8 六歳の王子と「領都に向かう」守護精霊
魔術測定の翌日、魔術師のミロムさんと護衛のふたりに付き添われて、ルイとミレーヌは領都に向けて出発した。
まさか、魔術師候補生に選ばれると思っていなかったミレーヌは、泣きはらした赤い目で、生まれ育った村とやさしい両親に別れを告げた。
元気いっぱいに両親に手を振ったルイに慰められながら、とぼとぼと険しい山道を進んだ。だけど、ミレーヌは気が強い女の子だ。次の日の朝には、すっかり立ち直り、ルイをまるで弟であるかのように扱い始めた。
どこか抜けたところがあるルイと一緒なのだ。わたしがしっかりしないと、なんて思っているのだろう。
お隣りさんで、同い年で、幼なじみで、仲良しのルイとミレーヌ。移り変わる風景に心躍らせ、ふたり手を取り合って歓声をあげる姿は、見ていてほほえましかった。
初めてのお出かけに、初めてのお泊まり。すべてが初めてのことだけど、ふたりでいれば寂しくなんてない。わたしはふわふわと空を漂いながら、これでよかったんだと、ひとり微笑んだ。
ようやくたどり着いた大きな宿場街を目前にして、ミロムさんが大きな声をあげた。ガタガタと大きな音を立てながら、街から出てきた荷馬車の隊列を、呼びとめたのだ。
どうやら、隊列の中に見知った顔を見つけたらしい。これ幸いと、ルイとミレーヌを同乗させてもらおうと、なにやらゴニョゴニョと交渉を始めた。
ミロムさんは、とってもいい人なのだが、かなりマイペースだ。村から街道沿いのこの街まで来るのに三日もかかったのは、全部ミロムさんのせいだ。
「ああ、この花はどこどこの……」やら、「この後ろ脚を大きく跳ねた足あとは……」などと、どうでもいいことで歩みをとめる。ふだんから走り回っているルイとミレーヌだけなら、もっと早くここまで来られただろう。
またしても、おかしな話を始めたのか、ずいぶんと時間がかかっている。そのうち、隊列の中から赤いローブを着た女の人が、ツカツカと歩み寄ってきた。
「久しぶりじゃないか、ミロムじいさん。まだ隠居してなかったのか? おや? そいつら、じいさんの孫ってわけじゃないよな?」
二十歳過ぎと思われる女の人が、柳眉をひそめてルイとミレーヌに鋭い視線を送った。
「これはこれは、キアラ様ではございませんか。ご健勝な様子でなによりでございます。この前、お会いしたのはいつでございましたかな? あれは、たしか……」
昔のことを思い出そうと、遠い目をしているミロムさんを無視して、キアラという人はルイとミレーヌに顔を近づけた。
「まさか、ふたりとも魔術師候補なんてことはないだろうな?」
キアラに声を掛けられたふたりは、ぴんと背筋を伸ばして胸を張った。
「ミレーヌと言います。土属性の魔術師候補生として領都に向かうところです」
ルイも声を出したのだけど、ミレーヌの元気いっぱいの声にかき消された。
「ふたりともか!? すごいな! 大収穫じゃないか! 伯父上もお喜びになるだろうな」
キアラは端正な顔に人好きのする笑みを浮かべ、洗練された運びで一歩前に出た。赤いローブをバッとはねあげて、ミレーヌに向けて手を差し出す。ミレーヌの手を取って、グイッと胸に引き寄せた。
ミレーヌの顔が一瞬にして、真っ赤に染まり、ルイがびっくりして目をむいた。
「で、ルイくんと言ったかな? 君の属性は?」
火の属性を持ってるから、髪も目も赤いのかな? などと首を捻っていたわたしのそばで、キアラはミレーヌを抱きしめたまま、眉を片方だけつり上げた。
「は、はい。風です」
直立不動の体勢をとったルイが、硬い声を返す。
「聞きまちがいではなかったようだな。そうか、風か。よしよし、苦労するだろうが、しっかり生き残れよ」
こういうのを破顔一笑というのだろうか? キアラはカラカラと楽しそうに笑った。
なぜか、右手でミレーヌの頭を胸に押しつけ、左手で頭をなでている。ミレーヌが顔から火を吹きそうなほど真っ赤な顔をして、両手をバタバタさせた。
「しかし、ちょうどよかったな。魔石をベルゲンまで運ぶ途中でね。こんなじいさんと一緒じゃあ、一年かけてもたどりつけないだろう。それに、風の魔術師になるんなら、魔獣と戦うところを見ておくといい。いずれは、それが仕事になるからな」
ミレーヌを解放したキアラが、今度はルイに向かって手を伸ばした。ルイは恐る恐る手を持ち上げたが、ふたりの手が触れることはなかった。
ふいに突風が舞い、赤いローブがバタバタと風にあおられて、キアラの顔をしたたかに打ちつけた。
「ふーん。ずいぶんと風に愛されているようだな」
キアラはどこか含みのある笑みをルイに向けた。赤い切れ長の目をすっと細めて、あたりをうかがうかのように、視線を滑らせた。
「まあ、いいだろう。ぼちぼち、出発するとしようか」
キアラは振り返って、大きく手をあげた。話は終わったようだ。ほんのひと瞬きの間、ルイがわたしに困惑した視線を投げかけた。わたしはプイッと空を見上げた。
どうやら、領都であるベルゲンまで荷馬車に乗っていけるみたいだ。たしかに、ミロムさんとてくてく歩いてたら、いつまでたっても旅が終わらないだろう。
キアラはミレーヌの背中に手を回して、歩き出した。あわててミロムさんがその後を追い、ルイもくっついていく。
たぶん、ルイの頭の中では、疑問符がくるくる回っているだろう。
魔石なんてものは、うわさでしか聞いたことがない。魔法陣とやらに塗り込めて魔力を流すと、かまど代わりになったり、風が吹いたりするらしい。
でも、村にはそんなものはなかったから、それがいったい何なのかわからないのだ。
魔獣はわかるけど、戦うっていうのがわからない。たしかに、火属性や風属性の魔術師は、護衛や戦いに向いていると聞く。
でも、領都に行くのに、魔獣と戦う必要があるのだろうか?
ルイは飛べるから、伝令役とかが向いていると思うんだけどな。と思っていると、荷馬車に乗り込むルイをミロムさんが押し上げてくれた。
「よーし! 出発するぞ!」
屋根はついているけど、ドアすらついていない荷馬車に、ドカッと座り込んだキアラが、手を振って合図する。
ミロムさんは、荷馬車の隊列から離れて、ちょこっと手を振った。どうやら、ここでお別れらしい。また、どこかの村に行って魔力測定の儀式をするのだろうか。
遠ざかっていく大きな街をじっと見つめていたルイとミレーヌだったが、ふと視線を合わせて、そろって渋い表情を浮かべた。
ふたりとも、今日はあの街で泊まれるのではと、期待で胸をふくらませていたのだろう。ふたりの失望をも積んだ荷馬車は、ガタゴトと大きく揺れた。