第1話 せっかく万象が腕を振るおうとやってきたのに
プロローグ
ここのところ、「学びどころ」に通ってくる人が、妙に疲れているような気がする。
いや、疲れている、と言うのとは少し違うか。
なんと言えばいいのか、そう、表情が暗いのだ。
料理教室を終えたあとは、一様に晴れ晴れとした笑顔に戻るのだが。
次に来たときには、また暗~い表情に戻っている。
これは何か、また性懲りもなくよからぬ輩が動き出したのか。
万象は、しばらくは注意深く様子を見ていようと心に決めていた。
第1話 せっかく万象が腕を振るおうとやってきたのに
「バンちゃん!」
どん! とやってきたいきなりの衝撃に、ひっさしぶり~と思いつつ、なぜか身体がぐらついてしまい、感じたままを口にする。
「おわっ、玄武!」
「? どうしたのバンちゃん」
「お前、ちょっと体重増えたか?」
すると玄武・兄はきょとんとした顔をして答える。
「ううん、なんで?」
「いや、なんかこう、体当たりが重いって言うか……、」
上手く言い表せない万象に、笑いながらやってきた森羅が声をかける。
「背が伸びたんだよ。ね? 玄武」
「はあ?」
「今までより少し高い位置から押される形になって、それで衝撃が増えたように感じる。あ、でも背が伸びたって事は、それなりに体重も増えてるのかな」
森羅の説明を受けて、万象は玄武・兄を自分の隣に立たせる。
「そうなのか? ちょっとここへ来て俺と並んで立ってみろよ」
「うん!」
玄武・兄はなぜか嬉しそうに、ぴんと背筋を伸ばして万象の腕を押すように横に立つ。
「おい、押すなよ。……、どれどれ……お、ホントだ。前まではこの辺に顔があったような気がする」
と、万象は自分の肘を曲げつつ言う。今、こちらを見ている玄武・兄の頭はそれよりほんの少し高い位置にある。
「おお、玄武兄の方は今が成長期なんだ」
「うん、そうだな。このまま行くとすぐに追い越されちゃうよ、万象」
「な! 負けねえぜ! 」
森羅の追い越されるという台詞に、負けず嫌いの万象が即、反応する。
「ええ? だって君はもう成長期おわってるじゃない? それ以上背は伸びないでしょ」
「う、……ぐぐう」
悔しそうにする万象とは対照的に、玄武・兄はとっても嬉しそうだ。
「バンちゃんや森羅さまと背が同じになるの? わあ、嬉しい」
「……」
無言で口をへの字にする万象に、無邪気に玄武・兄が言う。
「でも僕、バンちゃんや森羅さまと同じがいい。だからそれ以上は背が伸びないように神さまにお願いしておくね」
それを聞いた万象は、なぜだろう、自分がものすごく恥ずかしくなる。
「玄武……兄……、すまない。俺が悪かった。だからそんなこと言わずに、うんと伸びてくれ。どんどん俺を追い越していってくれぇ」
いつもとは反対に、ぎゅっと抱きつく万象に、きょとんとしながらも嬉しそうな玄武・兄。森羅はそんな2人を見て可笑しくて仕方がない。
「ははは、よかったねえ玄武、万象が汚い大人じゃなくて」
「? うん!」
玄武・兄はその言葉の意味はわからないようだが、森羅がとても楽しそうなので、また笑顔いっぱいになって頷いた。
今日は2000年後の「学びどころ」がお休みの日。
なのでそれを利用して、万象は少し久しぶりにこちらへ遊びに来たと言うわけだ。
ひとしきり再開の儀式をすませると、万象は肩にかけていた鞄を不承不承という感じで下ろして玄武・兄に渡す。
「これ、久しぶりにこっちへ行くって言ったら、鞍馬が持って行ってくれって」
「なにかな~」
森羅が横から聞くと、万象はまた口をへの字にしてからボソッと言う。
「三時のおやつ、だとよ。皆さんで召し上がってください、だってさ」
「三時のおやつ? わあ、やったあ! じゃあ皆に見せに行くね」
嬉しそうに走り出す玄武・兄に、森羅があれあれと言う顔で言う。
「玄武……、中身は何だろう、あんなに揺らして大丈夫なのかな」
「ふん! 知るか!」
万象はいつものごとくご機嫌斜めだ。何かというと鞍馬と張り合っている彼は(張り合っているのは万象だけだが)おやつと聞いてものすごく嬉しそうにする玄武・兄に、ちょっぴりヤキモチを妬いているのだ。
「まあまあ、落ち着いてよ。あれはおやつ。今日のメインイベントの夕食は、万象が作ってくれるんだよね? ああ、楽しみだなあ」
森羅がいかにも楽しみそうに言うので、ようやく万象の機嫌が良くなる。
「あ? ああ、そうか、そんなに楽しみにしてくれてたのか。よっし、今日は腕によりをかけて晩飯作ってやるぜ」
