2 岩の円堂
湖にせりだしている円堂は、サリスの師が一番気に入っている場所だ。師はしょっちゅうここに弟子たちを集めて、講義をする。
内側だけでなく、外側もつるりと円く彫り出されていて、壁にはびっしり、優美な円環の浮き彫りが施されている。これは星見のための星座盤だ。文様を確かめながら、四方にあいた窓から空を観るという仕掛けになっている。
サリスが一番弟子の隣に腰を下ろしてほどなく、ふたりの蒼き衣の弟子が、円堂にやってきた。
ひとりは眼鏡をかけていて、もうひとりはかなりふくよかな子だ。
ふくよかな子はなぜか、干したバラの花を一輪持っていた。
「エルク兄さまにレイス兄さま。ごきげんよう」
「やあサリス」「まもなくお師様がいらっしゃるよ」
ふたりとも、蒼き衣の上にはなんにも羽織っていない。一番上の兄弟子と同じく、寒さに耐える修行をしているのだろうか?
「サリス、ジェリを呼んできて」
「はい、ラデル兄さま」
サリスは円堂を出ようと腰をあげたが、慌ててまた座りなおした。
弟子たちの師が、円堂に入ってきたからだ。
黒き衣のセイリエンは偉大な予言者。
いにしえの歴史を読み解き、大陸の未来を語る。
見目うるわしい青年なれど、寺院を統べる七長老のひとりにして、金獅子州の後見を務める才人だ。
寒風になびく金の髪は、獅子のたてがみのよう。切れ長の目は、自信と魔力に満ち満ちている。
「さて、今日の講義を始めようか。おや? まだひとり、足りないようだね」
「お師さまごめん! 遅刻遅刻ー!」
豹の皮をかぶったジェリが、駆けこんでくる。
(まったく……! お師様のあとに入ってくるなんて)
金髪のサリスは、自分の隣にきたジェリをまた睨みつけた。
蒼き衣の弟子たちはきっちり順序よく横並びになって、円堂にあぐらをかいた師の前に正座した。
一番右は、十六歳のラデル。
二番目は、十五歳のエルク。
三番目は、十四歳のレイス。
四番目は、十三歳のジェリ。
そして五番目は、十一歳で、今年寺院に来たサリス。
「末の子よ、スメルニアの年代記を」
「かしこまりました」
サリスは山積みの巻物の中からサッとひと巻とりあげて、師に手渡した。
「ありがとう。では本日も、大帝国の長い歴史を紐解こう。だがその前に」
偉大な師はひとこと、韻律を唱えた。
たちまちあたりに魔法の気配が降りてきて、なんと、円堂に入ってくる風がぴたりと止んだ。
窓や入口から、寒気が全然、吹き込んでこなくなったのだ。
偉大な韻律の技はそれだけではなかった。
師が伸ばした手のひらから、まっかな光がうなりをあげて生まれ出た。光はぱちぱちきらきら火花を散らし、みるまにまばゆい灯り玉になった。
「おおっ!? この空気、常夏並みじゃん!」
まっかな灯り玉は、弟子たちを焼かんばかりにじりじり熱い。
ジェリは汗ばみ、豹の毛皮と尻尾を脱いだ。
「今朝は一段と冷えこみ、湖がうっすら凍ったが。君たちは決して凍えることはない」
凍えるどころか、みなあっという間に汗だくである。顔から汗がふき出したサリスは、首に巻いていた銀ギツネのえりまきを取った。
「炎の精霊と契約したんですね。すごいです」
「下級のものだよ。全然たいしたことはない。…………おや? ラデル、衣のたもとに何を入れている?」
師は目を細めて、じっと一番弟子の衣をみつめた。
「ほう……〈大陸軍法の判例及び事例集〉……?」
「あ、はい。そうです」
一番弟子のラデルは、衣のたもとから巻物をひと巻出してみせた。
「お師さまが今日ご講義される大スメルニアは、現在、極東のスイ国と交戦しています。近々休戦条約を結んで決着がつくと思われますが、一体どんな条約を結ぶのか、これを読んで予想していました」
「なるほど。では、本日の講義の最後に、そのことに対して私の見解を述べるとしよう。おまえの予想と同じになるかな?」
「ええ。きっと同じです」
サリスは、目を細める師と、硬い顔でうなずく兄弟子に痛く感心した。
偉大な師は自在に精霊を扱い、蒼き衣のたもとの中をはっきり透視したのだ。
そして賢いラデルは、師が炎の灯り玉を作ることを予知した。だから何も羽織ってこなかったのだ。たぶん、師がどんな見解を示すかも、予知しているだろう。
サリスは超常の力をなにげに使うふたりを賞賛しようとした。しかしその声は、隣に座っているジェリのきんきん声に呑まれてしまった。
「ラデル兄さま、すっげえ! 俺てっきり、袂のなかにお菓子でも隠しててさ、それでお師さまが怒ったのかと思った。ほんとすっげえ!」
「バカだな、真面目な兄さまがお菓子なんか隠すわけないだろ。ジェリ、おまえ見えないのか?」
眼鏡のエルクが眉をひそめてあきれる。透視など、できて当然だというように。
隣に座るレイスが、花を持ってきた理由をにこにこ顔で明かした。
「今朝、お師さまが光る玉を燃やす夢を見ました。だから、お花を持ってきたんです。ねえお師さま、灯り玉で、この花焼いていいですか? これ、花の中に香油を入れてあるの」
エルクは透視が、レイスは予知ができるらしい。
(みんなすごい。でも僕は……)
息を呑むサリスの隣で、ジェリが目をまん丸くして、無邪気に驚いた。
「わあ、すっげえ、いい匂い! レイス兄さますっげえ!」
「ジェリったら、さっきからすっげえしか言ってないよ?」
「だってほんとすっげえよ。俺って、予知も透視も全然だからさー」
「ジェリは仕方ない。導師になるためにここに来た子とは違うからな」
「そうそう、お師さまの言うとおり。俺って、アブナイとこから避難してきただけだもん。山のてっぺんとか地下遺跡とか、避難先の候補はいっぱいあったけどさ、ここは大陸一安全なところって聞いたから、ここにしたんだ」
「然り。我ら導師が作りし結界は、何人たりとも越えられぬ。氷の女王や火夫人とて、岩窟の寺院にやってくることはない」
レイスの干し花は灯り玉に燃やされて砕けると、あたりに甘やかな香りをふわりと醸した。
みんなは心地よい暖かさにつつまれて、しばしまったりしたけれど。
サリスはひとり落ち込んで、凍らない湖を悲しげに見つめていた。
シルフィリエ シルフィリエ
ぼくにはなにもみえない なにもきこえない
未来のことはなにも、わからない――




