2.初めての相手は好印象……からの!?
顔合わせ当日。わたくしは、セバスチャンが手配してくれた馬車に揺られ、約束の場所である王都の少し外れにある、静かで上品な雰囲気のレストランへと向かいました。
この日のために新調した、けれど決して華美ではない、落ち着いた藤色のドレスは、今のわたくしの心境をよく表しているようで、少しだけ気に入っていますの。
個室に通されると、そこには既に一人の男性が待っていらっしゃいました。彼が、アーサー様。
「エリザベス・ヴァイスリング様でいらっしゃいますね。アーサー・アシュフォードと申します。本日はお目にかかれて光栄です」
立ち上がり、丁寧にお辞儀をしてくださったアーサー様の第一印象は……ええ、とても良かったですわ。釣書で拝見した肖像画よりも、ずっと素敵な方でした。
すらりとした長身。少し癖のある、柔らかな栗色の髪。穏やかそうな目元、知性を感じさせる口元、そして何よりも、その物腰の柔らかさと、声の心地よさ。
これ見よがしな装飾品などは一切身に着けておらず、けれど仕立ての良い、清潔感のある服装も好感が持てます。
(まあ、なんて素敵な方……! 彼こそが、わたくしの求める「普通の人」なのかしら……!)
緊張で強張っていたわたくしの心も、彼の醸し出す穏やかな雰囲気のおかげで、少しずつ解れていくのを感じました。
「アシュフォード様こそ、本日はお越しいただきありがとうございます。エリザベスと申しますわ。どうぞ、お見知りおきを」
わたくしも淑女のカーテシーを返し、席に着きました。テーブルの上には、可愛らしい花が飾られ、窓からは柔らかな陽光が差し込んでいます。最高のシチュエーションですわ。
会話は、最初こそ少しぎこちなかったものの、すぐに驚くほど自然に弾み始めました。
アーサー様は聞き上手でいらっしゃって、わたくしの拙い話にも、うんうんと優しく相槌を打ちながら耳を傾けてくださいます。そして、彼が話す言葉は、どれも思慮深く、それでいて決して退屈ではないのです。
「エリザベス様は、読書がお好きだと伺いました。どのような本をお読みになるのですか?」
「まあ、専門的なものではなくて、歴史物や詩集などを少々……。アシュフォード様は?」
「私もです。特に、古代の英雄譚や、自然を詠った詩集には目がありません。先日読んだ『風の竪琴』という詩集は、実に素晴らしかった」
「まあ! わたくしもちょうど、その詩集を読んでいるところですの! なんて偶然でしょう!」
共通の趣味が見つかると、会話はさらに生き生きとしたものになりました。読書だけでなく、庭園の散策や、素朴な焼き菓子が好きだということまで、私たちの好みは面白いほど一致していたのです。
それだけではありません。将来の家庭に対する考え方や、日々の暮らしの中で大切にしたいことなど、価値観の面でも、私たちは驚くほど近かったのです。
「私は、大きな富や名声よりも、日々の小さな幸せを大切にできるような、穏やかな家庭を築きたいと考えています」
アーサー様がそうおっしゃった時、わたくしは思わず胸が熱くなりました。それこそ、わたくしが心の底から望んでいることだったからです。
「わたくしも……わたくしも、同じですわ!!」
気づけば、わたくしは心の壁をすっかり取り払い、昔からの友人と語り合うかのように、彼との会話を楽しんでいました。笑いのツボまで似ていたのには、さすがに運命を感じずにはいられませんでしたわ。
(ああ、なんて素敵な時間でしょう! こんなに気が合う方が、この世にいらっしゃったなんて……!)
わたくしは、感動で胸がいっぱいでした。彼こそが、神様がわたくしのために遣わしてくださったお相手に違いない、と。
あっという間に時間は過ぎ、お開きの時刻となりました。
「本日は、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。エリザベス様のような聡明で美しい方とお話できて、心から光栄に思います」
アーサー様は、最後にそう言って、わたくしの手を取り、その甲に軽く口づけをくださいました。その仕草はあまりにも自然で、紳士的で、わたくしの頬はほんのりと赤らんだことでしょう。
「わたくしの方こそ、アシュフォード様とお会いできて、本当に嬉しかったですわ。また近いうちに、お話の続きができればと……」
社交辞令ではなく、心からの言葉でした。だというのに、彼のどこか寂しげな笑顔が、やけに記憶に残りました。
帰り道、馬車の中でセバスチャンが尋ねてきました。
「お嬢様、いかがでしたかな? アシュフォード子爵は」
わたくしは、隠しきれない喜びで満面の笑みを浮かべ、即答しました。
「ええ、セバスチャン! すごく、すごく楽しかったですわ! あんなに話が弾んで、価値観も合う方、初めてお会いしました! きっと、きっとうまくいきますわ! 間違いありません!」
(私の結婚相手探し、最初から大成功じゃないかしら!? もう、これで普通の幸せな生活が手に入るのね! なんて素晴らしいのかしら!)
