24 十二歳の王子と「王都に向かう」守護精霊
紅白男とルイを引き合わせた三日後、シャルル王子は王都に向けて旅立った。王太子の任命式典に出席するためだ。人の世は、まったくもって理解不能だ。ご丁寧にも招待状が届いているらしく、出席しないわけにはいかないらしい。
ただ、辺境伯本人にも招待状が届いているというのに、辺境伯領から式典に出席するのは、息子であるジェルヴェ・ブルンヒョル男爵だ。
「そんな危ないところに行くのは御免こうむる」と、ブルンヒョル辺境伯は、たくわえたあごひげをピーンと引っ張りながら、にこやかに笑った。
ある意味、わかりやすい人ではあるけど、その危ない場所に息子を送り込むというのは、どうなんだろう。わたしがそう言うと、辺境伯はこれまた、ひげをピーンと引っ張りながら、にこやかに言い放った。
「若い頃の苦労は買ってでもしろと言いますからな。精霊様、ルイ殿下を守るついでで結構ですので、息子を気にかけてやってくだされ」
結局、ルイは今までどおり、辺境伯の部下として、守護精霊持ちの仕事を続けることにしたらしい。そして、シャルル王子と辺境伯の息子の護衛任務を命じられ、王都に向かう馬車に乗り込むことになった。
辺境伯がルイの味方なのかどうかは、わたしには、わからない。ただ、キアラは「わたくしとしては、ルイが国王になればありがたいですな」と、カラッとした声で笑った。
「わたくしの部下が王国で一番えらいとなれば、おおいばりできますからな。王都になど、めったに行くこともありませんが、王城のあちこちを見学させてもらえるでしょうし、晩さん会に呼んでもらって、宮廷料理をさんざん腹に詰め込んで――」
みんながキアラのように単純だったら、どんなに楽だろうか思いながら、わたしは、ぽふっと長い息を吐き出した。
ただ、そんな単純なキアラも、今回の護衛任務には思うところがあるようだ。
「精霊様。王都に行くともなれば、ふつうは、護衛の騎士と魔術師を大勢ともなうのです。ですが、この度は、王妃派を刺激しないように、同行するのは身の回りの世話役のみと、仰せつかっております。あとは、わたしとルイ。それに、精霊様の言うところの、紅白男とヒョロ男も戦力と呼べなくはないのですが」
《そんなことで大丈夫なの?》と聞いたわたしに、キアラは不敵な笑みを浮かべた。
「どのみち、辺境伯領を出れば、道中すべてが敵だらけです。兵をどれだけ連れていっても足りません。ですので、ルイに護衛を頼んだのです。最悪、精霊様にはルイとシャルル殿下を連れて、逃げてもらうことになりますが、よろしいでしょうか?」
《ああ、なるほどね。お安い御用だよ。ついでに、キアラも逃がしてあげるよ》
「それは、ありがたいですな。ただ、わたくしよりも、ジェルヴェ男爵を運んでもらえると助かりますな。男爵を捨てて逃げたとなると、伯父上に恨まれますからな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
という話をしたのが三日前だったのだけど、ヒュランデル子爵領に入って、しばらくたったころだ。街道の向こうに大勢の人の気配を感じた。
兵士がざっと三百人ばかりに、魔術師が二十人といったところだろうか。騎士の姿があまり見えないのは、以前にヒョロ男が倒してしまったせいかもしれない。
街道をふさぐ形で陣取ったヒュランデル子爵の軍勢から、一匹の大きなカエルが、こちらにヒョコヒョコと頭を下げながら向かってきた。
服を着ているカエルなんて初めて見たね、と驚いていると、馬車がとまって、ブルンヒョル男爵のお付きの人がカエルと話を始めた。
先だって、シャルル王子の一行を襲ったのは、ヒョロ男が王子の命を狙っているという情報を得て、保護しようとしたのだと、カエルが延々と繰り返している。
どうやら、カエルではなく、ヒュランデル子爵だったようだ。どうりでお高そうな服を着ていると思った。
キアラやルイも馬車から下りて様子をうかがっていると、何やら話がまとまったようで、シャルル王子がカエルのもとへと歩み寄った。
いつもながらのやさしげな笑みを浮かべたシャルル王子が、カエルのように頭を地面に叩きつけているヒュランデル子爵に、「そうであったのか」とうなずきながら、手を差し伸べた。
