4 特別な日
翌朝。のろのろ起きだしたサリスが、魚をとりに船着き場へいくと。
「見ろあれ、やばいって」
「うっわあ壮観!」
「まじかよ!」
魚当番の弟子たちが湖を指さして、わいわいがやがや、ひどく騒いでいた。
何ごとかと思えば。
「えっ?! うそ……氷……が!?」
湖には、さざなみがなかった。
朝日に照らされる湖は一面、まっしろ。きんきんに凍って、すっかり固まっていた。
「シルフィリエ……! 氷の女王が降りてきた?! け、結界は?!」
まるで鏡のようにきらきら輝く湖面を、サリスは呆然と眺め渡した。
こおおと、こごえる凍気が、銀盤を走り抜けている――
「どうして?!」
お師さまや他の導師たちが、毎日風編みをしているのに。
氷の女王を、追い払っているはずなのに。
岩窟の寺院は、上を下への大騒ぎ。
蒼き衣の弟子たちが、わらわら岸辺に出てきた。
黒き衣の導師たちは、降りてきた寒気を払おうと、岩の舞台に集まり、朝の風編みを始めた。
けれども氷の女王はとても頑固で、まったく、立ち去る気配をみせなかった。
「すっかり凍ってしまったな」
朝の給仕のとき、師は他の導師たち同様、とても困った様子でいた。
弟子たちが集まる大食堂も、わいわいがやがや。さっそく情報が飛び交った。
「ねえねえ、長老さまたちが、湖を透視したらしいよ。湖の中央に、寒気の塊が降りてきてて、ぐるぐる渦巻いてるんだって」
「すごい吹雪の渦で、風編みの結界と同じ効果を出してるんだって。どんな乗り物も押し戻されるんじゃないかって話だよ」
「へええ、不幸中の幸いってやつか」
朝餉が終わると、サリスはいつものように巻物をいっぱいかかえて、円堂に向かった。しかしその日、講義はなかった。
「湖に降りた寒気は、今日いっぱいは動かぬようだ。せっかくだから、いつもとは違うことをするといい」
苦笑しながら、セイリエンは弟子たちそれぞれに、真っ赤な包み紙にくるまれた「贈り物」を手渡した。
「お師さまこれ、すっげえ!」
包み紙を取るなり、豹をかぶるジェリは大興奮。エルクとレイスもはしゃぎながら靴をぬいで、もらったものにさっそくはきかえている。呆然と「贈り物」を抱えるサリスは、ラデルにぽんと肩を叩かれた。
「よかったね。望みがかなって」
「えっ……?」
「スケート、好きなんだろ? さて、俺はジェリと一緒に、ペンギン歩きで練習だな。寺院に来る前は、スケート靴なんて買ってもらえなかったからね。ああ、よければ、教えてくれると嬉しいな」
包み紙の中のスケート靴をながめおろして、サリスはとまどった。
望み?
いいや、何かを願うなんて。そんなひまは……
ああでも。シルフィリエ。
きみにまた会えて、うれしい――
セイリエンの弟子たちは思いきり、湖上で遊んだ。
他の導師の弟子たちもたくさん出てきて、しゅるしゅる湖上を滑っていたけれど。
立派なスケート靴をもらったのは、セイリエンの子たちだけだった。
子どもだけでなく、黒き衣の導師たちも、冬の珍事を楽しんだ。
夢見のソムニウスは優雅に氷の上で踊り唄い。
細手のテスタメノスは氷に穴をあけて、小さな魚をたくさん釣り上げた。
長老たちは韻律の技で、吹き荒れる風を加工した。叩きつけてくる風を吹雪ごと丸め、龍にしたり。獅子にしたり。真っ白な風の幻獣たちが、きゃあきゃあ逃げる子どもたちを追いかけた。
調理当番の子たちは岸辺に天幕をはり、炊き出しをした。とろりとあつい豆汁が、外で遊ぶ者たち全員にふるまわれた。
「サリス速い!」
サリスは、同じ北五州出身のエルクやレイスと、何度も何度も競争した。くるくる回って跳ぶ技も、みんなの前で披露した。それから、何度も転ぶジェリに手を差し伸べて、滑り方を教えてやった。
「すっげえ! サリスすっげえ!」
「うるさいです。いちいち、驚嘆しないでください」
「でもすっげえ! あっというまに滑れるようになった、ラデル兄さまもすっげえけど!」
サリスはすぐ脇を颯爽と滑っていく兄弟子を見やって、微笑んだ。
「そうですね。さすが秀才です。風の精霊と手をつないでますよ」
「えっ。両手に見えるあのモヤモヤって、そうなの? 召喚術か! まじすげえ!」
「ジェリ、あの……南国についての本を少し、読みました。あなたが豹の頭を被るのは、豹頭の神であった先祖の加護を得るためなのですね」
「うん。俺の先祖って、神様だからね!」
「でも豹頭をそのままかぶらなくとも、加護の力を引き出せると思います。豹の瞳を首飾りなどに加工してはどうでしょうか? 瞳には、魂が宿るといいますから」
「首飾り? ほんとにそれでいけるのか?」
「ええ、理論上は。実験をして、検証してみるといいと思います」
「じゃあ俺、その実験手伝うよ」
とっぷり日が暮れるまで、サリスは思う存分、湖上を走った。
女王の息吹を、背に受けながら。
空には雲ひとつなくて。
さえぎるものは、なにもない。
真っ青な鹿が、日輪から降りてくる。
負けない。
負けない。
金の獅子なんか、蹴ってやる!
鹿は、叫びながら氷の上を駆けていく
鹿から目をそらし、僕は固まった水平線を見すえる。
さあ滑りだそう。
競争するんだ、だれが速いか。
兄様たちには負けない。今度も勝ってやる。
冷たい息吐く、氷の女王。
あなたの息を味方にしよう!




