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31 十二歳の王子と「入城する」守護精霊

 ぎっしりと建ち並んでいた高層の街並みが、ふっと途切れた。突然、開けた視界の向こうで、大きな庭園に囲まれた、贅を尽くしたお屋敷が、生い茂った木々に見え隠れし始める。


 貴族街とでも言うのだろうか? 沿道の人たちも、ずいぶんまばらになった。ぱらぱらと見かけられる人たちも、先ほどまでとはちがって、ずいぶんとお高そうな服に身を包んでいる。大きな門の前に突っ立ている兵士が、手にした槍を空に向けたまま、直立不動の体勢でまっすぐ前を見つめている前を、魔道車はゆったりと通り過ぎた。


「うっかりしてたよ、ルイ。風の精霊様を守護精霊として持っているんだ。君が風でないはずがなかった。うんうん、そうだそうだ。まさしく、君は風だ」


 それまで、かろうじて笑みと呼べるものを顔に張りつかせて、どこか遠くを見つめていたシャルルが、ふいに口を開いた。ふむふむ、とうなずいて、ルイに向き直って、すがすがしい笑みを送り出した。


「わたしがまちがっていたよ、ルイ。私心を捨てなければ、風を捉えることなどできるはずがない。父上に受けた教えにも背くだろう」


 今度はいったい何だろうと、身構えたルイに、シャルルは弁舌さわやかに語り始めた。


「父上はね、ルイ。君と王国のことを想うばかりに、四大公爵家と正面切って争うことになってしまったことを、いささか悔んでいらっしゃった。君を失わなければ、もっと穏便に、時間をかけて、彼らの力を削いでいけたのにと、常々おっしゃっておいでだった。それほどまでに、君は父上に愛されていた。そのことを、一番先に伝えるべきだったね」


 シャルルは、ふむ、と小さくうなずき、ルイの膝に手を添えた。


「父上やわたしこそが、失ってしまったものを取り戻そうと、躍起になっていたのかもしれない。わたしも、やはり、父上の子だったということだろうね」


 ルイは居心地が悪そうに、脚をずらそうとしたが、そのとたん、シャルルの手に力が込められた。


「ただね、ルイ。だからこそ、わたしは父上の代わりに、君にすべてを与える義務を負っていると思うんだ。亡き父上に対する、わたしの親孝行だと思ってもらえないかな? もちろん、君はわたしの大事な双子の片割れだ。村に帰りたいと言うのであれば、君の意思を尊重し、環境を整えるべく力を貸そう」


 そこまで言って、シャルルは、ふっと声を湿らせた。ルイと同じ青い瞳が、悲しげに伏せられる。


「ただね、ルイ。困ったことに、わたしは何者かに命を狙われていてね。君の助けがないと、いつ命を落とすかわからない状況なんだ。今、君に去られてしまうと、わたしは父上に恩のひとつも返すことができず、この世からいなくなってしまうかもしれない」


 初めて見せたシャルルの気弱な様子に、ルイもシャルルの心境を思いやったのか、悩ましげな表情を浮かべた。


「ブルンヒョル辺境伯から命じられている、わたしの護衛任務は、王太子任命式典までとなっているのかい?」


 ふーっ、と重い溜め息をひとつ吐いた後、シャルルは手をすーっと滑らせて、ルイの手を取った。


「ただね、ルイ。そこに至るには、ひと波乱もふた波乱もあるだろう。君も知っているとは思うが、わたしはロベールが王太子になるのを、指をくわえて見ているつもりはないからね。そこでなんだが、ひとつだけでいいんだ。ひとつだけ、わたしの願いを聞いてくれないな?」


 シャルルは懇願するかのように、ギュッと握りしめたルイの手を、胸の前まで引き寄せた。


「わたしはね、ルイ。王太子になるつもりだ。だが、今の状況で、わたしが王太子になろうとすれば、さまざまな思惑が、わたしの行く手を阻むだろう。そこでだ」


 銀髪と金髪という違いこそあれ、こうしてふたりが真剣な表情で見つめ合っていると、本当にそっくりだ。わたしがじーっと見くらべている前で、シャルルは熱い思いを込めて、言葉を吐き出した。


「わたしが王太子になるまででいい。君に守って欲しいんだ。少々、時間がかかるだろうが、君がいれば安心だ。代わりと言ってはなんだが、そのあいだ、王国のことや、君が知っていたほうがいいことを、付きっきりでわたしが教えよう。君にとっては、ありがた迷惑かもしれないけどね。どうだろうか?」


「それは、もちろん、かまいません。そもそも、僕はブルンヒョル辺境伯閣下から、シャルル殿下の護衛を仰せつかっています」


 ルイは悩むこともなく、慈愛の色を瞳に浮かべて、シャルルにうなずきかけた。ルイはシャルルに苦手意識を持っているけど、嫌っているわけではない。それに、ふたりは双子なのだ。王様が亡くなった今となっては、見かけ上は、一番近しい間柄だ。わたしとしても、ルイと同じ顔を持つシャルルが、目の前で殺されてしまうのを、黙って見ていることはできないだろう。


「いや、そういう意味じゃなくてね、ルイ。血のつながった双子の片割れである君の意思でもって、わたしを守って欲しいんだ。仕事ではなく、兄弟の愛情でもってと言うと、少しおおげさかもしれないけどね。ダメかな?」


