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第1話 まさか僕の平和な生活を掻き乱す用事ですか?

 ガラム王国の首都ローリアはふたつの城壁に守られている。中央の王城を中心にして同心円状に造られた二重の壁だ。

 内側の円形の壁の中には、王族をはじめとして、貴族、商人、ギルドに所属する職人たちが住んでいる。

 外側の壁と内側の壁の間には、いくつかの小さな町と無数の農村、人の手の入った明るい森林がある。

 外側の壁の向こうは常人には立ち入れない深く険しい森だ。


 内側の壁の中に住む人間は城門を自由に出入りして外側の壁の中を移動することができる。一応門番に身分証明を求められるが、足止めを食らうことはめったにない。ましてネヴィレッタはどこからどう見てもオレーク侯爵家の人間である夕焼け色の髪と朝焼け色の瞳をしているので、身分証明をする必要すらない。門番たちは侯爵令嬢が侍女しか連れずに馬車で出掛けることを心配してくれたが、目的地を告げるとあっさり通してくれた。


 目的地は王子直轄領の森の中だ。しかし、オレーク侯爵家は国王陛下のおぼえめでたく、王子とオレーク侯爵家の跡取りの長男も親友同士である。ネヴィレッタが立ち入り許可証を持っていても不自然ではない。


 森の中の道を進む。

 舗装されていない地面は不安定で馬車は揺れるが脱輪のおそれがあるほどではない。

 木立は明るく、森の番人や木こりがまめに入って剪定しているのがわかる。

 時折木と木の間を小動物が駆け抜けていく。

 ともすればただのピクニック、令嬢のたわむれの外出かのようなのどかさだが、今日のネヴィレッタは重大な使命を帯びていた。


 やがて二股の分かれ道に辿り着いた。右に進めば大きな村、左に進めば小さな町だ。ネヴィレッタは御者に右へ進むように命じた。


 そこから少し進んだところ、農村の出入り口あたりで、馬車を止めさせた。


「ネヴィレッタ様」


 侍女が険しい顔をする。


「本当に行かれるんですか?」


 ネヴィレッタは緊張しながらも気丈を装って答えた。


「もちろん。国の命運がかかっているんですから」


 侍女は目を伏せて溜息をつきながらこう言った。


「これ以上オレーク侯爵家の顔に泥を塗るような振る舞いはお控えくださいませ」


 悲しくなる。それではまるで普段からネヴィレッタが家の顔に泥を塗り続けているかのようではないか。

 しかし反論の言葉は呑み込んだ。何を言っても無駄だ。実際にオレーク侯爵家にとってのネヴィレッタはそういう存在だ。


 御者の手を借りて馬車から降りる。年配の御者は命令に淡々と従うだけで、ネヴィレッタとは目を合わせることすらしない。


 侍女をなかば無視する形で、ネヴィレッタは目的地のほうを向いた。村の囲いの外だが一応この村の領域内であるとされている森の中の一軒家、と聞いている。


 顔を上げると、森の中、丘状に盛り上がっているあたりにちらりと白い壁が見えた。


 スカートをつまみ、軽く裾をたくし上げて、道なき道を行く。


 どうしてもあの小さな家を訪ねなければならない。


 家が近づいてきた。

 ネヴィレッタは、おや、と思った。

 想像していたのとはちょっと雰囲気が違う。

 こうして目の前に来るまで、ネヴィレッタはおおらかな山男が住むような簡素で粗末な小屋を思い描いていた。

 しかし実際に近くに来てみると、白く塗られた壁は明るく、手入れされた赤い瓦屋根、繊細な黒い鉄の枠のはめ込まれた明るい色調の木材の扉、きちんと磨かれたガラスの窓の中には清潔そうな緑色のカーテンが見えた。扉の左右には季節の花が咲く植木鉢が置かれている。控えめに言ってもおしゃれだ。もうひとまわり大きければ貴族の邸宅にある離れに見えたかもしれない。


 スカートの裾を直してから、玄関の扉の前に立った。


 油断してはいけない。可愛らしい家に住んでいるからといって、住人がどんな人間かはわからないのだ。


 魔法騎士団では彼のひととなりに言及することは禁忌であった。遠回しに触れるなと忠告してくる者もあったくらいだ。したがって誰もネヴィレッタに彼がどういう外見にどういう性格の男なのか説明してくれなかった。今回彼に会うことになってからようやく王子がほんのり話してくれただけである。すぐにネヴィレッタを取って食うような危険なタイプではないらしいが、あくまで王子の主観だ。


