13 横暴と機転、鮮やかな脱出劇
早朝の陽光が、薄い霧を透して、落霞町の市場へと降り注ぐ。活気にあふれた街は、新しい一日を迎え、店先には様々な品々が並び、客を惹きつけていた。市場は、人々の喧騒と活気に包まれていた。
翔太と霞の花屋は、市場の一角に店を構えている。色とりどりの花は、美しく咲き乱れ、甘い香りを漂わせ、人々の心を和ませる。翔太は、霞の手伝いをしながら、花の手入れをする。その手つきは、以前よりも、ずっと手慣れて、自信に満ち溢れていた。彼の瞳には、落ち着きと、優しさが宿っていた。霞は、そんな翔太を横目で見て、心に温かいものが広がる。
霞は、少し離れたところで、魚を売る剛 の姿を見つけ、深呼吸をする。そして、花籠を手に取り、剛 の屋台へ向かった。
「…剛 さん、おはようございます。…今日は、早いんですね…」 霞は、剛 の傍へ歩み寄り、優しい笑顔で、いつものように、声をかけようとする。
剛 は、霞の声を聞き、一瞬、霞を見る。だが、その瞳は、冷たく、よそよそしい。いつものように、霞に笑顔を向けることもなく、ただ、小さく「…ああ…」と、返事をすると、黙々と、作業を続ける。
霞は、一瞬、言葉を失う。心が、締め付けられるように痛んだ。剛 の心が、まだ、わだかまっていることを、霞は、分かっていた。だが、どうすれば、良いのか、分からない。彼女は、言葉を探し、なんとか、説明しようとする。「…昨日のこと…私は…」 剛 に、自分の気持ちを分かってほしかった。自分が、彼のことを、嫌っているわけではないと、伝えたかった。
「…何も…言わなくて…いい…。…俺が…悪いんだから…」 剛 は、霞の言葉を遮る。その声は、冷たく、刺々しい。そして、どこか、苦しみに耐えているようだった。笑顔を浮かべることもせず、ただ、無表情で、手を動かす。
霞は、唇を噛み締め、俯く。剛 の心が、まだ、傷ついていることを知り、胸を痛める。霞は、ずっと、友達でいたいと願っていた。だが、その関係を、どうすれば修復できるのか、見当もつかなかった。彼女は、小さくため息をつくと、剛 の店の前に、花籠を置く。そして、何も言わずに、立ち去った。振り返った時、霞の心は、重く、足取りは、重たかった。
彼女は、花屋に戻り、複雑な思いを抱えていた。剛 の冷たさが、心を痛める。だが、どうすることもできない。大切な、友達を失いたくはない。だが、どうすれば、昔のような、関係に戻れるのか、分からなかった。
その時、突然、市場が騒がしくなった。派手な服装をした、悪そうな若者が、数人の部下を引き連れ、市場を、闊歩していた。その瞳は、傲慢と、軽蔑に満ち、まるで、自分の領土を巡回しているかのようだ。
「…これ全部…欲しいんだが…」 その若者は、大声で言う。その口調は、命令口調だった。彼は、果物屋の前に立ち止まり、バナナを手に取り、ゆっくりと皮を剥き始める。その視線は、店主を捉え、決して離さない。若者の部下たちは、冷たい目で傍観している。その姿は、威圧的で、誰にも逆らうことのできない雰囲気を醸し出していた。
果物屋の店主は、若者の姿を見ると、恐怖に顔を歪める。抵抗する気力もなく、ただ、俯き、若者の要求通りに、果物を包む。
「…全部で…いくらだ…?」 若者は、大声で聞く。その声には、苛立ちが滲み出る。
「…結構です。…どうぞ…お持ち帰りください…」 店主は、恐る恐る言う。彼は、この悪党の金を、受け取る勇気などなかった。
「…なんだと?…俺を…バカにしてるのか?…金がないと思ってるのか…?」 若者は、店主の言葉に顔色を変える。そして、店主の胸ぐらを掴み、怒鳴りつける。
店主は、暴力に怯え、恐怖で、顔を歪め、慌てて首を横に振り、懸命に弁解する。「…い…いえ…。そんな…ことは…ありません…。…あなたは…誤解を…」 店主は、恐怖で体が震え、必死に、許しを請う。
若者は、鼻で笑い、部下の一人に、顎で指図をし、「…二元…渡してやれ…」と、冷たく言い放つ。そして、店主を突き飛ばすと、部下を連れ、他の店へと、歩き出した。
