第19話 ↓
彼等は、生涯救われることは無いだろう。
しかし、彼等はその目的を果たすまで、朽ちることも無い。
遠き日に喪われた楽園。
もう一度取り戻すためなら…何度でも。
総てを消し去り焼き尽くす。
凶争と狂想のオーケストラ。
…そして、
この時、この瞬間が…
真実、3つの世界を巻き込んだ"転換期"となるのだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
『くくっ…
けひゃひゃ……
ギヒヒ…
グフ……
ゲヒャハハ……
くひゃひゃひゃひゃッ
ギィヤァアッハッハッハッハッハハハハハハハハハハぁぁぁああアア"!!
ぉぃぉいオイなんですかコリャア!?
まさかとは思ってたがぁマジでまだガキじゃねぇか?』
……えと、
耳がキンキンする。
なんなのコイツ…!?
いきなり出てきて大爆笑してくれた上に、ものスゴいマシンガントークだし。
草むらから身を乗り出して、あたしを見る狼。
まっ白な毛並みは綺麗だけど…
口を歪めて笑う様子は、チェシャ猫よりスゴいかもしれない…。
「…あ、あの〜。
あなた誰ですか?」
恐る恐る、一番の疑問を口にしてみる。
こんな迫力あるの、ママの話に出てきたっけ?
それとさっきアタシのこと『ガキ』って言ったのが非常にムカつく!
『………あ゛?』
あれ?
なんか悪い反応。
『……あーあーそうですかぁ。
コッチの世界のお子様はぁ、オオカミさんに出会った時の礼儀作法ってのをこれっぽっちもわきまえてねぇってワケだ。』
不機嫌そうな声色で、狼が言った。
「礼儀作法?
そんなのがあるんだ。
アタシ全然知らなか…」
「アリスッ!
早く逃げてッ」
……え?
真っ青な顔で、狼を睨む子猫くん。
…え、なにこれ。
どーゆう状況……
『ギシャアアアアアアぁぁあッ!!!』
突然、狼が物凄い声で吼えた。
目の前で剥き出しになる、血に濡れた牙の行列。
「……え…?」
「…おまえ誰だ?」
声を震わせて、子猫くんが言った。
「この国には"オオカミ"の住人なんかいない!
…おまえ、ドコから来たんだ?」
『…クックッ…
なぁんだ、コイツの方がまだマシな反応するじゃねぇか。』
頭に前脚をあてがって、可笑しそうに身震いする狼。
『あー、でもダメだな。
30点くれてやる。
…いいかぁ?
森でオオカミと出くわした時の正しい作法…つまり反応はなぁ!!』
…なに?
どうなってるの?
この狼はなに?
冗談を言ってるの…
…それとも……!?
「…ッ!?
アリス危ないッ!!」
子猫くんの声で我に返ると、
狼が、口を大きく開いて飛びかかってきた。
「……ひっ!?
い…いやぁ!!」
ズドン!
死に物狂いで飛び退いたら、直後に狼が降ってきた。
爪が地面に食い込む。
「きっ…
きゃああああっ!?」
ヤバい!
コイツ普通じゃない!
逃げなきゃ……!!
『おーおー!
そうだよそれでいぃんだよ。
オオカミに会ったら悲鳴をあげて死ぬ気で逃げろ!
ソイツはお前さんをディナーにするつもりなんだから……なぁッ!』
ひぃ!
なんか物騒なコトおっしゃってますけど!?
言われなくてもダッシュで逃げてるって。
もうワケがわかんない!なんであんなおっかないのがいるの?
『ギヒャヒャヒャッ』
げ。
気味悪い笑いかたしないでよ……
と思った次の瞬間、狼があたしの目の前に降ってきた。
ドズン!
「ひきゃあッ!?
ちょ、ちょっと…人のアタマ飛び越すのはお行儀がワルいと思いますっ」
『カッハァ!
おもしれぇコト言うじゃんか。
まだそんだけ余裕があるみたいだから…
すぐに好きなだけ泣きわめかせてやるよ♪』
…ど、ドSだ!
スーパーサディスティック様だ!
「遠慮しときますぅ!」
一目散に逃げる!
あーもー勘弁してよ!
なんでこんなドSオオカミに追っかけられなきゃいけないの!?