 唯一確かなことがあるとすれば――


 最強の魔法使い。


 それが、彼を表す言葉としてよく挙げられるフレーズだった。


 いわく、一人で広大な森を切り拓いた。

 いわく、一人で敵のとりでを破壊した。

 いわく、一人で敵の大隊を撃滅した。


 兄も王子も、その伝説が事実であることを認めている。


 ガラム王国最強の男、エルド。魔法騎士団の英雄、最強にして最凶の人物。


 本音を言えば、少し怖い。あの王子がネヴィレッタを致命的に陥れることはないだろうが、役立たずのネヴィレッタに嫌な役回りを押し付けてきた可能性はある。


 人身御供、という言葉が脳内に浮かんだ。


 それでも、与えられた使命をまっとうしなければならない。


 勇気を振り絞って、鉄製のドアノッカーをつかみ、こんこん、と音を出した。


 息を飲んだ。


 頭の中で十を数えた時、内側から扉が開いた。


「はい」


 出てきた人物の姿を見て、ネヴィレッタは目を丸くした。


 滑らかな白皙には若い男性特有の脂ぎったところがない。涼しげな目元、二重まぶたの中には宝石のような緑の瞳が埋まっている。すっきりと整えられた眉にさらりとした金茶の前髪がかかっていた。肩より少し長い後ろ髪はゆるやかに束ねられている。形の良い鼻と口は絵画に描かれた神の御子のようだ。背はすらりと高く、足が長い。全体的に細身だが、立ち姿が整っていることから体幹はしっかりと鍛えられているのがわかる。


 もっと熊のような大男が出てくると思っていたのに――目の前に現れたのは、ネヴィレッタがその十七年の人生で出会ったどの男性よりも美しかった。


 思わず見惚れてしまった。しばらく呆然と彼を眺めてしまった。


 彼が眉根を寄せた。


「何か用?」


 つっけんどんに問われて、ネヴィレッタははっと我に返った。

 もしかしたらエルド本人ではないのかもしれない。着ている服装からして農民と変わらない洗いざらしのシャツに麻のズボンだ、エルドが雇った使用人かもしれない。


「あの、どなたですか?」

「は?」

「わたし、エルドさんという魔法使いを訪ねてきたんですけど――」

「僕を訪ねてきて僕に誰って聞いてるわけ?」


 本人だったらしい。


「あ、あ、ごめんなさい」

「で、僕に何の用?」


 どう見ても友好的ではない。焦ってしまう。頭の中が空回る。


「あの、わたし、あなたに会いに……レナート王子からの言いつけで……ちょっとゆっくり話ができる状況を作っていただけると嬉しいんですけど……」

「家に上げてお茶出せってこと? 先ぶれなしにいきなり訪ねてきて? いい度胸だね」


 失敗した、と思った時には後の祭りだ。


「帰って」


 彼はそう言ってドアを閉めた。


 少しの間、沈黙した。


 だめだ。ここですごすごと引き返すわけにはいかない。


 もう一回ドアノッカーで扉を叩いた。

 今度はすぐには返事をしてくれなかった。

 だがネヴィレッタも負けてはいられない。しつこく、三度、四度と叩いた。


 扉が内側から開いた。


「うるさい」


 エルドが顔を出す。とてつもなく嫌そうな顔をしている。


「帰って。話すことなんてない」

「そんなこと言わないでください! レナート王子があなたを必要として――」

「僕はレナート王子が大嫌いなんで。帰ってお伝えください、僕はもう二度と殿下にお会いしたくありません、と」


 閉めようとした扉の縁に手をかけた。エルドが「あぶなっ」と声を上げた。それでもむりやり扉を閉めてネヴィレッタの指を潰さないよう配慮してくれているところを見ると悪人ではなさそうだ。


「そんなことしたら指はさむでしょ」

「わたしの指の一本や二本いいんです」


 決死の覚悟でエルドの顔を見つめる。


「ガラム王国存亡の危機なんです……! あなた最強なんでしょう? どうか魔法騎士団を助けてください!」


 エルドはネヴィレッタをじろじろと眺めた。やはり好意的な感じではない。


「どうせ殿下がそう言って情に訴えればなびくと言ったんじゃないの。僕はもう騙されないからね」

「そんな言い方……」

「なんならガラム王国は勝手に滅んでくれていいから。僕はこの国に何の未練もないので、次に戦争になったらとっとと引っ越すよ」

「冷たいことを言わないでください」

「冷たいのはどっちだよ、ひとをさんざんこき使っておいて、最終的に僕に残ったのは戦争を終わらせたご褒美のお金だけだったよ」


 そう言われると、胸の奥が冷える。


「まあ、百歩譲って、だよ。殿下にはこの土地に家を建てることを許してもらったのは事実だけど、そんなの僕の働きで手に入った領土に比べたら微々たるものじゃないの」

「まあ、そうかもしれないけど……」

「この森でひっそりゆったり一人暮らしをすることを認めてくれたから譲歩して外国に引っ越さずこの壁の中にとどまっているのであって、次の戦争に付き合ってほしいというのなら僕は敵国の軍隊に身売りします。あいにく僕の魔力量と実績なら転職に困りません」


 エルドの剣幕に押されたネヴィレッタは、扉から手を離して後ずさった。


「君も聞いているんでしょう」


 エルドの緑の瞳が冷たい。


「僕がどれくらい殺したか」


 そこまで言うと、彼は扉を閉めた。


「さようなら」


 ネヴィレッタはしばらく扉の前で呆然と突っ立っていた。





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