30 十二歳の王子と「魔道車に乗る」守護精霊
さあ、王城に向かって出発だ、と思ったのだけど、そういうわけには、いかないらしい。
地上へと舞い戻ったわたしたちを迎えたのは、魔道車の客室に乗り込んだシャルルのニコニコ顔だった。御者室では、まっすぐ前を向いたヒョロ男が、丸い輪っかを握りしめている。
「申し訳ございません。目を離した隙に、乗りこまれてしまいました。王家専用の魔道車の結界は強力でして、わたくしどもでは手が出せません」
苦り切った顔で、紅白男がルイに頭を下げた。
「それでしたら、シャルル殿下に魔道車を使っていただきましょう。そもそも、わたしは護衛として王都に来ていますので――」
紅白男に頭を下げ返したルイが、事務的に話を終わらそうとしていたのを、一歩下がったところにいたカエル男が、直立不動の体勢でカパッと口をはさんだ。
「シャルル王子殿下はおっしゃっておいででございました。ルイ王子殿下と御一緒なさると。ぜひに、ぜひに、魔道車に御同乗くださるようお願いいたしますです、はい」
紅白男が頭を持ち上げ、口の端をこれでもかと吊り上げて、カエル男を見据えた。顔色を真っ青にしたカエル男が、全身をブルブルふるわせながら、アゴからアブラを滴らせる。
最後までプレンナーの精霊に感謝を捧げていたブルンヒョル男爵が、すくっと立ち上がり、紅白男にうなずきかけた。
「周りの目もありましょう。ここは、王子殿下おふたり、仲睦まじく御同乗という形でまいりましょう」
見ると、魔道車の窓ガラスの向こうで、ニコニコ顔のシャルルがルイに手招きしている。
「それでいいかな、精霊様?」
ルイがわたしに同意を求めて、瞬きかけた。
『いいよ。でも、待ってね。ジャマな奴を叩き出さないとね』
「ジャマ?」という口の形のまま首をかしげたルイを残して、わたしは魔道車の御者室に向けて、ふーっと息を吹きかけた。結界が波を起こして、真ん中あたりにポコッと穴が開いた。すかさず、潜り込み、ドアの取っ手を捻って扉を開ける。
《ヒョーロー男! おまえはホントに懲りない奴だね! ルイの前で魔法を使うなって言ったでしょう! まさか、魔道具なら許されると思ってたなんて言わないよね!?》
「やはり、こうなりましたか。こうもたやすく結界を破るとは――ひゃいっ!」
とりあえず、おもいっきり引っ張って、ヒョロ男を魔道車から放りだしておく。ゴロゴロと転がるヒョロ男を見て、シャルルが慌てて魔道車から飛び出してきて、光の魔法を発動させた。
「精霊様、申し訳ありません。わたしが命じたのです。ラーシュに罪はございません」
シャルルが天を仰いで、囁き声でわたしに呼びかけた。いつものことながら、シャルルはヒョロ男に甘過ぎる。こいつがいつも傍にいるから、ルイがシャルルを避けていることに気がつかないのだろうか?
ルイを殺そうとした奴を、手もとに置いて重用する必要が、どこにあるのだろう? シャルルの笑顔は、いったい誰に向けられているのだろう?