「うわっと…!?」
必死で逃げてたら、何かにつまずいた。
あぶな〜、ずっこけるトコだったじゃ…
自分が蹴飛ばしたものを見て、あたしは硬直した。
……ウデ?
地面に、人間の腕が一本転がってる。
…よく見たら、これダンボールだ。
本物じゃない。
「…うわ…?
やだ、なによこれ」
気持ちワルい。
慌てて目を背けたら、今度は変なものが目に映った。
少し離れたところに、何かが積み上げられてる。
ゴミ捨て場みたい…
「…?
なにあれ……」
破れた紙みたいなのが、たくさん折り重なって………
見慣れたスペードのマークが目に映った時、あたしは理解した。
まさか……
『オマエがドコにいるのかさんざん聞いて回ったんだがよぉ、
どいつもこいつも知らないってさぁ…。
役に立たねぇからそのザマだ。』
「…アナタがやったの……?」
振り返って尋ねると、狼はニタリとした。
『半分はな。
あとは俺以外の奴が…』
「……なんで?
どうしてこんな事……
こんなヒドいことするの」
真っ正面から睨みつけると、狼は少しまじめな顔になる。
『…お前を見つけるためだ』
……あたし?
『俺達は……【Alice】、お前を迎えに来た』
「……"捕まえに来た"の間違いじゃない?」
『キヒャヒャ!
そーとも言うなぁ』
耳まで裂けた口で笑う、純白の狼。
笑い声がやむと、今度は静かに睨みつけてきた。
『…オマエはココにいるべき人間じゃない。
俺達と来いよ!
大人しくしてりゃ余計な怪我しなくて済む。』
狼の左眼は白く濁っていた。
瞳孔のぼやけた、白眼を剥いたように見える瞳。
その眼に見つめられた瞬間、体が動かなくなった。
…マズい。
『さぁ……
大人しく言うこと聞け。聞き分けのない子は"悪いオオカミ"に喰われちまうぞ……!』
…どうしよう。
足…全然動かない。
狼は…一歩、また一歩とあたしに近づいてくる。
「アリスッ!!」
その声を聞いて、金縛りがとける。
『うおっ!?』
…猫くんが、狼に飛びついた。
顔の前にしがみついて、視界を遮ってる。
「猫くん…!」
「アリス、早く逃げてよ!
コイツらに捕まっちゃダメだ!
連れてかれちゃ…」
『邪魔くせぇッ!!』
狼が頭を振って、猫くんを振り落とす。
「ふにゃっ…」
そこに、長い鉤爪が振り下ろされた。
「ねこくんッ!?」
「……!」
猫くんはギリギリで避けた。前みたいに、体を消したんだ!
でもやっぱり、頭の部分だけは消えずに残っていた。
『おー!
なんだソレおもしれぇな!!』
興味深そうに吠えると、狼は猫くんの頭を踏みつけた。
「…ふぎゃっ!」
「やっ……!?
ちょっとやめてよ!
猫くんに乱暴しないで!」
あたしが叫ぶのもお構いなし。
狼は、猫くんの頭を掴んで持ち上げた。
すぐに、消えていた胴体が戻ってくる。
『……?』
つまみ上げた猫くんを、しげしげと眺める狼。
『……へぇ!
なぁんだコリャ…おっもしれぇ"中身"してんなこのチビ!!』
"中身"…?
何のこと……
ううん、今はそんなのどうでもいい。
「…放して」
『………あ?』
近くにあった木の枝を拾い上げて、あたしは叫んだ。
「いますぐ…猫くんを放しなさい!
なんであたしを捕まえたいのか知らないけど、その子に手を出したら、タダじゃおかないから。」
『…なるほどぉ?
そーかそーか……
コイツがそんなに大事かぁ!
……だったら』
狼の口が、ガパッと開いた。
…血の臭いがする。
…ちょっと……
やめて…まさか…!?
『ちょうど腹減ってたんだよなぁ。
さっきのチビウサギ、食べずに餌にして正解だったぜぇ。
こっちの猫のが少しばかり美味そうだ…!!』
「…や…ヤメてッ!!」
猫くんを口のほうに持ち上げて、狼は舌なめずりをした。
『…どこから喰うかな?
