12.告白と大いなる挑戦
市場での偶然の再会から数日後。わたくし、エリザベス・ヴァイスリングの元に、一通の手紙が届けられましたの。差出人の名を見て、わたくしは思わず息を呑みました。
アーサー・アシュフォード。
あの日、市場で見かけた、わたくしの初めてのお見合い相手であり、そして、衝撃的な経歴詐称でわたくしの婚活デビューをある意味で華々しく飾ってくださった、あのアーサー様からでした。
手紙には、時候の挨拶と共に、ただ一言、「もう一度だけ、エリザベス様にお会いし、お伝えしたいことがございます」とだけ、丁寧な文字で綴られておりました。
(アーサー様が、わたくしに……? いまさら、一体何を……?)
心臓が、嫌な予感と、わずかな好奇心でざわめきました。あの日の市場での真摯な働きぶり、そして以前と変わらぬ穏やかな雰囲気が脳裏をよぎります。
「セバスチャン、どうしましょう……。アーサー様から、面会を求めるとの手紙が……」
わたくしが不安げに相談いたしますと、セバスチャンはいつものように冷静な表情で、しかしその瞳の奥には確かな警戒の色を浮かべておりました。
「ほう、あのアーサー殿からでございますか。……して、お嬢様はどのようになさりたいので?」
「それは……その……」
正直に申しまして、お会いするべきか、かなり迷いました。一度はわたくしを欺いた方ですもの。
けれど、手紙の文字からは欺瞞の匂いは感じられませんでした。むしろ、どこか切実な響きさえ覚えたのです。
そして、市場で見かけた彼の真摯な姿、そして何よりも、あの初めてお会いしたときの、心地よく弾んだ会話の記憶が、わたくしの背中を押したのです。
「……お会いしてみようと思いますわ。ただし、セバスチャン、あなたも同席してくださいますこと?」
「もちろんでございます、お嬢様。お嬢様のそばを離れることなど、このセバスチャン、天地がひっくり返ろうともございません」
そう言って恭しくお辞儀をするセバスチャンに、わたくしは少しだけ勇気づけられたのでした。
そして、約束の日。
わたくしたちは屋敷の応接室でアーサー様をお待ちしておりました。セバスチャンはわたくしの斜め後ろに、まるで護衛の騎士のように控えております。
やがて、扉が静かに開き、アーサー様が現れました。
たった数日だというのに、市場でお見かけした時よりもさらに、そのお姿は変わって見えましたわ。上質な、しかし決して華美ではない旅装を身に纏い、以前よりも日に焼けた肌は健康的で、その顔つきはどこか精悍さを増しておいでです。
けれど、その瞳に宿る穏やかで知的な光は、初めてお会いした時のままでした。
「エリザベス様、そしてセバスチャン殿も。本日はお時間をいただき、誠にありがとうございます」
アーサー様は深々と頭を下げられました。その物腰は、以前と変わらず丁寧で、けれどどこか以前よりも堂々としているように感じられます。
「アーサー様、本日はどのようなご用件でいらっしゃいましたの?」
わたくしが尋ねると、彼はまず、まっすぐにわたくしを見つめ、そして再び深く頭を下げました。
「エリザベス様。本日は突然このような申し出をいたしましたこと、お詫び申し上げます。そして何よりもまず……かつて、私が身分を偽り、貴女を欺いたこと、心の底から、深く、深く謝罪いたします。まことに、申し訳ございませんでした」
その声は真摯で、彼の表情には後悔の色が濃く浮かんでおりました。わたくしは、ただ黙って彼の言葉を聞いておりましたわ。
「……私が、なぜあのような愚かな真似をしたのか、今さら申し開きをするつもりはございません。ただ……どうしても、エリザベス様にお伝えしたいことがあるのです」
そう言って顔を上げたアーサー様の瞳は、どこか潤んでいるように見えました。そして、彼の口から語られたのは、あまりにも衝撃的な事実でしたの。
「エリザベス様……実は私は、貴女が通っておられた学園の、同窓生なのでございます」
「え……?」
思わず、わたくしは間の抜けた声を出してしまいましたわ。学園の同窓生ですって? このわたくしが? 全く記憶にございません。
だって、あの頃のわたくしは…そうです、アレクサンダー殿下の婚約者という立場を守るのに必死でした。そして、当時のわたくしは、あの忌まわしい断罪劇を回避することに必死で、周囲の、その、なんというか……その他大勢の方々を気にかける余裕など、微塵も持ち合わせておりませんでしたもの。
わたくしの困惑を察したのか、アーサー様は少し寂しそうに微笑まれました。
「もちろん、エリザベス様が私のことなどご記憶になくとも当然です。私は、平民階級から奨学金を得て通っていた、いわゆる特待生でございました。ヴァイスリング公爵家のご令嬢であるエリザベス様のような高位貴族の方々とは、学年も学級も、そして何よりも住む世界が違っておりましたから……」
彼の言葉に、わたくしの脳裏にかすかな記憶が蘇ってきました。そういえば、学園の片隅で、いつも数人の友人たちと静かに本を読んでいた、目立たない男子生徒がいたような……。まさか、あの方が?