面倒なことを考えたせいで、思わず風を巻き起こそうになったわたしに気を使って、ルイが朗らかな声で話しかけてきた。
「行こう、精霊様。僕とシャルル殿下が客室に、セーデシュトレーム子爵様が御者室に乗られることになったから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルイとシャルルを乗せた魔道車は、王都の正面玄関とも呼ぶべき、大きな門をくぐった。魔道車が五、六台は悠々とすれ違えそうな大きな街路が、王城まで真っすぐ続いている。
ただ、その大通りも今や、左右にずらっとひざまずいた人々で、半分ほど埋まっている。そういえば、魔道車の出発と同時に大きなラッパの音が聞こえた。それに、プレンナーの精霊が魔道車の上に浮かんでいるのだ。お祭りのようなものかもしれない。
だけど、ね――わたしは、ぽふっと息を吐き出した。
――気にいらない。人が多すぎるのが気にいらない。大通り沿いの建物が、領都よりもはるかに高くまで伸びているのも気にいらない。何もかもが、空をおおい尽くそうとしているように見えるのも、気に入らない。
行く手に見える王城の高い塔も気にいらない。領都にいた頃には気にならなかったことが、気に障って仕方がない。目の前で、沿道の人たちに笑顔を振りまいて、手を振るシャルルも気にいらない。
とっとと、ルイの仕事を終わらせて、村に帰ろう。ここには何もない。人の魔法で作ったもので満ち溢れているということは、結局は、何にもないということだ。
自分にもよくわからない、チリチリと焦げるような感情を持て余していると、シャルルが沿道の人たちに手を振りながら、ニコニコ笑顔のまま沈痛な声を発した。
「ねえ、ルイ。四大公爵家のせいで、君はすべてを失ってしまった。王子であることも、父上の子であることも、わたしの片割れであることもだ。わたしは君に謝らなければならない。本来なら、君とわたしが平等に受け取るはずだったものを、わたしだけが授かることになってしまった」
シャルルは、大きな黒い半球に乗せている右手を、何かを確認するかのようにじわりと動かした。魔道車を守る結界を張るとともに、客室の防音を保つための魔道具らしい。
魔道車に乗りこんですぐ、半球のすぐ傍に座ったシャルルは、「これで、ようやく込み入った話ができるね」とルイに微笑みかけた。だけど、そんな理由だけで、ふたりが今まで打ち解けられなかったとは、わたしには思えなかった。
「君は父上に愛情を与えられることもなく育った。王子としての教育を授けられることもなかった。名君だった父上の薫陶を受けることもできなかった。王都から遠く離れた辺境の地で、ただ、ただ、その日、その日を、生きていかざるを得なかった」
シャルルの言葉にさらにイラッとしたわたしは、気持ちを静めようと、御者室に意識をそらした。左手で丸い輪っかを握った紅白男が、沿道に向かって右手を振っている。器用なものだ。どうやら、丸い輪っかで進む方向を決めるようだ。同時に魔力を魔道車に流しているらしいのだけど、じゃあ、どうやって進む速さを決めているのだろう。
いずれにせよ、紅白男がうらやましいと思ったのは初めてだ。防音の魔道具のおかげで、御者室にいれば、シャルルの話を聞かずに済むらしい。
「でもね、ルイ。これからは違う。君に約束しよう。君が失ったもの、手に入れるはずだったものをすべて、父上に代わって、わたしが、君に与えるとね」
さすがはご立派な王子様だ。育ちがよくていらっしゃると、わたしは心の中でトゲトゲにつぶやいた。
「父上自らが、君を実の子として認めることは、もはやできなくなったけどね。大丈夫、わたしがいるからね。亡くなった父上に代わって、わたしが君を生き別れた双子であると認めれば、何の問題もない。君はわたしの片割れとして、この国の王子として認められることに――」
シャルルと並んで座っていたルイが、ふいに首をぐるんと回した。
「国王陛下が……亡くなった? そう、おっしゃい、ました……か?」
一拍遅れて、シャルルは笑顔のまま、大きく目を見開いたルイを振り返った。
「ああ、ルイは知らなかったのだね。実は、そうなんだ。王妃様としては、父上が亡くなったことを伏せたまま、ロベールを王太子に任じ、その後すぐ、国王陛下が崩御されたということにすれば、自分の実の子が王位を継げると思ったのだろうけどね」
シャルルは滑らかに口を回しながら、ルイの背後の窓に向けて手を振った。