量は少ないから耳からかじっていくのがイイかねぇ……』
「まって…お願い、ついていくから…
その子だけは助けて…」
必死の思いで頼んだ。
どこに連れて行かれるかわからないけど、そんなの今はどうでもいい。
猫くんが助かるなら…何だってするから…。
『…こっちに来な』
言われた通りに、狼の隣まで歩いていった。
近くにくると、狼はあたしよりもかなり大きい。
…やっぱり怖い。
猫くんは気絶してるみたいで、さっきから動かないし…
『それでいい。』
そう言うなり、狼はあたしの手をがっしりと掴んだ。
『ブラウバート!
ブラウバートォー……
…あ〜?
アイツどこいったんだぁ?
【Alice】はもう捕獲したってのに…』
狼が誰かを呼んでる。
まだ仲間がいるの?
「…ね、ねぇ!
早く猫くんを放しなさいってば」
『あ?』
めんどくさそうに唸る狼。
「ちゃんと言うこと聞いたじゃない!
早く放してあげてよ…ケガしてるかも…」
『…いやいや。
俺、このチビを助けてやるとは一回も言ってねぇけど?』
は?
…え、
そんな…うそでしょ?
ちょっと待ってよやめて……!?
『いっただっきま〜…』
狼の口の中に、猫くんが丸ごと放り込まれる……
「…いや……!?
いやぁヤメてぇぇぇ!!」
ドォンッ
「……?」
今……鉄砲の音みたいなの、した…?
涙でかすんだ目に、誰かの姿が映る。
『……………ぁあ゛?』
猫くんを口に放り込む寸前に、狼が硬直する。
開け広げた口を閉じて、荒々しく唸った。
「……その子猫、放して頂けますか?」
銃を構えた人影が、こっちに近づいてくる。
「……ウサギさん!」
白ウサギさんだった。
銃口を狼に向けたまま、白ウサギさんは静かに言う。
「…アリスからも離れてください。
それで貴方、もう自分の国に帰りなさいな。
…抵抗すれば、今度は本当に撃ちますよ?」
まっ白なウサギは、赤い瞳を光らせて、狼を睨みつけた。
『……くくっ
キヒャヒャヒャヒャッ!』
それを見て、狼は……笑い声をあげた。
『てめぇ、たかが食用動物の分際でぇ…俺と殺り合おーってのかぁ?
…くひゃひゃひゃひゃ………。
ギィィヤアァアッハハハハハハハッ!!!!!
馬鹿だこいつバカだわ!やっべウケる〜腹痛ぇな畜生っ』
絶叫のような嗤い声をあげて、身をよじる狼。
大きく開かれた口から、刃物のような大量の牙が剥き出しになる。
『…ハァ。
おい兎、オマエよぉ…
そんなモンで、この俺をぉ!!
殺せるとか思っちまったりしてねぇだろーな?
まぁ、もし仮にそうだったとしたらだが……
悪ぃなあ…ご愁傷様ってヤツだ。』
「まあそう仰らないで下さい。」
依然として落ち着いた声で、白ウサギが答えた。
狼の白濁色の眼。それから、掴み上げられた猫くんへと視線を移す。
「確かに、この銃で貴方を捉えきれるかどうかはわかりません。
ですが当たらないと決まった訳ではないのですし、もうしばらくお付き合い願いたいかと。」
『当たらねぇよッ!
万が一にもなぁ。』
ヌラリとした舌を突き出して、唸る狼。
「そうですか…。
…では仕方がありませんね。
絶対に当たる様にさせていただきましょう。」
絶対に当たる様に…?
白ウサギさんがそう言った直後、辺りの茂みがガサガサと揺れ始めた。
そして―――
「全軍、射撃用意!」
森の闇の中から現れたのは……
弓矢を構えた、トランプの兵達!
『あ?…コイツら……』
気が付けば、あたし達の周り一面、数えきれないくらいのトランプ兵達に包囲されていた。
ズラリと並んだ兵隊達。
その手の中で、鋭い矢が輝いた。
「ご安心下さい。
貴方のお目当てのアリスには、一発たりとも当てる自信はございませんので。
…ではお望み通り、貴方だけを蜂の巣にして差し上げましょう――。」
「アリスッ!
大丈夫か!?」
トランプ達の中から、聞き覚えのある声がする。
「帽子屋さん!?」
「ああ!
間に合って良かった…
みんなで助けに来てやったからな、少し待ってろよ!」
トランプの間から体を乗り出して、帽子屋が叫ぶ。
「子猫くんをはなせー!