二元という金額は、バナナの代金にも満たない。これは、店主に対する、あからさまな侮辱だった。若者の行為は、悪意に満ちており、市場の人々を、人として見ていなかった。
周りの店主たちは、その光景を見て、ただ、俯き、無力感と、恐怖に震える。誰も、声を上げる勇気はなかった。なぜなら、誰もが、この若者が、落霞町で悪名を轟かせている、岩城翔也だと知っているからだ。彼は、裕福な家庭に生まれ、権力を利用し、市場で、乱暴狼藉を働いていた。店に押し売りをしたり、買い叩いたり、善人をいじめたりする。誰もが、彼に逆らえば、酷い仕打ちを受けることを知っていた。
彼に、蹂躙される店主たちは、ただ、耐えるしかなかった。
岩城翔也は、部下を引き連れ、ゆっくりと、霞の花屋に近づいていく。そして、花屋の花を、見渡すと、視線は、霞を捉えた。その瞳には、下卑た笑みと、欲が浮かんでいる。彼は、口角をあげ、不気味な笑みを浮かべた。
「…この花…良いな…。…全部…もらうぞ。…包め…!」 岩城翔也は、花々を指さし、命令口調で言う。まるで、これらの花は、自分の所有物であるかのように。
霞の心は、沈んだ。岩城翔也の悪事は、耳にしていたが、直接、会ったのは初めてだ。彼は、傍若無人な態度を取るだけでなく、人の気持ちを、全く理解できない人間だった。彼女の店は、比較的、静かな場所にあるので、今まで、岩城翔也と、関わることはなかった。だが、彼女は、この男が、理不尽で、逆らえない人間であることを、知っていた。
霞は、争うことなど、無駄だと理解していた。だが、岩城翔也に、勝手に、やりたい放題には、させたくなかった。目の前の男は、あまりにも、酷すぎる。
「…お兄さん…花が…好きなら…全部…持っていかなくても…良いでしょう?…いくつか…選んでください…」 霞は、勇気を振り絞り、できるだけ冷静に話しかけた。
岩城翔也は、霞の言葉を聞き、顔色を変え、歩み寄り、霞の手を掴む。そして、彼女の、白い、柔らかな手の甲を撫でる。
「…お嬢さん…綺麗だね。…気に入ったよ。…この花は…お前に…プレゼントしよう…」 岩城翔也は、嫌らしい笑みを浮かべ、言葉を続ける。その瞳には、欲の色が宿っていた。
「…やめてください…!」 霞は、手を振り払い、岩城翔也から離れる。その表情は、嫌悪感で歪んでいた。
剛 は、霞の叫び声を聞き、胸を締め付けられる。霞を助けようとするが、一瞬、躊躇する。
「…へへ…気が強いな。…ますます…気に入ったよ…」 岩城翔也は、霞の拒絶する態度に、笑みを浮かべ、再び、霞に手を伸ばす。どうやら、簡単に引き下がるつもりはなさそうだ。
その時、翔太は、怒りを抑えきれず、岩城翔也の手を掴み、突き飛ばした。
「…何をするんだ…!」 岩城翔也は、突然、突き飛ばされ、怒号を上げる。まさか、自分に、逆らう者がいるとは、思っていなかった。
「…彼女に…触るな!」 翔太は、冷たい声で言う。その瞳には、怒りの炎が燃え盛る。霞を、絶対に、傷つけさせはしない。
「…へへ…どこからきた…ガキだ?…俺様に…口答えするとはな…」 岩城翔也は、翔太を見つめ、嘲笑う。「…面白ぇ…。…兄弟たち!…あいつを…ボコボコにしてやれ!」
岩城翔也は、冷笑しながら、手に持っていたバナナの皮を捨て、部下達に命令を下した。翔太に、自分のしたことの代償を払わせるために。
部下たちは、岩城翔也の命令に従い、翔太に襲いかかる。その動きは、早く、そして、力強い。弱い花屋の青年など、敵ではなかった。
すぐに、翔太は、男たちに押し倒され、体を地面に叩きつけられる。その衝撃に、翔太は、思わず、うめき声を上げる。
霞は、慌てて翔太の元へ駆け寄り、止めに入ろうとするが、一人の男に、突き飛ばされ、硬い地面に叩きつけられる。霞は、苦しみで、息も絶え絶えになった。
その時、剛 が、我慢できなくなり、前に飛び出し、霞を押し倒した男を突き飛ばし、霞を抱き起こす。その瞳には、怒りが宿り、低く、脅すような声で「…やめろ…。…もう…彼女たちを…いじめるな!」と、言う。
