第1話 異 動 ~日本から異世界へ~
この物語はフィクションです
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『公務員』と聞けば、何を思い浮かべるだろうか。
安定、福利厚生、副業禁止、面倒、真面目、汚職、天下り等々……様々なイメージが思い浮かぶ。
同じ公務員の『自衛隊』では、どうだろうか。
訓練、銃、戦争、災害派遣、政府の犬、給料泥棒等々……。
様々なイメージがあるだろうが、自衛隊ならではのフレーズと言えば『全国への異動』がある。公務員の中でも自衛隊の異動(=転勤)は特に多く、その幅も広い。幹部であれば約2年、曹であれば中期実員管理で数年毎にどこか遠くへ飛ばされる。その勤務地は日本全国に及び、北は北海道、南は沖縄県までに至る。世界を股にかける外交官もその範疇に含むと、勤務する場所は地球上のあらゆる場所になるだろう。
勤務先は勝手に決められるのかというと、そういうわけでもない。希望通りになる、と口では言われるが……実際はそううならない場合が多い。そもそも自衛隊における地方区分は、
・北方(北海道)
・東北方(東北地方)
・東方(関東地方と新潟県、長野県、山梨県、静岡県)
・中方(中国地方、四国地方、近畿地方、新潟県、長野県、山梨県、静岡県を除く中部地方)
・西方(九州地方と沖縄)
の5区分に分けられるため、九州を希望しても沖縄県になったり、広島県や山口県を希望したら静岡県に配置されるという話はよくある事である。
この『異動』については多くの疑義と問題を抱えているが、国の偉い人が作ったシステムなので、どうこうできるものではない。故に、ほとんどの自衛官は思いもよらない場所に転属することになる。
これは『魔法やモンスターが当たり前に存在する異世界』に異動になった一人の自衛官の物語である。
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(歩き始めて太陽が一周。歩く速度からして、目的地まであと数十キロ。針葉樹林が一望できる制高点に辿り着くはずなんだが……ここは、どこだ……?)
生い茂った木々の隙間から日が差し込む。その木々の下で、一人の自衛官が地図と辺りの光景を何時も見比べている。
頭には鉄帽、身体には防弾チョッキ、背中にはパンパンの背嚢、首から小銃をスリングでぶら下げ、腰元には拳銃とマチェットが装備されている彼は、地図を水平にして顔の近くまで持ち上げたり、地図の地線と地面の隆起を何度も見比べたりしながら、何度も『違う』と唸り声をあげていた。
彼が行っているのは『地図判読訓練』である。その名の通り、地図を見て目的地に行くだけの地味な訓練だ。
その困難性は、部隊や時代の流れでバラバラであるが、筆者が知る中でも一番ヤバいと思ったのは、『目隠しをさせられた状態で見ず知らずの山に連れていかれ、知らない場所で目隠しを取られ、現在地を教えられないまま、目的地が示された地図とコンパスだけ渡され、制限時間(約3日程度)以内に地図とコンパスだけでその目的地へ向かう(食料、飲物は現地調達)』という本当に生死をかけた訓練である。
彼が行っている訓練はまさにそのレベルのものであった。
彼は一度深呼吸をして息を整え、手元の地図を畳んで辺りを見渡した。
(状況を整理しよう。
昨夜は晴天で星座の位置が確認できた。コンパスの方角は正確だった。日中になって太陽の位置も確認した。つまり、コンパスは間違ってない。
地図も全員同じものを貰った。俺だけが間違うようにはなっていない。
最初に行った現在地の特定も簡単なものだったから、まず間違えることは無い。それなのに、こうも位置がわからなくなるなんて……。
……そういえば、今朝、崖から滑り落ちた時に目の前が一瞬にして強い光に覆われたな。少し頭を打ったのが原因だと思って気にもしてなかったが、それから周辺の植生が急激に変化したような気もするが……それが原因なのか?
いや、そんなフィクションは有り得ない。現実逃避は死ぬ前にいくらでもできる。いつも通り、焦らずに行こう。)
彼には、自分自身に何が起きているのか、全く理解できていなかった。しかし、理解できていないからと言って、考える事を辞め、勘や運で決めた方法で行動するわけにもいかない事も理解していた。
山の中の行動は常に危険を伴う。崖や穴から落下し、骨を折って動けなくなる、クマ等の生物に襲われる、誤って硫黄ガスが溜まる凹地に移動してしまい、呼吸が停止すること等、有形無形問わず様沙汰な危険が存在する。
それらは何時何時に襲ってくるか分からない。だが、生き残る為には、全ての危険を回避しなければならない。そのために自分は地図上のどの位置にいるのかを知ることは必須条件であるのだ。
彼はもう一度地図を広げ、外の景色と何度も見比べてた。
(地図を見る限り、この辺りは針葉樹林で山の頂点にあたる場所だ。だが、目の前にあるのはジャングルに生えているような極太の木ばかりで、どちらかというと低い場所に見える。それに、焦げたような草が散見される。まるで、日本以外の別の場所に飛ばされたみたいだ。一体どういう……ん?)