そんでもって帰れー!」
「…むぅ…
おおかみなんかサイコロステーキにして、明日は焼き肉かぁ…」
三月ウサギ…ヤマネさんも……!!
「みんな…来てくれたんだ――!」
『……………ハァ。』
すっごく面倒くさそうなため息を一つ。
狼は、目の前のトランプ達をチラリと見る。
まるで、虫けらとでも言いたそうな目で。
『……飽きた』
…は?
不満げに呟いたかと思うと、狼は、突然猫くんを放り投げた。
「あっ…猫くんッ!?」
『雑魚がうじゃうじゃうじゃと…。
いい加減理解しろや、どう転んだってお前らに勝ち目はねぇんだって』
そう呟きながら、何故かあたしをを見つめる。
『さぁてお嬢様…お迎えが来たようだぜ?』
「え……む、迎え…?」
気怠そうに、前脚で地面を蹴る。
…そして狼は、あたしを睨みつけた。
真っ赤に裂けた口を歪めて嗤いながら。
『時間切れだ』
ゴオゥゥッッ
「ッ………!?」
「きゃ……!!」
突然の突風。
あたしも白うさぎさん達も、思わず目を細める。
庭園の中に、稲妻のようなものが走った気がした。
そして……
「……?」
次の瞬間。
あたしの隣には、黒いコートを着た男の人が立っていた。
「……作業は?」
『順調だぜぇ。
見りゃわかるだろーが』
「…【Alice】を確保したのなら撤退する。」
抑揚のない、低い声。
2メートル近い、背の高い影。
深く被った羽付きの帽子が、わずかに揺れる。
『ケッ…
テメェと話してるとなぁ、墓石にでも喋りかけてる気分になるっつの』
毒づく狼をよそに、男の人がサッと左手を伸ばす。
「Kommen.(来い。)」
グガガガガガガガッッ
「っ…これは!?」
白うさぎさんが息をのんだ。
地面が…揺れてる?
そして、地下深くから、何かが這い出して来た。
私達の前に出てきたのは……
大量の荊の蔓。
「やっ…!?
なによコレッ!!」
大地を突き抜けて、ヘビみたいにくねりながら伸び続ける、黒い荊。
あっという間に、あたしと狼達を円形に取り囲み始めた…!!
「…!!
う、撃て!撃ち方始め!!」
トランプの指揮官らしい人が叫んで、一斉に矢が放たれた。
空気を切り裂いて、鈍く光る矢の雨。
ところが、荊の群はうねりながら、いとも簡単に矢を跳ね返す。
キィン…という金属音を響かせて。
金属で出来てるみたいに、火花を散らしながら…。
そうか、これは壁なんだ。
あたしを捕まえるための…鋼鉄の牢獄の壁。
「くそっ!
なんなんだよこの荊は!?
銃が全然効かないじゃんか?」
帽子屋の叫び声。
飛び道具が効かないと確信したのか、何人かのトランプ達がこっちに走ってきた。
『…ブラウバートぉお』
「……ああ。
……処分する。」
処分って……
まさか…そんな…!?
男の腰で、長い剣が不吉に輝いた。
「だ……ダメェッ!!
みんな逃げ……っ」
そう叫んだ時。
あたしの目に映ったのは…細切れになって崩れ落ちる、トランプの兵隊さん達。
…そんな。
うそ…
……死んじゃったの…?
殺された。
「い……っ!?
いやぁあああああッ!!」
絶叫。
もうワケがわかんない。
なんで?
なんでこんな…。
「もうやめてッ!」
誰かが傷つくところなんて見たくない。
「やめてよ、
酷すぎる……。
なんでそんな…っ
ためらいもなく人を殺せるの!?
どうかして…」
「どうかしている…?
どうかしているのはお前の方だろう。」
黒ずくめの男は、いきなりあたしの顔を覗き込んだ。
「…っ!?」
冷たい、紫の瞳。
「…いいか、落ち着いてよく考えてみろ。
何故、たかがボール紙の塊が切られた事に、そう悲しむ必要がある」
……え?
「……なんでって……人が死んでるのに…悲しくないわけ…」
「…人?
お前は"アレ"を人だと?
……紙から四肢の生えたあの異形の生物を見て、人間と同等に接することが出来ると言うのか?」
…一瞬、何を言われてるのかわからなかった。
「何故、アレを見て悲鳴の一つすらあげない?