「お願いしまーす」
今度はあまり気持ちが入っていないような棒読みの台詞に、万象がくってかかる。
「なんだよ、楽しみじゃないのかよ」
「ううん、楽しみも楽しみ。どんなすご~い晩餐が出てくるんだろうって、今から楽しみ~」
無邪気に抱きついてきながら言う森羅に、またからかわれてると思いつつも、口元がゆるりと上がってしまう万象だった。
旧陽ノ下邸の食事室は、いつものようにゆるい空気が流れている。
森羅と万象の2人がそろって入っていくと、ニヤリとニコリが出迎えてくれる。
「おお、バンちゃんよく来たな」
「本当に、最近は向こうの学びどころが賑わって、なかなかこちらに来られないものね」
小トラと桜花だ。
「お邪魔します。2人ともお元気そうで何よりです」
いつもなら、お邪魔しますで終わるところに、なぜか今日は正直な感想が口をついて出た。
「あらあら、バンちゃん大人になったのねえ。ええ、おかげさまでとっても元気よ」
すると桜花がさらに微笑みを深めながら答えてくれる。
「あー、はい。えっと」
そこで言いよどむ万象に何やら曰くありげだと気づいた小トラが、声をかけないはずはない。
「なんじゃ、どうした万象」
「いえ。あっちの話なんで、関係があるかどうかわからないんですけど」
「うむ」
「最近、学びどころに来る生徒に、疲れって言うか、なんかこう暗さが垣間見える気がして」
と、万象はここのところ気になっている事柄を説明していく。
話をひととおり聞き終わったあと、静かに思いにふけっていた小トラと桜花だったが、先に口を開いたのは小トラだった。
「うーむ。……これは関係があるかどうかはわからんが」
「はい?」
「つい今し方、西野のジジイの側近が大慌てで連絡を入れてきての。なんでも西野の領土から少し離れてはいるが、そこにある日突然、異国の占い師と言うのが幾人か弟子を連れてやってきたそうじゃ」
「はあ……」
万象はそれが自分の話とどう関係があるのだろう、と言うような顔で気の抜けた返事をする。
「西野の者たちが何人か、冷やかし半分で占ってもらいに行ったんじゃが、帰ってくると皆一様に熱に浮かされたようにその占い師を賛美するらしい。ある者は神のお告げだ! などと抜かしてもいるらしい」
「へえ」
今度は森羅が興味深そうに万象の後ろで腕組みをしながら言う。
「でな。帰ってきた奴らは、そのあとは占い師を賞賛するばかりで、仕事もせず勉学に励みもせず、ただ1日ぼおっと座っているだけだそうだ。その目は死んでいるように見えるとか言っておった。その上表情はとてつもなく暗いらしい」
「暗い。目が死んでいる……」
万象はそんな風に言ってしばらく考えていたが、ふと気を取り直したように顔を上げる。
「俺の方も、暗いっちゃ暗いんですが、まだ目が死んでいるまでは……」
「そうか。こっちの方は、大切な民を腑抜けにされたと怒ったジジイが、自分で乗り込むと息巻いておるらしい。まったく、年寄りの冷や水もいい加減にせい! と、わしと桜花がちょいと止めに行こうとしているところじゃ」
「その、目が死んでる人たちの様子も見せて頂きたいし」
続けて桜花が心配そうに言う。
小トラが言う西野のジジイとは、西野家を治めている領主のことだ。
「だったらさあ、俺たちで乗り込んでみようよ。小トラさまが行くと、悪くすると西野さまに加担してしまいそうだもん。それこそ年寄りの冷や水が2倍になっちゃうよ」
「なにい!」
森羅が面白そうに言うので、小トラはちょっと目をむいて言う。けれどすぐにそれは収まり、今度は豪快に笑い出してしまう。
「ガハハハ、まったく失礼な奴じゃ。じゃがそれもまたしかりじゃの。よし、お前らこれからちと西野家まで行ってこい」
「はーい」
お利口さんの答えを返す森羅がポンと万象の肩を叩くと、今まで人ごとのように話を聞いていた万象が我に返る。
「え? 俺も? で、これからあ? ちょ、ちょっと待ってくれよ、俺は休日で遊びに来ただけなんだけどお。それに、晩飯は? ディナーは? どうするんだよ!」
すると、フィンと音がして、食堂のテーブルに置かれていたディスプレイに2000年前からの画像が映し出された。
「通信聞いてたわよお。大丈夫よおバンちゃん。鞍馬がね、それなら私がディナーをご用意しますので、届けて頂けますか? だって。良かったわねえ」
「はあっ?!!」
何ということでしょう、ここでまたまた万象のライバル、鞍馬が余計なことを……、いえいえ、気を利かせてしまいました。
