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4.鏡よ鏡、この世で一番美しいのは……俺!

 前回のバークレイ伯爵との、あまりにも衝撃的なお顔合わせ……いえ、あれはお顔合わせなんて呼べる代物ではございませんでしたわね。ええ、わたくしの苦い記憶に新たな1ページが刻まれた記念すべき日となりました。


 あの後、三日三晩うなされたのは言うまでもありません。わたくしが誰かを踏みつける悪夢を繰り返し見て、そのたびに飛び起きるのですもの!


「お嬢様、また新しい釣書が山のように届いておりますが、いかがなさいますか? しばらくお休みになられますか?」


 セバスチャンが、心なしか心配そうな、それでいてどこか面白がっているような複雑な表情で尋ねてきました。わたくしは、青白い顔で首を横に振りましたわ。


「いいえ、セバスチャン。ここで立ち止まっていては、いつまで経っても『普通の人』には出会えませんもの。……ええ、もう、何が普通なのか、さっぱり分からなくなってきましたけれど」


 そう、あのバークレイ伯爵の一件以来、わたくしの「普通」の基準は大きく揺らいでいるのです。もしかしたら、わたくしが求めている「普通」こそが、この世で最も稀有(けう)な存在なのかもしれない、なんて哲学的なことまで考えてしまう始末。


「それで? 次のお相手はどのような方ですの?」


 差し出された釣書の束の一番上にあったのは、ひときわ豪華な装丁のものでした。


 グランディオーソ公爵家ご令息、ルシアン様。お年はわたくしより二つ下。添えられた紹介文には、「類稀(たぐいまれ)なる美貌の持ち主にして、神々が愛したもうた芸術的才能の傑物。その輝きは太陽すら霞ませる」といった、読むこちらが恥ずかしくなるような賛辞が延々と書き連ねられておりました。


 描かれた肖像画も……まあ、確かに息をのむような美青年でしたわ。完璧な黄金比とでも申しましょうか。けれど、その自信に満ち溢れすぎた表情に、わたくしの心は早くも、また何かあるのでは……と警鐘を鳴らしておりましたの。


「セバスチャン、この方……大丈夫なのでしょうか。この紹介文、少々誇張が過ぎるような気がいたしますけれど」


「さようでございますな。ただ、グランディオーソ公爵家といえば、王国内でも指折りの名門。そのご子息となれば、家柄も申し分ございません。お会いしてみる価値はあるかと」


「別に家柄は求めていないと言ったはずだわ……」


「存じ上げております。とはいえ、ご両親もまたそうであるとは限りませぬ。障害が少ないに越したことはないでしょう。お嬢様は今なお、貴族のご令嬢でありますからな」


 セバスチャンの言葉に、わたくしはため息をつきました。ええ、ええ、分かっておりますわ。会ってみなければ何も始まらないことくらい。


(今度こそ、ただただ美しいだけの、穏やかな方でありますように……! もう、特殊なご趣味は勘弁していただきたいわ!)


 一縷の望みを託し、わたくしはルシアン様とのお顔合わせに臨むことにしたのでした。


 お約束の場所は、王都で最も格式高いと名高いホテルの最上階にある、特別な貴賓室。通された部屋は、壁一面が鏡張りになっており、シャンデリアの光が乱反射して、目がチカチカするほどでしたわ。


(な、なんですの、このお部屋は……落ち着きませんわね……)


 わたくしが周囲を見回していると、奥の扉が開き、かのルシアン様が登場なさいました。


 その瞬間、わたくしは思わず息を呑みました。


 肖像画以上の、まさに「生きた芸術品」とでも言うべき美貌。絹糸のように滑らかなプラチナブロンドの髪、天空の色を映したかのようなサファイアの瞳、そして、完璧な均衡を保った顔の造作。


 彼が歩を進めるたび、その姿が部屋中の鏡に映り込み、まるで何人もの美しい王子様が同時に現れたかのような錯覚に陥りましたわ。


(ま、まあ……! この世のものとは思えないほどの美しさ……!)


 一瞬、バークレイ伯爵の時とはまた違う意味で、心を奪われそうになりました。ええ、本当に、一瞬だけですけれど。


「やあ、エリザベス嬢だね。長らく待たせたかな? いや、この俺を一目見ることができたのだから、待ち時間など些細なことだろうけれど」


 開口一番、それですもの。わたくしの心に灯りかけた淡い期待の炎は、あっという間に鎮火いたしましたわ。


 ルシアン様は、わたくしの返事を待つでもなく、部屋の中央に置かれた豪奢な椅子にゆったりと腰を下ろし、すっと足を組みました。その一挙手一投足が、まるで計算され尽くした舞台のワンシーンのようです。


「エリザベス・ヴァイスリングと申します。本日はお目にかかれて光栄ですわ、ルシアン様」


 とりあえず、淑女の礼儀として挨拶をいたしますと、彼はチラリとわたくしに視線を向け、ふむ、と査定するような目つきをなさいました。


「うん、君もなかなか愛らしい部類に入ると言えるだろう。特にその髪の色は、俺のプラチナブロンドを引き立てるには悪くない。だが、この俺の隣に立つには、もう少し輝きが足りないな。まあ、それは追々、俺が磨き上げてあげよう」


(……なんですって? わたくしが、あなたを引き立てるため……?)


