しくなって、何度もサファイヤとつぶやく。私の初めての名前だった。
それから彼は帰る道を探し始めた。
この島は他に人はなく、いつこの屋敷が建てられたのか、いつ屋敷の住人が居なくなったのか、何もかも分からなかった。
「人のいない無人の島か……」
幸い彼は生きるのに長けていて、火を熾したり、魚を焼いたり、一人でも不自由はなさそうだった。
最初はいろいろと私のことを訊かれたりしたけど、何も答えられない私に、いつしか彼も問うたりしなくなった。
「サファイヤ」
彼が私を呼ぶ。
私はとても嬉しくなって飛び跳ねるように彼の下へ急ぐ。
「サファイヤ」
彼が私を呼ぶ。ずっと呼んでいて欲しい。
「そんなに急がなくても僕は消えたりしないよ」
呆れた彼の声に私は微笑み返す。
「船が無事なら、いつかまた僕を探しにここへやってくると思うんだ。そうしたら一緒に行こう」
ジェイドはずっと私と居てくれると言ってくれた。
数ヶ月が過ぎ、船の影すら見えない中、さすがにジェイドは意気消沈し、弱音を吐き始めた。
「もう無理なのかな……。一生戻れないのかな」
「ジェイド、大丈夫だよ。そうなっても私がいる。ずっと一緒だよ」
「サファイヤは可愛いなぁ。いつも明るいし、いつか結婚しようね」
「結婚って、ずっと一緒ってこと?」
「そうだよ」
「するする〜!」
月明かりの中、彼は笑って私を抱き寄せた。
近づく唇、触れ合う唇。初めてのくちづけをした。
「愛してる」
彼が言う。私も「愛してる」と返す。
衣擦れの音。脱がされていく布を纏っただけの簡易な衣服。
「……え?」
「どうしたの?」
目を見張る彼の動きは止まって、手だけが震えていた。
「きみ……男だったのか…」
「うん、ジェイドと同じだよ」
それがどうしたの?と私は思う。
「ねぇ、もっとキスして」
くちづけが気に入った私はジェイドに強請った。
唇が触れそうになった瞬間、脳天に衝撃が起こった。視界が揺れる。何が起こったのか分からなかった。
「わ、悪い」
頬が痛い。私はジェイドに強い力で振り払われたため、はずみで頬を打ったようだった。
「どうして……?」
「女の子だと思ってたんだよ。ホントごめん、…男は無理!」
腫れた頬を抑えながら、まだ理解ない頭でつぶやく。
「……男だとダメなの?」
「ごめん」
「……愛してるって言ったじゃん!」
「ごめんなさい」
「ずっと……ずっと、一緒にいてくれるんだよね?それは良いよね?」
私はそれなら大丈夫かと思って、縋り付くようにジェイドを見つめた。
「ごめん、ずっと一緒も無理」
涙は止まらない。
「ひどい!ひどい!……」と連呼しながら、私は夜が明けるまで嗚咽した。
いつの間にか日は高く昇っていた。
泣き疲れて、私はいつの間にか眠っていたようだ。
ジェイドの姿はどこにもない。
ふらつく足で屋敷の外へ出る。
遠くで船の汽笛が聞こえた気がした。
海辺で煙が微かに見えた。
私は急いで砂浜へ下りると、ジェイドが火を焚いていた。
「おおーい!おおーい!」
沖へ向かって彼は叫ぶ。
「何してるの?」
「船が来たんだよ!僕を探しに来たんだ!」
ジェイドは興奮して、昨夜あったことを忘れたかのように、私に触れ、私の肩を揺すった。
「帰れる!やっと帰れるんだ!」
彼は大きく、今は遠くに見える船へと手を振った。
「……うっ」
彼は最初、何が起こったのか分からないようだった。
手元を見、身体に刺さった剣を知る。
見る見る間に広がる赤い色。
「サファイヤ……どうして?…」
彼が私を呼ぶ声が好きだった。
でもそれももう呼ばれなくなる。
「待つよ。あなたが私をまた愛してくれるまで。いつまでも待つよ」
私は火を消すと、彼を波間に浮かべた。
いつの間にか、船はいなくなっていた。
ジェイドはやがて沈んで見えなくなった。
私は何者なのか?
問うても応える人はいない。
今宵も青年像に話し掛ける。
前は名前はなかったけど、今はジェイドと付けた。
「サファイヤ」
彼の澄んだ低い声が私を甘く呼んでいる。
「ジェイド、私はここにいるよ。早く迎えに来て。ずっと一緒だよ」
サファイヤは彼の腕に抱かれる夢を見て、幸せそうな顔で微睡んでいた。