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氷の女王  作者: 深海
2/7

1 セイリエンのジェリ

 こおこおひゅうひゅう、冬の風が、天にそびえる岩壁に打ちつける。

 魔物の唸り声のようにおどろおどろしいのは、岩壁にたくさん、穴があいているからだ。

 これらは全部、人の手によって丹念に穿(うが)たれた窓。

 いと高い岩山の中も、穴だらけだ。長い回廊。いくつもつらなる狭い部屋。無数の穴が彫られている。


 ここは、遠い遠い北の果て。霧深い湖を見下ろすこの岩山は、「岩窟の寺院」と呼ばれている。

 中に住んでいるのは、太古の時代の遺産を守る、黒き衣の導師たち。

 それから――

 

「すっげえ! 氷が浮いてる!」


 蒼い影が、岩の回廊を横切った。岩の階段を駆け降りて、ぶあつい岩のアーチ門をくぐって外に出る。


「すっげえすっげえ、すっげえ!」


 きらりと、太陽の光が蒼い影を照らす。板を連ねた船着き場に駆けていくのは、蒼き衣を着た少年だった。

 導師見習いがまとう衣のすそをひるがえして、一目散。少年は、湖の岸辺にぷかぷか浮かぶ氷の破片をつっつき始めた。金色の豹の目は、ぎんぎんきらきら、燦々と輝く太陽のよう。まるで太陽神のごとしだが、その格好はかなり変である。蒼き衣の上に羽織っているのは、ぶあつい豹の毛皮。首に巻いているのは、ふさふさの豹の尻尾。黒い巻き毛はすっぽり、豹の頭の中に収まっている。


「ひゃあ、冷てえ! でもうめえ!」


 氷をつかみあげてガリガリかじるし、言葉にはまったく、品位のかけらもない。

 だから、彼のあとから門をくぐって岸辺に出た子は、思わずぎりっと豹の頭を睨みつけてしまった。両手には巻物の山。険しい眉間に垂れる金髪が、寒風を受けてふわりと舞う。

 

「セイリエンのジェリ。はしたないです」

「いいじゃん! こんなに氷があるんだからさ!」

「巻物運ぶの、手伝ってください」

「は? 俺に命令するなよ、セイリエンのサリス。俺って、おまえより年上。兄弟子様なんだぞ」

「まったく……」


 金髪の子は銀ギツネのえりまきに口を埋めて、冷たい悪口を押し殺した。


(……これが一国の王子? まったく、信じられません)





 ジェリの本当の名前は、ジェリドヤード・エル・ケルティーヤという。

 ふるさとは、常夏の南王国(なんおうこく)。大陸の南方に広がる、密林の国だ。

 父親は、南王国を治める大君(マハーラージャ)。母親は四番目の妃で、腹違いの兄弟がたくさんいる。

 大君(マハーラージャ)の大理石の宮殿は、まっしろで壮麗な見てくれとは想像もつかないぐらい、真っ赤でどろどろで恐ろしく怖いところらしい。だからジェリは、王位を狙う兄たちに殺されないよう、北の果てにあるこの寺院に逃げこんできたそうだ。大きな湖と風の結界で守られたここは、大陸で一番安全なところだと、ひそかに知られているからである。


『俺んちの血統は、まじで由緒あってさ。豹頭の神さま、ケルティーヤの血を引いてるんだ。まさに、豹の毛皮や尻尾をまとうにふさわしい、すっげえ王家なんだぜ!』


 ジェリはいつもそう自慢する。けれど、こんこん雪ふる北国の、とても上品な家に生まれ育った金髪の子は、それを聞くたび眉をひそめてしまうのだった。


(獣の皮をそのまま被るなんて。蛮族としか思えません……)


 金髪の子は、岩壁に沿って長く長く続く岸辺を進んで、岩の円堂に入った。

 仏頂面で巻物をおろした先に、目の覚めるような金髪を垂らす、蒼き衣の背中が見える。

 しゃがんでいるのは、一番上の兄弟子だ。師の書庫から運んできた巻物を熱心に読んでいる。


「ラデル兄さま。寒くないんですか?」

「ん? あ、大丈夫だよ」

 

 円堂の柱から、びゅうびゅう寒風が吹きぬけてくる。なのに、一番目の兄弟子は、蒼き衣の上になんにも羽織っていない。寒さに耐える修行でもしているのだろうか? 

 兄弟子ほど真面目で優秀な導師見習いはいない。いつでもどこでも書物を読んでいるし、韻律を扱うどころか、自分で編み出すこともできる。頬にひと筋ついている傷跡は、「偉大な探求者の証」だ。自前の韻律をためしたら、いきなりまわりが爆発してしまって、砕け散ったギヤマンの瓶で負傷したのである。


「それより、ジェリったら大興奮だね。きゃあきゃあすごいな。きっと生まれて初めて、湖に浮かぶ氷を見たんだろうね」

「でも兄さま、」


 金髪の子は口をとがらせて、兄弟子にぼやいた。


「あんなの、ちょっとうっすら氷が浮かんだだけじゃないですか。シアティリエの息で凍った湖なら、まだしも」

「シアティリエ……氷の女王か。君の故郷の湖も、一面凍るんだね」

「ええ、毎年がちがちに固まります。とても分厚く、まっしろに。百の湖が全部、凍ります」

 

 北五州は湖だらけ。陸より水が多いから、みんな舟を使って街から街へ移動する。

 氷の女王が吹き荒れそうになったら、大人たちは湖から舟をいったん引き上げる。

 湖が凍ったら、長い(そり)足と大鹿を繋ぐ綱をつけて、湖上をびゅんびゅん走るのだ。

 子どもたちは大はしゃぎ。みんなスケート靴をはいて、湖で遊ぶ。ひゅおうびゅおう、冷たい吐息を背に受けて、まっしろな湖面をくるくる滑る――


「ここは、僕のふるさとよりずっと北ですが。湖がすっかり凍ることはないのですね」


 目を伏せてうつむく金髪の子を、一番上の兄弟子は、澄んだ水色の瞳でじいっと見つめてきた。

 まるで心の中を読み取るように。


「うん……この寺院は、かつて大陸を破壊した、とっても危ないものをたくさん封印してる。だから人を寄せつけないために、お師様たちは毎日、岩の舞台で惑わしの風を編んでるわけだけど。その風は、通行を許可してない舟を押し戻すだけじゃなくて、氷の女王も押し出してるんだ」

「黒の導師さまたちの韻律の御技は、空にまで及んでいるんですね」

「そうだよ。お師さまたちってすごいよね。今年は寒波がひどくて、少し氷が張ったけど。それでもここの湖は、絶対凍らないよ」

「絶対……凍らない……」

「寒波だけじゃない。風編みの風は、熱波も追い払ってる。だからここの夏は、とっても涼しいんだ」

 

 金髪の子は、やわらかな銀狐のえりまきの中でため息を押し殺した。


「そうですか。追い払ってるんですか……」





 シアティリエ シアティリエ

 僕はけっしてつかまらない

 あなたの息なんか、こわくない

 背を向けたまま、勝ち逃げしよう

 さよなら さよなら おそろしい氷の女王 

 永遠におわかれだ……


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