心の中で、わたくしは小躍りしていました。セバスチャンも、そんなわたくしの様子を見て、珍しく「それはようございました。良いご縁になりますよう、私も願っておりますぞ」と、優しい言葉をかけてくれたのです。
それから数日。わたくしは、アーサー様からの良いお返事を、今か今かと待ちわびておりました。次に会う時はどんなお話をしましょうか、どんなお菓子を一緒にいただきましょうか、そんなことばかり考えて、胸をときめかせていたのです。
――しかし。
その期待は、数日後、セバスチャンによって無残にも打ち砕かれることになりました。
朝食を終え、庭でハーブの手入れをしていたわたくしの元へ、彼がいつになく深刻な、そして言いづらそうな顔でやってきたのです。
「お嬢様、大変……申し上げにくいのですが。……ご報告することが、ございます」
そのただならぬ雰囲気に、わたくしの胸は嫌な予感で騒ぎました。
「……何ですの、セバスチャン。改まって」
「先日お会いになられた、アシュフォード子爵の件でございますが……誠に申し訳ございません、あの殿方の経歴に、重大な詐称がございました」
「…………え?」
一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。詐称? 経歴に? アーサー様が?
「詳しく調査いたしましたところ、アシュフォード子爵と名乗っていたあの者は、近隣国の貴族などではございませんでした。それどころか……ただの、一介の商人に過ぎなかったことが判明いたしました」
「しょ、商人? なにかの……間違いでは……?」
「間違いございません。お見合いを斡旋した仲介人もグルだったようで、巧妙に身分を偽っておりました。本物の貴族であるかのような書類も、全て偽造されたものでございました」
詐称の理由や、なぜそのようなことをしたのか、といった詳細は、把握しているのかいないのか、セバスチャンの口からは語られませんでした。ただ、冷酷な事実だけが、わたくしの頭を鈍器で殴られたかのように揺さぶりました。
頭が真っ白になりました。
あの穏やかな笑顔も、心地よい会話も、共感しあった価値観も、全てが嘘だったというのでしょうか。わたくしは、またしても騙されたというのですか。
怒りよりも先に、深い、深い落胆と、そして言葉にできないほどの徒労感が、大波のようにわたくしを襲いました。
(また……またこれですの……? どうして、わたくしは……何をやっても上手くいかないのかしら……?)
かつての断罪劇が脳裏をよぎり、全身から力が抜けていくのを感じました。もう、何もかもがどうでもよくなってしまうような、そんな虚無感。
「……お嬢様、いかがなさいますか。この件、正式に抗議し、相手方を官憲に訴えることも可能かと存じますが」
セバスチャンの冷静な声が、遠くで聞こえるようでした。
わたくしは、力なく首を横に振りました。
「もう……いいですわ。そんな気力、どこにも残っておりませんの。どうでもいいです……何もかも……」
疲弊しきった表情でそう答えるのが、今のわたくしには精一杯でした。
その日、わたくしは久しぶりに自室に引きこもり、一人静かに涙を流しました。
あんなに楽しかった時間が、全て偽りだったなんて。あんなに「普通の人」だと思えた方が、結局は嘘で固められた虚像だったなんて。
もう、誰も信じられない。
そう思いました。
けれど。
一晩泣き明かして、少しだけ冷静さを取り戻すと、心の隅で小さな声が囁くのです。
まだ、たった一人目ではありませんか、と。
それに……確かに、アーサー様の嘘は許されることではありません。けれど、彼と過ごしたあの時間、あの会話が、全て偽りだったとは、どうしても思えなかったのです。彼の言葉の中に、確かに真実のかけらがあったように感じられたのは、わたくしの願望なのでしょうか。
(……分かりませんわ)
でも、ここで諦めてしまっては、それこそ何も変わりません。
「きっと……きっと次は、本当に大丈夫な方がいらっしゃるはず……」
わたくしは無理やり自分を鼓舞しました。
「次こそ、『普通の人』と出会って、普通の幸せを手に入れてみせるんですから!」
そうは言っても、心のどこかで、アーサー様のことを完全に割り切れない自分がいるのも事実でした。嘘はつかれたけれど、話は本当に楽しかったし、決して悪い人ではなさそうだった……そんな未練がましい思いが、胸の奥に小さな棘のように残っていたのです。
こうして、わたくしの初めての顔合わせは、衝撃的な結末と共に幕を閉じました。
そして、それはこれから始まる、長く険しい「普通の人」探しの道のりの、ほんの序章に過ぎなかったのですけれど。
その時のわたくしは、まだ知る由もありませんでした。
この話を書いていて「登場人物が勝手に動く」初めての経験をしています。
どうか、エリザベスを応援していただけると嬉しいです!