「…お、また一人…死にたがりの…登場だ!…兄弟たち!…まとめて…やっちまえ!」 岩城翔也は、ニヤリと笑い、剛 にも制裁を加えるように命じた。
剛 は、屈強な体格をしていたが、所詮、普通の漁師。経験を積んだ部下たちに、敵うはずもなく、すぐに、地面に押し倒され、身動きが取れなくなった。
霞は、焦っていた。そして、目の端から、涙が溢れ出ている。絶望的な気持ちで、岩城翔也を見つめ、「…お願いですから…もう…やめてください…。…花は…全部…持っていって構いませんから…だから…もう…やめてください…」と、懇願する。
「…へへ…本当に…情けないな…」 岩城翔也は、嘲笑いながら、地面に倒れている翔太と剛 を見下ろし、得意げに笑う。そして、手を振り、部下たちを止めた。そして、霞の近くに歩み寄る。その瞳には、欲の色が隠されていない。
霞は、慌てて、翔太と剛 を抱き起こす。彼女の両手は、震え、瞳は、不安と、悲しみに揺れていた。剛 を見つめると、その瞳には、感謝と、複雑な感情が溢れていた。「…剛 …大丈夫ですか?…さっきは…ありがとうございました…」
「…俺は…大丈夫だ…。…かすり傷だよ…。…心配するな…」 剛 は、首を横に振る。だが、どこか、よそよそしい。そして、視線を合わせようとはしない。
「…花も…欲しいし…お前も…欲しいな。…お嬢さん…今日は…坊ちゃんと…一緒に…来てもらうぜ…」 岩城翔也は、ニヤリと笑い、下品な言葉で、霞を誘う。
霞は、恐怖に震え、一歩後ずさる。だが、頭を冷静に保とうと努める。その時、翔太と剛 は、同時に声を上げる。「…やめろ!…行かせない!…殴られたいのは…俺たちだけで…お前には…行かせない…!」
岩城翔也は、二人の言葉を聞き、冷笑する。そして、まるで、刀のような眼差しで、翔太と剛 を睨みつけ、霞に向き直り、「…お前たち…まだまだ…殴られたいようだな?…お嬢さん…大人しく…こっちに来なさい…。…そうしないと…部下が…お前を…傷つけてしまうかもしれないぞ…」と、脅す。
岩城翔也が言い終えた瞬間、翔太は、頭を抱えた。再び、あの、予知映像が、頭の中に流れ込んできた。自分と剛 は、打ちのめされ、満身創痍となる。そして、霞に、岩城翔也が、恐ろしい行為をしようとしている。翔太は、強い危機感を覚え、このままでは、絶対に、いけないと感じた。
その時、翔太の目に、地面に落ちている、バナナの皮が映る。そして、予知映像が、再び頭をよぎる。自分が、バナナの皮を、岩城翔也が歩くであろう場所に置くと、彼は、転倒するのだ。
翔太は、躊躇せず、バナナの皮を拾い上げた。体は、まだ、部下に殴られ続けている。だが、痛みを感じながら、翔太は、バナナの皮を、予知映像と同じ場所に置いた。
岩城翔也は、ニヤリと笑い、霞に近づいていく。その視線には、欲望が溢れ、軽薄な言葉を紡ぐ。「…お嬢さん…今日は…お前を…じっくりと…楽しませてや…」
そして、次の瞬間、岩城翔也は、「…あっ!」と、情けない声を上げ、つまずいて転倒してしまう。
その場に、いた人々は、思わず、噴き出した。
さらに、恥ずかしかったのは、岩城翔也が転倒した際、ズボンが、近くにあった石に引っかかり、派手な赤い下着が、露わになってしまったことだ。その下着には、可愛らしい模様がプリントされており、岩城翔也の、普段の傲慢な姿とのギャップが、人々を、さらに笑わせた。
剛 は、足を捻挫し、立ち上がることができず、怒り狂い、部下を呼びつけ「…早く…俺を…助けろ…!」と、叫んだ。
翔太と剛 を殴っていた部下たちは、急いで、岩城翔也に駆け寄り、彼を、抱きかかえる。
霞は、急いで、翔太と剛 のもとへ駆け寄り、二人に手を差し伸べた。翔太の顔は青黒く腫れ上がっていたが、岩城翔也の姿を見て、笑いながら「…あんな…下着を履くなんて…。…本当に…似合わないな…」と、嘲笑った。
翔太の言葉に、周りの人々は、さらに大きな笑い声をあげる。これまで、我慢していた店主たちも、堪えきれずに、笑い出す。岩城翔也の、みじめな姿は、彼が、これまで築き上げてきたイメージを、一瞬にして、崩壊させた。