どう見ても異常だろう。奇怪に感じないのか。
お前が生まれた世界では紙で出来た人間など存在し得るか?
動物が人語を話せるか?
ウサギの穴に落ちて別世界に辿り着くなどという戯言に、何故そんなにも早く順応出来る!?」
…わからない。
今更だけど…それっておかしいのかな?
そりゃ動物が人の言葉を喋ったら驚くだろうし…
…でも、初めて白ウサギさん達を見たとき……
なんとなく、自然な事のように感じてしまったのは……なんで?
『答は一つ。
この世界が"異常"なら…
オマエも、そうとう"イかれてる"んだよ。
ハッ…笑えるねぇ。
現実と幻想の区別もつかないレベルに精神が狂っちまってやがるッ』
あたし……
狂ってるの?
「アリスっ!
諦めないで!」
…白うさぎさんの声。
荊は絡み、もつれ合い、あたし達を取り囲む巨大な壁になっていた。
黒い荊が、時々、赤く脈打つ。
まるで血が通ってるみたいに……。
…その隙間から、白いものが覗いている。
…白ウサギの…手?
「早く……私の手につかまって…」
荊のトゲに刺されて、赤く染まった、白い毛並み。
白ウサギさんは、あたしに向かって必死に手を伸ばす。
「ダメ…だよ。
ウサギさん…手がボロボロになっちゃ…」
「私は大丈夫です!
さぁ…早くこっちへ…」
そうだ。
ボゥッとしてる場合じゃない。
あたしの後ろに立つ、黒い男と、真っ白な狼。
逃げなきゃ……っ!!
「…どこへゆく?」
白ウサギのもとへ駆け寄ろうとすると、冷たい声に引き止められる。
「どこって…
家に帰るに決まってんでしょ!!
あたしは病気の姉さんに薬を届けなきゃいけないの!
アンタ達みたいな気違いなヤツらに構ってらんないの…よ……!?」
ズガンッ
大きな音と共に、地面が裂ける。
あたしの目の前に、鎌首をもたげた荊が飛び出してきた。
「きゃっ……!?」
「…逃げられるとでも思ったか」
男が小さくため息をつく。
その直後、さらなる荊が地中から溢れ出した。
「う゛…くそ……っ」
荊の群れは複雑に絡み合って…白うさぎさんを外に押し返す。
「……ウサギさ…」
「アリス!
…必ず…必ず助けにいきます。
だから、絶対に……」
ガチンッ
とうとう…最後の隙間が閉ざされた。
白ウサギさんの姿も、もう見えない。
目の前にあるのは、深く生い茂った荊の壁。
そして……
『さぁ〜て、これで…助けてくれるヤツはいなくなっちまったな。
なぁ…【Alice】?』
振り向けば、狼が牙を剥き出して嗤っている。
「……来ないで。」
半径5メートルほどの空間。黒薔薇の荊が造った、円形の檻。
後ずさるあたしに、黒コートが静かに歩み寄ってくる。
「……来ないで……来ないでよッ…」
体が動かない。
動いたとしても、どうせ逃げ場なんて無い。
もう、終わりだ。
「…目標を補足。
【Alice】をそちらに送る。《穴》を開通しろ。」
黒コートが何か呟いた。
その紫色の瞳を見たとたん、体に力が入らなくなる。
芝生の上に、ぺたりと座り込んだ。
震えが止まらない。
…怖い。
いやだ。
いやだ…助けて。
「さぁ……
大人しく我等と共に来い。」
黒コートが、あたしに手を伸ばす。
…逃げられない。
あたしは、ギュッと目をつぶった。
バチィィィイイイイッ
「……っ!?」
なに?この音……。
閉じていた目を、恐る恐る開いてみた。
目に映ったのは、青い電光。
黒コートは、あたしに向かって右手を伸ばしている。
その手があたしに触れる、一歩手前で……その手は止まっていた。
「………これは…!?」
驚いた表情をする、黒コート。
手を引っ込めると、もう一度、あたしに触ろうとゆっくり手を伸ばす。
バチィィィイイッ
やっぱり、さっきと同じだった。
黒コートの手があたしに触れる直前、青く光る電撃みたいなのが出て……アイツの手を阻んでる。
……触れないんだ!
『……ア゛!?
…ぉぃぉいおいッ!?
