第25話 エルドの力、ネヴィレッタの力
レナート王子はメダード王国側の本陣に遣いの者を出したらしい。その者が無事に帰ってきた。先方の司令官は停戦を望んでいるそうだ。レナート王子は和睦を提案してやろうということであちらに出向くことになった。
それを聞いてネヴィレッタは胸を撫で下ろした。
これ以上怪我人が出るところを見たくなかった。メダード側の魔法使いたちも心配だ。
エルドがいる限りガラム王国が負けることはない。だからネヴィレッタは自分自身が危険にさらされるとは思っていない。けれどそれはつまり自分の安全がエルドの魔法に守られているということだ。エルドの魔力が無限であることを知った今でも、ネヴィレッタはこれ以上エルドに何かを破壊してほしくなかった。
停戦交渉がうまくいきますようにと祈る。
「聖女様が平和を祈ってくれるならうまくいくだろうさ」
周りで聞いていた魔法騎士団の幹部たちはそう言ってくれた。
レナート王子は同行者として書記官、軍の高官である数人の非魔法使いの騎士、そして護衛としてマルスとセリケ、エルドを連れていくことにした。
そこにネヴィレッタもついていかせてもらえるよう頼み込んだ。
メダード王国側の損害の様子が気になった。この戦争にエルドを連れてきた人間として知らなければならないことがあるような気がした。非魔法使いの騎士や歩兵の負傷者もみんな聖女の力で回復させたので手が空いたのもある。
そんなネヴィレッタをレナート王子は快く受け入れてくれた。
「ガラム王国の象徴として若い女性がついてきたら強い印象を残すに違いない。まして大陸でも普通に生きていたらお目にかかれない光属性の魔法使いだ。みんなありがたがるだろう」
セリケが毅然とした態度で「そういうことに利用するのに反対します」と言ったが、ネヴィレッタが「いいの」と言って彼女を止めた。
「わたし、わかってきたの。こういうことが、利害が一致する、ということなんだわ」
「ネヴィレッタは賢くなったね」
レナート王子が目を細めた。
「わたしがいることで見栄えがいいというなら願ったり叶ったりよ。わたしは、行きたいんだから」
マルスは苦笑した。
「本当はそういう仕事をヴィオレッタにさせようと思っていたんだが」
ヴィオレッタはカイと留守番することになっている。今頃カイは思いどおりにいかないことばかりでふて腐れているヴィオレッタの毒抜きをしていることだろう。彼は二人の娘の父親であることもあって女の子のお守りが得意だ。それに彼自身も魔力が残り少なくなっていて休憩したいと言っていた。ちょっとでも休めることを祈る。
ネヴィレッタは少し冷たい気持ちになってしまった。
あれだけ姉を役立たずと罵っていた妹が、今、一番のお荷物になっている。
情けなくて恥ずかしいことだ。魔法騎士たちには申し訳ないと思う。
だがネヴィレッタはそれを口には出さなかった。表立ってそうと言ってしまったら、自分を嫌いになる気がする。
「僕は逆に行きたくないんだけどな」
馬を連れてきながら、エルドが言った。おもしろくなさそうな顔だ。
「ネヴィレッタが行くって言うから行くけど。会談中は屋外で待っていてもいい? 魔法貴族のマルスやセリケと違って政治は何にもわからないし、興味もないし。護衛はいっぱいいるでしょ」
それについては、レナート王子がこう言った。
「私がいるところに必ずついてきてほしい。興味がないなら黙って突っ立っているだけで構わない」
「僕が最強だから? 遠距離攻撃で顔が割れているとは思えないけど」
「いや、向こうは魔法騎士を制服で判別している。見慣れない緑の制服を着た君が何者なのかすぐに察するだろう。それが軍服というものだ」
エルドが自分の服の胸をつまんだ。
「あと、何かあった時に魔法を使ってもらいたくてね」
「屋内でそれなりの魔法を使ったら建物一個崩壊するよ。実質的に自爆攻撃だよ」
「それでかまわない」
レナート王子はうっすら笑みを浮かべながらも全体的には真面目な顔をしている。何がどこまで本気なのかわからないという怖さはなくもない。だがネヴィレッタは彼を頼もしく思う。
「私に万が一のことがあったらすべてを破壊したまえ。ネヴィレッタを連れて逃げられると思う範囲で構わないが、可能ならばできる限り速やかにメダード王国とガラム王国を含むここら一帯を消し飛ばしてほしい。和平交渉の決裂とはそういうことを言う。私が死ねばどのみちガラム王国は滅亡するしな」
エルドも真面目な顔で「わかった」と頷いた。それこそ怖かったが、実現しないものと思いたい。
最終的に、ネヴィレッタはマルスの馬に乗せてもらった。マルスと二人乗りだ。
一応外国の高官のもとに赴くということでそれなりのドレスを身に着けたが、ペティコートの下にはズボンをはいている。看護師として働く時に着ていたものである。これで何かあった時にすぐ動ける。
それが吉と出たのか凶と出たのか馬にまたがることになった。足を開いて乗り物に乗るのは恥ずかしい。しかしそのほうが早くて安全だと言われれば我慢するしかない。レナート王子が「私と二人乗りでもいいよ」と言ってきたがマルスが彼の後頭部を叩いた。
