5 マイホーム?
麦。むぎ。ムギ。一面何処も彼処も麦。黄金の穂が風に靡いてザァーと波のような音を鳴らした。
「おぉ。これはすごいなぁ。」
目につく範囲全て黄金一色に塗り広げられ、そんな中一際大きな風車が緩やかに回っている。まるで自分が豆粒か小人にでもなったような気がしてくる。
「なるほど、それで小人か」
先ほどまで居た食堂の店員さんの言葉を思い出していた。小人のお家。何故普通の家をそう呼ぶのか分からなかったけれど、ここに来て納得した。
大きな風車と麦。遠くに見える小さな家。それ以外ここには対象とするものが何もないのだ。それだけじゃなく、麦自体が大きい。観光マップにこの辺りは野菜が普通より大きいと書いてあったが、まさか麦が自分の背丈よりも大きく体をスッポリ隠してしまうとは思わなかった。自分がとても小さくなったような錯覚をしてしまう。
「見ていて飽きないなぁ。すごく綺麗」
風車を背に少し小高い丘の上の芝生に座り込んで、切り取った絵のような景色を堪能する。
「ほっほっほ。嬉しいねぇ。お嬢さんは観光かい?ってまぁこの辺りを見に来る人はみな観光じゃわな。ほっほ」
こちらが返事をする前に完結されてしまった。
おじいさんはどっこらせと隣に腰掛けニカッと笑った。
「えっと、こんにちは」
「はい。こんにちは。お嬢さんはどちらまでかな?」
「この先にある家の面白い話を聞いたもので、行ってみようかなと。ここにいると本当に小人になった気がしますね」
「そうじゃろそうじゃろ。同じ家じゃが精霊の休憩所と何故そう呼ばれるか知っとるかの?」
ふるふると首を振るとおじいさんは待ってましたと言わんばかりに語りだした。
「あの家はのう壊せないし入れないんじゃよ。むかーし国の偉い方があそこも麦畑にした方がいいと言い出して取り壊そうとしたんじゃ。特大の魔法を放ったりじゃとかドラゴンをけしかけて破壊しようとしたりのう。それがどうやっても傷一つ付かんでな。それどころかそんな無茶をしたせいか、精霊様のお怒りをかってしまっての。当時麦はおろか作物が一切育たなくなったらしいんじゃ。それであの家は精霊様が作物を大きく育てて下さってる合間に休憩されている場所なのではと皆が言い出してな。慌てた国の偉い方が必死であの家の前で何年も謝ってお怒りをといてもらったという話じゃ。今ではとても大切にされているのぉ。見に行くのは良いがお怒りをかうような事はせんでおくれよ?ほっほたどり着けるとええのぉ。ほっほっほ」
「は、はい。すごいお話聞けて良かったです」
――――意外と壮大な話でビックリした。もっとこう、昔の魔法使いが誤って魔法かけて家に入れなくなったとかそう言う軽い感じだと思ってた。
おじいさんはどっこらせと立ち上がるとそうじゃろそうじゃろと言いながら立ち去っていった。
話を聞いて余計に見てみたくなり、麦畑の小道へと入っていく。
本当に不思議な場所だ。まるで時間が止まったような空気の中、背の高い麦に囲まれ道を進んで行く。どこまでもどこまでも続く同じ景色に真っ直ぐ歩いているのか右に進んでいるのかはたまた後ろに戻ってしまっているのか分からなくなる。
「····これってたどり着けないようにしてある?」
もし何かしらたどり着けないようにこの土地に魔法でもかけてあるのならおじいさんの最後の言葉も理解できる。
「魔法が発動したとしたら小道に入った時かな?」
「≪解呪≫」
短く言うとグニャリと景色が歪んだ。ぐるぐると回るように景色が変わっていく。そして唐突に小さな一軒家が現れた。
小道に入ってすぐのところにその家はあった。
「これ···」
見覚えのある家に困惑する。記憶の中を引っ張り出したその場所は。
「···私の家だ。」
なんで?どうして?こんなところに?色んな思いが巡りつつ、そっとドアノブへと手をかけた。カチリと音が鳴り、ゆっくりと回せば簡単に開いた。
誰も入れない?それはそうだ。だってこの家の住人じゃないから。壊せない?それはそうだだって大切なものを守るためにびっくりするくらい多重に結界が張ってあるもの。
震える足で家の中に入ると声がした。
『ままぁ~』
頭に小さな角を生やした幼い女の子がたどたどしい足取りで走ってくる。私は膝を折って同じ目線になると思わず手を広げた。胸に飛びつかれ抱きしめようとすると女の子は掻き消えた。
「あ、あぁ」
唇が震える。声にならない声が漏れでる。その場にしゃがみこみ虚空へと消えた女の子を必死で探すように自分の方を抱いた。
『おいそんなとこで何をしてるだ』
また声が聞こえた。泣きそうになりながら振り返ると今度は男の人が家の入り口。ドアの前にいた。黒い髪に大きな巻き角。全体的に服装も黒く見た目は魔王そのものだった。その片腕には先ほどの女の子よりも小さな男の子がキョトンとした顔でこちらを見ている。
『おいーーー。大丈夫か?』
心配そうな顔で私の頬に触れようと手を伸ばし、私もそれに答えるかのように手を伸ばした。あと数ミリで触れられるというところで目の前に居たはずの彼はザァーと揺れる麦の葉音と共に消えていく。残されたのは私一人。
ボロリと大粒の涙が溢れた。私はこの日この世界に来て初めて泣いた。大声で胸が引き裂かれそうな痛みと共に泣き叫んだ。