 早くも会話の雲行きが怪しくなってまいりました。わたくしが何か言い返そうとする前に、ルシアン様はスッと懐から小さな手鏡を取り出し、ご自身の顔をうっとりと眺め始めました。


「ああ、今日も俺は完璧なまでに美しい……。この輝き、この造形美、まさに神の最高傑作だ。エリザベス嬢、君もそう思うだろう?」


「は、はあ……まことに、お美しいとは思いますけれど……」


 曖昧に頷くしかありませんでしたわ。だって、ここで「いいえ、それほどでも」なんて言ったら、どんなことになるか分かりませんもの。


 そこからはもう、ルシアン様の独演会でしたの。


 彼がいかに幼い頃からその美貌で周囲を魅了してきたか。いかに多くの令嬢たちから熱烈な求愛を受けてきたか。いかに彼の描く絵画 (ご趣味は絵画だそうです) が天才的であると称賛されているか。そして、いかに彼自身が、自分自身の美しさと才能に酔いしれているか。


 ええ、それはもう、延々と、えんっえんと! ですわ。


 わたくしが何か話題を振ろうとしても、「まあ聞きたまえ、俺の輝かしい話の続きを」と遮られ、再び彼の自分語りが始まるのです。


 会話の途中、彼は頻繁にご自身の髪を指先で梳き、着ている豪奢な上着の皺ひとつないかを確認し、そして、何度も何度も手鏡を取り出しては、恍惚の表情を浮かべるのでした。


 部屋の壁一面が鏡だというのに、なぜわざわざ手鏡を……? ああ、そうでしたわ。彼はご自身の姿をあらゆる角度から確認なさりたいのでしょうね。ええ、きっとそうですわ。


「それで、エリザベス嬢。君との結婚についてだけれど」


 ようやく本題に入ったかと思いきや、彼の口から飛び出したのは、またしても想像の斜め上を行くお言葉でした。


「君の主な仕事は、この俺の、太陽にも勝る美しさを毎日欠かさず称え、俺の比類なき才能を世に広め、そして、俺の存在そのものが芸術であることを理解し、それに奉仕することだ。そうだな……例えるなら、我が輝きを称える乙女たちの長、といったところかな!」


 彼は、それはもう真顔で、きっぱりとそうおっしゃいましたの。


(乙女たちの長、ですって……? 奉仕……? わたくし、結婚相手を探しているのであって、崇拝対象を探しているわけではございませんのよ……?)


 わたくしは、もはや怒りを通り越して、一種の呆れを感じておりました。


「あの、ルシアン様。わたくしは、お互いを尊重しあい、共に穏やかな家庭を築けるようなお相手を望んでおりますの。どちらか一方が奉仕するような関係は、少し違うのではないかしらと……」


 精一杯、穏便に、しかしはっきりとわたくしの考えを述べたつもりでした。


 すると、ルシアン様は心底不思議そうな顔で、小首を傾げました。


「おや、エリザベス嬢。君は何か勘違いをしているようだ。この俺、ルシアン・グランディオーソと結婚できるのだぞ? それ以上の幸せが、この世に存在すると思うのか? 俺のそばにいられるだけで、君は世界で最も幸運な女性の一人となるのだ。それを理解したまえ」


 彼の瞳には、微塵の疑いもございません。彼は本気で、心の底からそう信じているのです。


(ああ、もうだめだわ、この方とは話が通じない……)


 わたくしは、早々に退散することを心に決めました。このままここにいても、彼の美しさを称える言葉を強要されるだけで、精神がすり減るだけですもの。


「ルシアン様、本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。ですが、どうやらわたくしでは、あなた様のお眼鏡にかなうお相手にはなれそうにございませんわ。このお話は、なかったことにしていただけますでしょうか」


 できる限り丁寧な言葉を選び、席を立とうといたしました。

 すると、ルシアン様は少し驚いたような顔をしましたが、すぐにいつもの自信に満ちた笑みを浮かべました。


「ふむ、賢明な判断だ、エリザベス嬢。確かに、今の君では、この俺の隣に立つにはまだ早いかもしれないな。だが、心配することはない。君がもう少し自分を磨き、俺の美しさ、偉大さを真に理解できるようになった時、再びこの俺の前に現れることを許そう。その時まで、さらばだ」


 最後まで、どこまでも上から目線。わたくしはもう、何も言う気にもなれず、そそくさとその鏡張りの部屋を後にしたのでした。


 帰り道、セバスチャンは何も言いませんでしたが、その背中がわずかに震えているのを見逃しませんでしたわ。ええ、きっと笑いを堪えていたのでしょうね。わたくしだって、笑えるものなら笑いたい心境でしたけれど。


「お嬢様、今回のお相手もまた、大変個性的でいらっしゃいましたな」


 屋敷に戻ってから、ようやくセバスチャンが口を開きました。


「ええ、本当に……。顔が良いだけでは、お腹も心も満たされませんのよ、セバスチャン。わたくし、美味しい紅茶と、普通の会話がしたいだけなのですけれど……」


 ぐったりとソファに沈み込みながら、わたくしは心の底からため息をつきました。


「でも、何度失敗したって、わたくしは諦めませんから! 次こそ! 次こそは、きっと……!」


 もはや口癖のようになってしまった決意の言葉を、わたくしは自分に言い聞かせるように呟きました。


「それにしても、セバスチャン。あれだけご自分を美しいとおっしゃるのなら、いっそのこと、鏡とお結婚なさった方が、あの方もお幸せになれるのではないでしょうかしら?」


 最後にチクリと毒づくと、セバスチャンは「お嬢様、それは名案でございますな」と、真顔で頷くのでした。


 ええ、本当に、わたくしの婚活は、一体どこへ向かっているのでしょうね……。


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