「なんでだよ! 俺今日は新レシピを用意して来たんだぞ! 晩飯はぜーーーったい俺が作る!」
「はいはい、それは西野さまの所へ行って話を聞いてから考えようね~」
今にも暴れ出しそうな万象の両腕をひょいとつかんで、片手で難なく羽交い締めにした森羅が、晩飯~! ディナー~! と叫ぶ万象をずるずると引きずって食堂を出て行き、その場は事なきを得たのだった。
ぶっすう~
不機嫌を絵に描いたような万象の前に、こちらは上機嫌で厳つい顔に笑みを浮かべた西野のジジイ、いや失礼、西野家当主が座っている。
「なんだなんだ? この茶菓子が気に入らなかったのか万象。おい、なんか違う菓子ないのか」
西野が呼ばわると「はい、ただいま」と奥へ引っ込もうとする西野家の給仕を森羅が引き留める。
「あ、変えなくてもいいですよ。……違うんですよ、西野さま。万象はね、本日の晩餐が作れなくてすねてるんです」
「はあ?」
とそこで事情を聞いた西野が、小トラに劣らぬ豪快さでガハハハと笑う。
「おお、そうかそうか。それはすまなかったな。だったら今度ぜひそれを披露してくれ、お詫びにわしも頂きに行くから」
気のいい西野に、ようやく万象も不機嫌がただの真顔にまで回復した。
「……はい」
不承不承頷いた万象に、こちらは嬉しそうにうんうんと頷いて、西野は森羅に話を振る。
「で? なんだ? お前さんたちがあのうさんくさい占い師の所へ行ってくれるって言うのか?」
「はい。年寄りの冷や水をなだめてこい、と、陽ノ下家小トラよりの依頼です」
丁寧だが、遠慮もくそもない森羅の言い方が気に入った西野は、何やら楽しそうだ。
「ははあ、あのババアの差し金か。よし、だったら任せよう。ただしくれぐれも気を抜かぬようにな」
「はい」
話が決まれば万象の行動は早い。
今日はちょっぴり不機嫌も相まって、いつものようなうるささもなく静かに立ち上がる万象を、なぜか西野が引き留める。
「おいおい、せっかく用意したんだから、茶ぐらい飲んでいけ。腹が減っては戦はできんぞ」
「万象、西野さまがああ言ってくださってるんだから、お茶をよばれて行こうよ」
森羅が袖を引くので、万象はまたストンと腰掛けて、仕方なくと言う感じで出されていた茶菓子に手をつけた。
ぱく。むぐむぐ……、……。
「んん? んんん? ゴックン。なんだこれ! めちゃくちゃ美味い!」
思わず出てしまった万象の感想に、西野は満足そうに頷いている。
「そんなに美味しいのか? どれどれ」
森羅も「いただきます」とそれを口にする。
そしてちょっと目を見開いて、うんうん、と笑顔になった。
「本当だ、これは美味い」
「西野さま、このお菓子って作り方は秘伝か何かですか?」
勢い込んで聞く万象に、西野ははて、と首をかしげる。
「いいえ、作り方はうちの和菓子職人がどなたにでもお教えしていますよ」
すると、お茶のおかわりを持ってきた給仕が何の気なしに言った。
「本当ですか? じゃあ、占い師のところから帰ってきたら、教えてくださいって俺が言ってたって職人さんに言っておいてください」
「は、はい」
勢い込んで言う万象の気合いに圧倒された給仕が、ちょっと苦笑しながら言う。
「で、あとで味見を、えーと、森羅は茶化すから……。あ、飛火野! 飛火野が味見してくれ」
お茶を一緒にと西野が勧めるのにもかたくなに首を縦に振らず、部屋の隅に気配なくたたずんでいた飛火野に、万象が声をかける。
「私、ですか?」
「おお、それは良い。せっかくだから、あとで皆で茶を楽しもう」
西野はまたうんうんと機嫌良く頷いた。
飛火野は今回、2人の護衛という形で西野家へ来ていたのだ。
「な、頼む、飛火野」
「それは、かまいませんが」
拝むようにして頼む万象には勝てず、飛火野は頷いた。
「よおし、そうと決まれば善は急げだ。ほら、行くぞ森羅!」
「ちょっと待ちたまえ、このお菓子、本当に美味いからおかわりを頼んだところだ。あ、来た来た」
そう言って机に置かれたお菓子を優雅に手に取る森羅。すると、すかさず万象が森羅の手からそれを奪い取る。
「あ」
そして綺麗にふたつに割ったその1つを、森羅の目の前に差し出し、半分は自分がぱくりと口に入れてしまう。
「むぐ、うーん美味い! さ、早く食べて行くぞ」
しばしあっけにとられていた森羅だが、「なんて万象らしいんだ」と笑いながらそれを食べたあとにお茶を啜ると、「よっこいしょ」となんともジジくさいかけ声をかけて立ち上がるのだった。