「私は……学園時代から、いつもエリザベス様のお姿を遠く拝見しておりました」
「その美しさ、気高さ、そして、時折お見せになる寂しげな表情……。その全てが、私の心を捉えて離しませんでした。いつしか私は、身分も顧みず、貴女様に強い憧憬の念を抱くようになっていたのです」
彼の言葉に、わたくしはただただ驚くばかりでした。あの、悪役令嬢とまで呼ばれたわたくしに、憧憬を……?
「エリザベス様が、あの卒業パーティーで断罪の危機に瀕された時……私は、何もできずに、ただ歯噛みするばかりでした。非力な自分が、どれほど情けなかったことか……。その後、貴女が静かにお暮らしになっていると風の噂に聞き、安堵すると同時に、いつか、一目だけでもお会いしたいと、そう願っておりました」
アーサー様の声は、次第に熱を帯びてまいりました。
「そして……エリザベス様が、結婚相手を探し始めたと知ったのです。私は、もう、居ても立ってもいられませんでした。身分を偽ってでも、一度だけでも貴女にお会いし、お話がしたいと……そう、愚かにも考えてしまったのです」
彼の頬を、一筋の涙が伝いました。
「貴女を騙したことは、決して許されることではないと、重々承知しております。ましてや、私は平民出の、一介の商人に過ぎません。貴女のような高貴な方を不快にさせただけで、もう二度とお目にかかる資格などないことも……」
アーサー様は一度言葉を切り、そして、まるでわたくしたちが初めて会ったあの日のように、少しだけぎこちなく、しかし確かな力強さで、ご自身のその後について語り始めました。
「一度だけでもお会いすればこの分不相応な想いも落ち着くはず……そう思っていたのです。しかし、時が経てば経つほどに貴女への想いは募っていき、同時に、湧き上がる後悔に苛まれ続けました」
「アーサー、様……」
「そして、半ば自暴自棄のような気持ちで、王都を離れ、まだ誰も足を踏み入れたことのないような、危険な未開の地へと向かったのです」
「み、未開の地……!?」
「そこで、わたくしは偶然にも、かつて名を馳せたという元冒険者の男性や、森と共に生きる古の民…ええ、美しい耳を持つ森の民や、誇り高き獣人族の方々と出会いました」
(森の民に、獣人族ですって…!?)
わたくしの口が、あんぐりと開いていたかもしれませんわ。彼の話は、もはや普通の商人の身の上話の範疇を、遥かに超えておりました。
「彼らは最初こそわたくしを警戒しておりましたが、幸いにも、わたくしの持つわずかな知識や商いの才を認めてくださりました。当時の私はこの身がどうなろうと構わないと思っておりましたが、その振る舞いを勇敢さとして捉えてくれたのかもしれません
……そして、彼らと協力して、誰も知らなかった新たな交易路を切り開くことができたのです。それから寝食を忘れて働き……ようやく、王都に店を構えるだけのものを築き上げることができました」
「…………」
もう言葉もありませんでした。
王都に店舗を構えるというのは、この国に暮らす全ての商人の憧れだと聞きます。一握りの成功者だけがそれを成し得るのだと。
それを、わずか二年という短期間で……? 平民の、「その他大勢」だった彼が……?
それは、とてつもない才能と、血の滲むような努力、そして、よほどの強運の持ち主でなければ、成し遂げられるはずがございません。
(……普通じゃ、ないですわね……というか、普通どころの話ではございませんわっ!)
わたくしが内心で叫んでいると、アーサー様はふっと息を吐き、どこか吹っ切れたような、それでいて寂しさを湛えた表情でこうおっしゃいました。
「エリザベス様。わたくしは、ただ、もう一度だけ貴女にお会いして、心の底から謝罪を申し上げたかったのです。そして……そして、貴女がこれからお幸せになられることを、陰ながらずっと願っていると、そうお伝えしたかったのでございます。本日は、貴重なお時間をいただき、まことに申し訳ございませんでした」
そう言うと、アーサー様は再び深々と頭を下げ、そして、静かに立ち去ろうとされたのです。
その背中に、わたくしは、気づけば叫んでおりましたわ。
19時くらいに続けて次話を投稿します




