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8.我が魂に刻まれしは古の盟約……って何ですの?

「はあ…………」


 わたくし、エリザベス・ヴァイスリングは、重いため息を禁じえませんでしたわ。


 前回の、あの強烈な「お母様大好き」侯爵様との顔合わせから数日。わたくしの精神は、いまだかつてないほどに疲弊しておりました。


 ええ、ええ、ええ、わたくしだって、お母様を大切に思う心は素晴らしいと思いますわよ。ええ、それはもう、結構なことですわ。ですが、結婚相手の条件が「わたくしの母を、わたくし以上に敬愛し、生涯をかけてお世話すること」では、さすがに……ねえ?


 セバスチャンが淹れてくれた特製のハーブティーの香りが、ささくれた神経をわずかに癒してくれます。


「お嬢様、あまり気を落とされませんように。次こそは、きっと……」


「ええ、分かっておりますわ、セバスチャン。次こそは……『普通の人』ですわよね?」


 わたくしの言葉に、セバスチャンは一瞬遠い目をしておりましたが、すぐにいつもの表情に戻り、「もちろんでございます」と力強く頷いてくれましたわ。その「間」が気にならないわけではございませんけれど、今は信じましょう。


 さて、本日の顔合わせのお相手は、子爵家の三男、エドガー様という方。お父様である子爵は堅実な領地経営で知られ、そのご子息であるエドガー様も、若くして博識、特に歴史や哲学に造詣(ぞうけい)が深いと釣書にはありましたわ。


 落ち着いた雰囲気……ああ、なんと素晴らしい響きでしょう! 前回の衝撃が強すぎたせいか、もう「落ち着いた」というだけで後光が差して見えますの。


「若手ながら知的な雰囲気を纏った貴族……ふふ、今度こそ、落ち着いた殿方との建設的な会話が期待できそうですわね!」


「左様でございますな。お嬢様の博識ぶりも、存分にお示しになれるかと」


 セバスチャンの言葉に、わたくしは胸を張りました。ええ、こう見えても公爵令嬢。それなりの教養は身に着けておりますもの。


 指定された王都のサロンへ到着すると、奥の席で一人の青年が静かに書物を読んでいるのが見えました。

 年の頃はわたくしと同じくらいでしょうか。すらりとした長身に、銀縁の眼鏡の奥の瞳は理知的で涼やか。服装も華美すぎず、しかし上質なものを品良く着こなしていらっしゃいます。


(まあ……! なんて知的な雰囲気の方なのでしょう!)


 わたくしの心は、久しぶりに期待に高鳴りましたわ。


「エドガー様でいらっしゃいますか? エリザベス・ヴァイスリングにございます」


 わたくしが声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げ、穏やかに微笑みました。


「エリザベス嬢。お待ちしておりました。エドガー・シュトラウスです。どうぞお掛けください」


 その声もまた、落ち着いていて心地よいものでしたわ。


 席に着き、まずは当たり障りのない天気の話から始まり、やがて釣書にあった通り、歴史や哲学の話へと移っていきました。


「……近頃の若い貴族たちは、古典よりも実学を重んじる傾向にありますが、歴史にこそ我々の進むべき道が示されていると、私は思うのです」


 エドガー様は、熱っぽく、しかし静かに語ります。


(まあ、しっかりとしたお考えをお持ちだこと!)


 わたくしは感心しきりで、彼の言葉に耳を傾けておりました。ここまでは。



「例えば、古代アルカディア文明の叡智。彼らは星の運行を読み解き、世界の(ことわり)()っていたと言います。しかし、その知識はあまりにも深遠すぎたため、時の権力者によって封印されてしまった……」


「まあ、そうなのですか。わたくし、そこまでは……」


 わたくしの知らない歴史もあるものですわね、と相槌を打ちますと、エドガー様は口元に謎めいた笑みを浮かべました。……ええ、確かに「謎めいた」としか表現できない笑みでしたわ。


「フッ……エリザベス嬢、貴女もまた、その封印されし知識の断片に触れる資格を持つお方やもしれません」


「……え? わたくしが、ですか?」


 突然のことに、わたくしは戸惑いを隠せません。


 すると、エドガー様は眼鏡の位置をくい、と中指で押し上げながら、やや声を低めてこうおっしゃいました。


「いかにも。貴女のその瞳の奥に、私は感じるのです。常人には視えぬ『何か』を……それは、運命の螺旋の中で幾度も邂逅(であい)を果たしてきた、魂の記憶の残滓(かけら)やもしれませんぞ」


 …………はい?


 わたくしは一瞬、自分の耳を疑いましたわ。運命の螺旋? 魂の記憶?


(あの……この方、一体何を……?)


 わたくしの肩がぴくりと動いたのを、セバスチャンは見逃さなかったようで、背後からそっと咳払いが聞こえました。落ち着け、わたくし。まだ慌てるような時間じゃない。……はず。


「あ、あの、エドガー様? それはつまり、どういった……?」


「ククク……言葉で説明するのは野暮というもの。いずれ、貴女も理解(わか)(とき)が来るでしょう。私――いや、我と契約を交わす覚悟がおありならば、ですが」


 覚悟? 契約? 何の話ですの!? えっこれ結婚のことを言ってるんですの……?