何かを見つけ、彼は直ぐ様近くにある太い大木の裏に身を潜めた。目線の先には、茶色肌の爬虫類のような生物が写る。
(四足歩行、低い姿勢で移動。見た目からしてトカゲだが……その割にはデカい。体調は1メートル前後、コモドドラゴンに似てるな。毒を持ってるなら危険だが、どうする……?)
小銃に手をかけ、様子を見ていると、そのトカゲはモサモサと草を食べ始めた。
(ん?アイツ……草食か?体格的には肉食っぽいが……。よく見ると、目の位置が顔の横に付いてる。草食動物の特徴に近いが……悩んでもしょうがない。腹も減ってるし、丁度いい。食うか。)
生き物に対して『食うか』という発想を持つ事に突っ込み所満載だと思われるが、山の中で極限状態に陥った事のある自衛官曰く、『ホントにヤバいときは食べられそうなもの全てが旨そうに見える』らしい。
このご時世だからこそ、コンプライアンスや必要性の観点から、自衛隊のレンジャー訓練では限りなく死に近づけるような訓練を行わないが、一昔前にはそういった訓練があった。
その時は、肉体的にも精神的にも死ぬ寸前の極限状態まで追い詰められ、その辺に生えている草やカエル、キノコ、艶やかな色の蛇ですら美味そうに見えるらしい。
彼は訓練を開始して約二十四時間、飲まず食わずで行動している。巨大なトカゲはラオス人民民主共和国では上質の肉として扱われることもあり、彼にとっては森の中で極上のステーキを見つけたようなものである。
何としても仕留めようと、彼は心を落ち着け、装備品を確認する。
(今持ってる武器は89式と拳銃。弾は5.56mmが120発、9mmは30発。近接武器は銃剣、マチェット、エンピ。装備品を外すと音でバレる可能性があるから、このまま行くか。)
腰元のマチェットをゆっくりと抜きながら、反時計回り方向に回って、巨大トカゲの背後を狙う。右手にマチェットを持ち、ゆっくり振り上げながら近づいていく。
手が届く位置まであと八歩、七歩、六歩。
あと少しで手が届く、という距離まで近づくと、巨大トカゲの尻尾がブンブンと不自然に早い速度で左右に振られる。
(警戒のサイン……さすがに気付いたか。しょうがない、使うか。)
ゆっくりと屈み、マチェットを床に起く。空いた両手で小銃に手をかけ、ゆっくりと肩へ据銃しながら安全装置を切り替える。
トカゲはカチリという僅かな音を聞き漏らさず、即座に彼の方へと顔を向ける。彼はその一瞬を見逃さず、引き金を引き、弾丸をトカゲの眉間に命中させる。
トカゲの眉間から血が吹き出すのと同時に、トカゲの口から破裂音と火の玉が飛び出した。まるで榴弾砲のような勢いで吐き出された火の玉は、彼の頭上の木の枝に直撃し、一瞬でそれを灰に変えた。
(……何が、起きた?このトカゲ……火を吐いたのか?弾を打ち出したのか……?)
トカゲの身体は次第に動かなくなっていき、数分も絶たないうちに絶命した。その傍らで、彼は肩を揺らすほど激しい呼吸をしていた。
(……直撃したら、間違いなく死んでいた。どうやら、俺はとんでもない森に迷い混んでしまったらしい。
次は最初から銃を使うようなしよう。吐き出された火の玉に当たれば即死だ。出し惜しみは出来ない。しかし……。
弾の補給は無い、弾を無駄にはできない。
衛生陸曹はいない、怪我は出来ない。
手持ちの食料はない、今はこのトカゲを食えばいいが……もし、食料と水が尽きれば、その時は終わりだ。
ここは危険だ、とにかく森を出よう。……おそらく、地図と整合する場所は見つからない。来た道を戻ってもいいが……戻れる確証はない。ここからは何となくで歩くしかない、か。)
考えを膨らませながら、巨大トカゲを慣れた手つきで捌き、肉を焼き、腹ごしらえをする。
肉を喰らいながら、彼は日本とはかけ離れた場所に来たことを自覚した。彼は異世界に異動となったのだ。
一歩間違えれば命を失う危険な世界に。
仲間もいない、家族もいないこの土地に。
名誉も誇りもない、名も知らない世界に。
彼の名は庄野哲也。背は170cm、短髪でやや鋭いツリ目以外には特に特徴は無く、古風な考えを持つどこにでもいる自衛官……と自称する陸上自衛隊の自衛官である。
庄野は食事を済ませると、装備を確認し、再び歩き出した。
よろしくお願いします(*´ω`*)