どうゆう事だこりゃあ…なんなんだ今のはよぉ』
「…わからん。」
電撃に撃たれた手を見つめながら、黒コートが答える。
「…なんらかの加護が働いているようだ。」
『はぁあ゛?
じゃあ捕まえられねぇってコトか!?』
目を剥いて怒鳴る狼。
「……そうゆう事だな。」
そう呟いて、黒コートの男は、あたしを横目で見た。
「……失敗だ。」
…失敗?
え?
じゃああたし…逃げられるの!?
「やった………キャアアアアアア!!??」
喜んだのもつかの間。
突然…足元の地面が消え失せた。
「や……?!
ヤダヤダヤタなによコレェエ!!」
『…で?
どーすんだ?
誘導出来ねぇんだったらどっかヤバい空間に飛ばされるかもよ?』
「…構わんさ」
次第に落下していく体。遠ざかる穴の入口から、男が私を見下ろしてた。
「死体になる前に回収すれば問題なかろう」
地面にぽっかりと口を開いた、《奈落》。
底の見えない闇が、あたしを呑み込んだ。
「イヤァアアアアああぁぁぁぁあああアアアアァァァアアアアアアアアアアアアァァァアッ!!………………」
…暗い。
寒い…。
どれくらい墜ちたんだろう……?
穴の入口すら、もう見えなくなった。
視線をずらせば、目に映るのは赤い光。
穴の側面は、大量の荊で出来ていた。
あの黒い荊…。
漆黒の闇の中で、時折ぼんやりと光を放つ。
辺りを赤く照らしながら、毒々しく脈打つ。
赤と黒。
ここにはそれしかない。
誰もいないの?
闇が怖い。
独りが怖い。
誰でもいい。
あの狼だっていい。
返事してよ。
あたしをこんな所に閉じ込めないで。
声を聞かせて。
独りにしないでよ。
苦しくて悲しくて、
寂しくて怖い。
あたしを置いていかないで。
一緒にいてよ。
お願い。
何でもするから。
いい子でいるから。
もう、
あたしから、大切な人を奪わないで………。
「…ァ…リス…」
……だれ…?
不意に指先に触れた、あったかいもの。
ふわふわで、もふもふの……小さなカラダ。
「猫くん……?」
赤い光の中に…その子は確かにいた。
柔らかい毛並みが肌に触れる。
「ごめ……んね……?
狼に見つからないように……頑張って…カラダ全部消してみたけど…
それだけで…精一杯で……
結局…助けられなくて……追いかけてね……穴に飛び込んだん…だ。」
ボロボロになって、かすれた声。
あたしは、小さな子猫をぎゅっと抱きしめた。
声をあげて泣いた。
闇の中に、ぬくもりと、声が生まれた。
この子と一緒なら、どこだって怖くない。
もう絶対に、離したくない。
長い時間が過ぎた後、あたしは涙を拭った。
「もう…ずっと一緒だよね」
「一緒にいるよ……
アリスのそばにいたいから」
優しい声。
「…そういえばなんだけどさ。
名前、まだちゃんと聞いてないよね?
これからも一緒なんだから、ホントの名前で呼ばせて欲しいなぁ…
とか思ったりして。」
「名前?
まだないよ」
え、無いの!?
チェシャ猫のやつ……
名前もつけないとか、ドンだけ適当な父親やってんのよ…。
「父さんは、飼い主が出来たらつけて貰えって」
「……飼い主に?」
じゃあ…アタシがつけてあげなきゃいけないんじゃん!
名前のつけ方とかわかんないし……
どうしよーかなぁ?
子猫の顔を、じっと見つめてみる。
まだ小さな顔に、ひょこっとした耳。
小さな鼻に、可愛らしいヒゲがピクピクしてる。
「ねぇ…
どんなのがイイ?」
「変なのじゃなければ何でもイイよ。
ゆっくり考えて。」
そう言ってる割には、早く名前つけてもらいたくてうずうずしてるみたいだけど。
その様子が可愛くって、自然と微笑んだ。
「……テト。」
思いついた名前を、口に出してみる。
「どうかな……?」
彼は、照れくさそうに……嬉しそうに笑ってくれた。
テト。
それが、あたしの大切な子猫の名前。
終わりの見えない闇の中で、
あたし達は…しっかりと抱き寄せあった。
どこへ繋がっているとも知れない深い穴。
あたし達は、だた、墜ちていく…………。
誰かに呼ばれた気がした。
.