「うまく隠しおおせているつもりかもしれないが、王領の貴族は一枚岩ではないからね。わたしの耳にまで届いているということは、もはや秘密でもなんでもないだろう。ただ、ばれたところで、父上の遺言ということにすればいいし、死を秘していたことも、王国内の動揺を抑えるためだと強弁すれば……おや? どうかしたかい、ルイ?」
顔色を青ざめさせたルイに気がついたのか、シャルルが振っていた手をとめて、ルイの顔をのぞき込んだ。
「いつ……ですか? いつ、亡くなったの……ですか?」
「正確な時期までは、わからないんだ。おそらくは、ロベールを王太子にと言いだした、すこし前だろう。となると、二ヶ月ほど前といったところだろうか」
視線を宙に浮かせて記憶を探っていたシャルルに詰め寄るように、ルイが体を浮かせた。
「二ヶ月……じゃあ、ひょっとして――」
《間に合わなかったよ、ルイ》
思わず、ふるわせた風が、ルイを座席へと押し戻した。王妃の言うとおりかもしれない。ルイはシャルルよりやさしい。そして、その分だけ、ルイはシャルルより弱い。そんなことを思いながら、わたしは言葉を継いだ。
《王様はずっと前から、意識がなかったんだって。たとえ、会えたとしても、それだけ。顔を見るだけなら、今からだってできるよ》
ルイが複雑な気持ちを瞳に浮かべて、わたしを見た。そのまま、深い思いに沈んだルイに代わって、興味津々といった表情で、シャルルがわたしに話しかけてきた。
「ご覧になられたのですか、精霊様?」
《まあね。ちょうど王妃とモンフォール伯爵がいたから、王様が亡くなった時期も聞いておいたよ》
「さすがは高位の風の精霊様ですね。父上の部屋の結界は、魔道車の結界よりも強いはずなのですが……。それはそうと、王妃様はお元気そうでしたか?」
王子としての教育を受ければ、ルイもシャルルのように強い心を持てただろうか? そんな思いが、わたしの言葉に皮肉を込めさせた。
《元気、ではなかったね。泣きそうだったよ。シャルルが恐いってね》
「それは心配ですね。王妃様は、どうにもお心が弱いところがありますからね。ひょっとして、魔道車がルイのために用意されたのは、精霊様と関係があるのですか?」
シャルルは、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、わたしがいるであろう方に向かって、首をかしげて見せた。
《さあ、知らないよ。王妃には、仕事が終わったらルイは村に帰るからって、伝えておいたからね。そのせいかな?》
「帰る? ルイが? いつですか?」
ふいに、消え入りかけたシャルルの笑みを見ながら、わたしは記憶を探った。
《いつ? 王太子の任命式典が終わったらじゃないかな?》
「それは、ブルンヒョル辺境伯が命じたのですか?」
《ううん。わたしが決めたの》
「精霊様が?」
消えかけていた笑みが、再びシャルルの顔に戻ってきた。
「では、ルイの意思ではないのですね?」
《うん、そうだね。わたしが決めたことで、ルイが決めたことじゃないよ》
姿勢ごと、すっかり沈みこんでしまっていたルイを、ニコニコ笑顔のシャルルが、肩を掴んで揺さぶった。
「ねえ、ルイ。わたしは、さっき、君に言ったよね。亡くなった父上の代わりに、君が失ったものをすべて与える、と。すべてが、君の手に戻ってくる、と。君が――」
「シャルル殿下。僕は何も失っていません」
頭を深く沈みこませたまま、ルイはシャルルの言葉を切って捨てた。ルイの肩に置かれていたシャルルの手が、弾かれたように宙をさまよい、同時に、閉じ忘れた口から、熱を失った言葉がこぼれ落ちる。
「失って、ない?」
「精霊様が、守ってくれました。精霊様が、父さんにも、母さんにも、会わせてくれました。何ひとつ失ったものなどありません」
「いや、しかし、君は王子――」
どうやら、わたしが思うよりも、ルイは強かったみたいだ。慌てて言い繕おうとしたシャルルを捨て置いて、ルイは頭を上げた。何かを決意したかのようなルイの瞳が、揺らぐことなく、真っすぐにわたしを捉える。
「精霊様は、僕が村に帰ったほうがいいと思うんだね?」
《うん、そうだよ。ルイは一度、村に帰ったほうがいい。あそこが、わたしたちの故郷だからね》
「そういうことです、シャルル殿下」
防音の魔法のせいだろう。魔道車の客室に、静寂が訪れた。いや、静寂ではないのだろう。自然の中ではありえない、音のない世界。渋い顔で押し黙ってしまったシャルルを横目で見ながら、わたしとルイはこっそり肩をすくめあった。