フナル山がまるまるなくなったので、道のりは比較的平坦だった。馬は賢くて多少の傾斜なら上り下りしてくれるし倒木もよけてくれる。出発してさほど時の経っていない日暮れには山の向こうにあったはずのメダード軍の本陣のある砦が見えてきた。司令部として使っているという三階建ての大きな建物で遠目でもわかる。
途中、メダード王国領に入ったあたりで、一行は小さな村の中を通過することになった。
正確には、村があったところを、だ。
山の麓、平らな土地に、建物の残骸が転がっている。瓦礫の山は本来石造りの家だったに違いない。それらがすべて崩れ落ちている。
エルドの魔法で起きた地震のせいだ。
みんな無言で馬の歩みを進めていた。
エルドがいる以上この惨劇の感想を軽々しく口にするわけにはいかない。
同行しているのはみんな分別のある人間だ。冗談のひとつも飛ばさない。あのレナート王子ですら黙っている。
ネヴィレッタは目を背けようとした。
その時、声が聞こえてきた。
「たすけて……」
小さな、か細い声だった。まだ幼い少年の声のように聞こえた。
「たすけてください……たすけて……」
そちらに目を向けた。
瓦礫の隙間からまだ小さくて華奢な汚れた手が見えた。
下敷きになっている子供がいる。
まだ、生きている。
「お兄様」
ネヴィレッタは急いでマルスに声をかけた。
「声がする。あの下に子供がいるみたい」
マルスは馬を止めてくれなかった。
「気づかなかったふりをしろ」
ちらりと振り向くこともなかった。
「可哀想だが敵国の人間だ。助けたところで刃を向けるかもしれない。こうなる運命だったんだと思え」
予想外の言葉に、ネヴィレッタは少し大きな声で反発した。
「見損なったわ」
兄がこんな冷たい人間だとは思っていなかった。
罪のない民間人が、それも年端の行かない子供が助けを求めているのに見過ごすわけにはいかない。
ネヴィレッタは勇気を振り絞った。
体を横に乗り出し、兄の腹に回していた手を離して、足を強引に動かした。
身を躍らせた。
「ネヴィレッタ!」
馬から飛び降りた。
地面に胸から落ちてしまった。痛い。一瞬呼吸が止まったような気がする。顔にも土がついた。ひりひりする。擦り傷ができたかもしれない。
ネヴィレッタは自分自身に対しても魔法を使おうとした。しかしうまく発動しない。どうやら自分には使えないらしい。体がつらいが仕方がない。
「もう大丈夫よ」
なんとか起き上がる。崩れた家に近づく。瓦礫の下から血と土埃で汚れた七、八歳くらいの少年が手を伸ばしている。彼はネヴィレッタの顔を見て安心したらしく表情を緩めた。
「すぐに助けてあげるからね」
手を伸ばそうとして、硬直した。
大きな柱が、子供の下半身を押し潰している。
石造りの家だ。木組みの柱だけではなく、ネヴィレッタの顔より大きな石もごろごろと転がっている。ネヴィレッタ一人の力では持ち上がらない。これでは傷だけ治しても意味がない。
瓦礫に手をかけた。石を一個ずつ取り除こうとする。しかし非力なネヴィレッタでは一度に何個も運べない。きりがない。このままでは日が暮れてしまう。
「助けに来てくれたんですか」
声が聞こえてきたので振り返った。
血の気が引いた。
道を挟んだ向かい側にも、人の手が見えた。
女性だろうか、汚れた手が瓦礫の下から伸びていた。
「助けてください。赤ん坊が中にいるんです。早く出してください」
彼女は少年よりもさらに奥に埋まっているようだった。こんなものをどうやって助けろというのか。
ネヴィレッタがパニックを起こしそうになったその時、空気が揺れた。
振動のみなもとをたどろうとあたりを見回すと、エルドが馬から下りて、ネヴィレッタのすぐそばに立っていた。
エルドが片手を挙げた。
次の時、彼らを押し潰していた石が一気に砕け散った。
これも魔法なのか。大地に由来するものすべてにはたらきかけることができるらしい。
石が細かな砂利に変わって地面に流れ落ちた。
瓦礫の下に埋まっていた人々が次々と姿を現した。
救わなければならない。
ネヴィレッタは両手を組み、祈りの姿勢を取った。目を閉じ、無心に空へ願った。
すべての人の傷が癒えますように。みんなが安らかな気持ちで今という時を過ごせますように。
全身が熱を持つのを感じる。光を放っているような気がする。
祈りが届きますように。
頭の上へと光が流れていった。
体の熱が冷めたので、ゆっくり目を開けた。
「わあ……!」
先ほどの少年が這い出てきて、傷のない自分の腕を眺めていた。
「すごい! 治った!」
そこかしこから感嘆の声が聞こえてくる。喜びに満ちた声を出しながらあちらこちらで立ち上がる。
「傷が消えた……」
「奇跡だ……!」
「聖女だ。聖女が現れたんだ!」
みんなが一斉にネヴィレッタに駆け寄ってきた。ネヴィレッタは慌てて立ち上がり、一人一人の手を握った。
「よかった、よかったわ」
人の役に立てる魔法だ。
「ガラム王国に聖女が現れた!」
歓声はしばらく続いた。ネヴィレッタはもみくちゃにされながらも安堵した。