「僕の意思で、ですか? ええ、かまいませんが――」


 これまた、あっさりと返事をしたルイを、わたしの声がさえぎった。シャルルはともかく、ジャマ者は取り除いておかないといけない。


《ヒョロ男はどうするの? ルイの傍には近寄らせないよ》


「ラーシュには他にも仕事がありますし、ルイが傍にいてくれるあいだは、近寄らせないようにしましょう。それでよろしいですか、精霊様?」


《うーん。ルイがそれでいいなら、それでもいいけど》


「どうかな、ルイ? どちらが兄か弟かわからないけど、かわいい兄弟の頼みごとを聞いてくれないかな?」


「かしこまりました。では、そのようにいたしましょう」


「ありがとう、ルイ。これで王国は安泰だよ」


 シャルルは、今までに見せたことがない、晴れやかな笑みを浮かべた。屈託のないシャルルの笑顔を見ながら、わたしは、うん? と首を捻った。


 私心を捨てなければ、とシャルルは言った。私心を捨てなければ、風を捉えることなどできない、と。シャルルのニコニコ顔は、今までとは違う。おそらく、シャルルは、言葉どおり、私心とやらを捨てたのだろう。


 でも……。わたしは、なごやかに談笑を始めたルイとシャルルを見ながら、頭を悩ませた。


 もともと、ルイは、シャルルとブルンヒョル男爵の護衛として、王都にやってきた。王太子の任命式典が終わるまでは、わざわざ念を押さなくとも、ルイはシャルルの身を守るだろう。何ひとつ変わったところはない。それなのに、何かを思い悩んでいたシャルルは、今や、すっかり上機嫌だ。


 うーん、どういうことだろう、とあれこれ思い返していると、魔道車がプシューッという音を出してとまった。


 いつのまにか、王城の奥深くまで、入り込んでいたようだ。右手には大きな噴水が水しぶきを上げ、左手には広いなだらかな階段が見える。階段に敷かれた白い絨毯の両側にずらっと居並ぶのは、王領貴族のご令嬢たちだろうか。それとも、王城ともなると、使用人ですら派手に着飾ったりするのだろうか。とうてい、掃除などしそうにもない面々だ。


 そんなことを考えていると、魔道車に向かって、クルクルと大きな絨毯が転がってきた。わざとだろうか? 紅白男が御者室から出てきて、シャルルが座っているほうではなく、ルイが座っているほうの扉を開けて、手を差し伸べた。


 席を立ったルイが、気まずそうに向かい側に移動した。シャルルは紅白男を横目に、悠々とルイの肩を抱いて、馬車から飛び下りた。不作法なのだろう。絨毯の上を粛々と進んでいた王妃が、整った顔をゆがませた。


《ようやく出てきてくれたー! 寂しかったんですよー、もおぅー! 久しぶりに王都に来ましたけど、なんかピリピリしてるし、その変な箱なんて、さわるとイヤーな感じがするんですよー! 風さんが閉じ込められたんじゃないかって、ヒヤヒヤしちゃいましたー!》


 プレンナーの精霊のことをすっかり忘れていたわたしは、ハッと空を見上げた。まわりにいた連中が、膝を折って頭を下げていたのは、こいつのせいでもあるのだろう。歩みをとめた王妃が、軽く膝を屈め、低頭した。


『うん? ああ、そうなんだ。箱ね。箱……あー、箱か』


 そういえば、魔道車に乗ってから、わたしは必要以上に、王都やシャルルに対してチリチリと焦げ付くような苛立ちを覚えていた。魔道車の結界のせいだったのかもしれない、と思いついたわたしは上空の風を地上へと呼び込んだ。


《わーいわーい! さすがですー! ふぅうぅー、生き返るぅー!》


 パフッと燃えあがったプレンナーの精霊が、風の中でクルクルと回りながら、大きな声を出した。本当に、こいつには威厳というものがない。はぁー、と溜め息をついたわたしだったが、王妃とモンフォール伯爵には、思いのほか効果絶大だったようだ。


 風に吹き飛ばされそうになった王妃に駆け寄ったモンフォール伯爵が、絨毯の上で這いつくばったまま、悲鳴のような声をあげた。


「精霊様、お気を静められてください! われらはルイ殿下を出迎えにまいったのでございます!」


 王妃をどうこうするつもりのなかったわたしは、プレンナーの精霊だけに風が向かうようにした。その結果、プレンナーの精霊だけが、クルクルと空を舞い、まるで歓喜の舞を踊り続けるようになった。


 ようやく、ひと心地がついたのか、王妃がモンフォール伯爵に手を引かれて、ルイの前まで歩み出た。ルイが膝をつき、頭を低くするのを、王妃が押し留め、やさしく微笑みかける。


「よく、帰ってきましたね、ルイ。亡くなったと思っていた我が子に会え、こんなにうれしいことはありません。陛下もお喜びになるでしょう。さあ、おいでなさい。あなたの義母であるわたくし自ら、王城を案内しましょう」


 シャルルなど視界の端にすら映らないのか、ルイの手をやさしく引き寄せた王妃は、長いドレスの裾を優雅にひるがえした。

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