 エドガー様は、うっとりとした表情で窓の外を見つめ、独り言のようにお続けになります。


「ああ……感じる。我が内に眠る古の龍(エンシェントドラゴン)の血が、今、目覚めの刻を迎えようとしている……! この力が完全に覚醒した時、世界は新たな秩序の前にひれ伏すことになるだろう……!」


 ドラゴンの血……? 新たな秩序……? なんだか口調も変わっているようですし……。

 わたくしはもう、どこから突っ込めばよいのか分かりません。ただ、口を半開きにして彼を見つめることしかできませんでしたわ。


「エリザベス嬢、貴女こそ、我が魂の片割れ……いや、『久遠(くおん)の盟約』によって選ばれし巫女なのかもしれぬな」


「み、巫女……ですって?」


「そう。そして、我と共に世界の真理を解き明かし、来たるべき『終末の日』に備え、混沌の深淵を覗き込むのだ! それこそが、我ら二人が結ばれるべき宿命(さだめ)!」


 エドガー様は、いつの間にか立ち上がり、芝居がかった仕草でわたくしに手を差し伸べていらっしゃいました。その瞳は、どこか現実離れした熱に潤んでいるように見えます。


(だ……駄目ですわ、この方……! 全然、これっぽっちも『普通』ではございませんわ!)


 わたくしの脳内で警鐘がけたたましく鳴り響きます。知的で落ち着いた雰囲気はどこへやら。目の前にいらっしゃるのは、壮大な物語の主人公を気取った、少々……いえ、かなり痛々しい殿方ではありませんか!


 ちょうどその時、サロンの給仕の方がお茶を運んできて、エドガー様の足元に置かれた鞄に軽くつまずいてしまいましたの。


「も、申し訳ございません!」


 給仕の方が慌てて謝罪するのですが、エドガー様は鋭い視線を彼に向け、こう言い放ちました。


「フン……愚かな。今の揺らぎは、単なる偶然ではないな。これは『奴ら』……世界の理(ワールズプリンシプル)を歪める存在の、我らへの警告に違いない……!」


 そして、わたくしに向き直り、真顔でこうおっしゃるのです。


「エリザベス嬢、我らの前途には、幾多の試練が待ち構えているようだ。だが、恐れることはない。この私が、必ずや貴女を守り抜いてみせる!」


 …………もう結構ですわ。お腹いっぱいですの。


 わたくしは、差し伸べられた彼の手をそっと押し戻し、できる限りの作り笑顔で申し上げました。


「エドガー様。その……大変、壮大なお話、ありがとうございます。ですが、わたくしのような凡俗の者には、少々荷が勝ちすぎるようでございますわ」


「何を言う! 貴女こそが選ばれし……!」


「いいえ、わたくしは、世界の真理にも終末にも、ましてや混沌の深淵にも、とんと興味がございませんの。わたくしが望みますのは、ただ穏やかで、平凡な家庭を築けるお相手でしてよ」


 エドガー様は、わたくしの言葉に心底驚いたというように目を丸くし、やがて、ふらり、と椅子に崩れ落ちました。


「な……なぜだ……なぜ理解(わか)ってくれぬのだ、我が魂の叫びを……! これほどの熱情(パトス)を込めて語っているというのに……!」


 その姿は、先程までの自信に満ち溢れたように見えた様子とは裏腹に、ひどく哀れで……ええ、正直に申し上げて、痛々しくて見ていられませんでしたわ。


 わたくしはセバスチャンとそっと顔を見合わせました。セバスチャンもまた、眉間に深い皺を寄せ、小さく首を振っています。


(ええ、ええ、分かりますわ、セバスチャン。これはもう、わたくしたちの手に負える案件ではございませんわね……)


 お茶もろくにいただかないまま、わたくしたちは早々に退散することにいたしました。

 サロンを出て、馬車に乗り込むと、どっと疲れが押し寄せてきましたわ。


「セバスチャン……わたくし、何か間違っておりましたでしょうか……?」


「いいえ、お嬢様。お嬢様は何も間違っておりません。ただ……その、エドガー様の世界観が、少々、独特でいらっしゃっただけでございます」


 セバスチャンの言葉はどこまでも穏やかでしたが、その声には、隠しきれない同情と、ほんの少しの呆れが滲んでいたように思います。


「魂に刻まれし古の盟約、ですって……? わたくし、そんなもの、これっぽっちも記憶にございませんのに……」


 馬車の揺れに身を任せながら、わたくしは再び深いため息をつきました。


 久しぶりに、最初のお相手だったアーサー様を思い出します。彼は確かに身分を偽ってはおりましたけれど、少なくとも、会話は通じましたわ。彼の言葉は、彼自身のものだったように思います。あんな風に、突拍子もない言葉でわたくしを煙に巻こうとはなさいませんでしたもの。


「次こそは……次こそは、本当に、本当に『普通の人』と出会えますように……!」


 わたくしの切実な願いは、果たしていつになったら聞き届けられるのでしょう。婚活の道は、かくも険しいものだったとは……。


 それでも、わたくしは諦めませんわ。ええ、元「悪役」令嬢の意地にかけて、必ずや「普通」の幸せを掴んでみせますとも! ……たぶん。きっと。おそらくは。


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