その時だった。
さっきまで、ペコペコ這いつくばって頭を下げていたカエル男が、ピョンッと飛びあがり、護身用の小さなナイフを、シャルル王子の首に押し当てた。
「動くなー! すこしでも動けば、王子がどうなるかわかっているだろうな!」
おやさしいシャルル王子も、さすがに、顔色が真っ青になっている。すごいな、カエル。たいした跳躍力だ。と感心しているわたしの傍で、キアラがボソッとつぶやいた。
「精霊様。お手数ですが、ヒュランデル子爵を捕まえてもらってよろしいですか?」
ルイが一瞬だけキアラに視線を送り、口の端を片方だけ持ち上げて、わたしにうなずいた。
《捕まえるだけでいいの?》
「あれでも、子爵ですしな。できれば、生かしておいていただけませんか?」
《王子様といい、キアラといい、おやさしいね》
ぽふっと息を吐き出して、カエル男のもとに翔けた。ナイフを持っていた腕を捻り上げ、地面に叩きつける。「グウェフッ!」という鳴き声とともに、顔からあぶらのような汗が飛び散った。
と同時に、ヒョロ男がシャルル王子に駆け寄り、呪文を詠唱し始めた。
ルイの前では、一切魔法を使うなと言ったのを、もう忘れたのだろうか。ついでに、ヒョロ男の腹を軽く殴っておく。ヒョロ男が片膝をついて、「ゲフッ!」と息を吐き出した。
シャルル王子の行動がさっぱりわからない。ついこのあいだ、自分の護衛がカエルの部下に全滅させられたことを、忘れたのだろうか。おやさしいのは美徳かもしれないけど、度が過ぎる。
ヒョロ男の背をさすって心配しているシャルル王子を、あきれた目で見ていると、地面に転がっていたカエル男が大きな声で鳴いた。
「わしのことはかまうな! この連中を生かしておけば、ヒュランデル家が滅ぶ! 決して領内から出すな!」
街道の前方で様子をうかがっていた兵士たちが、ザワッと動いた。サヤから抜かれた剣が光を反射し、弓に矢をつがえた連中が、ずらっと前に出た。魔術師の唱える呪文が、風に乗って運ばれてきた。
妻が王領の貴族の娘だからって、王子を殺してまで出世したいって、どうなんだろう。それに、辺境伯領最強の魔術師が、実は守護精霊持ちだったといううわさを、聞いていないのだろうか。
チラッと振り返ったわたしに、ルイが、しかたないね、という表情でうなずいた。
闇の魔法の黒いもやが、じんわりと広がり、矢がいっせいに放たれる。その瞬間、ぶわっと風が渦を巻いた。風に溶け込むようにふくらんだわたしは、大きな丸い風の壁となった。
念のため、近くにいるちびっこ精霊たちに、風を揺るがして警告を発しておく。この程度のことで、精霊がケガをすることもないだろうけど、身構えは必要だろう。
矢が、黒いもやが、火の玉が、風に巻き込まれて、あたりを飛び交う。盾に身を隠した兵士たちが、じりっと前に出ようとした。
しかし、そこまでだった。魔術師として魔獣と戦っていた時のように、敵に向かって突き出されたルイの右手が、左から右へとすーっとなでるように動いた。それを合図に、解き放たれた風が、衝撃音とともに木々をずらっとなぎ倒す。どこか遠くの方で、難を逃れた鳥たちが、一拍遅れてバタバタと飛びたった。
うんうん、きれいになった。あと、ヒョロ男と紅白男とカエル男がいなくなれば、もっとスッキリするんだけどね。
丸くなってブルブル震えているカエル男に目をやり、ついでに、紅白男にも視線を向けた。
「いやー、さすがはルイ王子殿下の守護精霊様でございますね。あたり一面、すっかり見晴らしがよくなりました。いや、まさに、絶景でございますね」
紅白男は満面の笑みを浮かべ、パチパチと手を叩きながら、カエル男へと歩み寄った。
「さてと、ヒュランデル子爵。領都まで歩いて帰るのも大変でございましょう。よろしければ、わたくしの馬車に乗られるといい」
「はぁあぁぅっ!? あわぁっ!? わ、わ、わしの部下たちはっ!?」
うずくまった姿勢のまま、カエル男は汗を振り撒きながら、頭だけをあちこちに向けて、視線を泳がした。
「おや? どなたかと一緒に来られたのですか? わたくしは誰も見ていませんが?」
「み、み、見ていない!? そ、そんなバカな! わ、わし――」
「ヒュランデル子爵! 見たほうがよかったのですか? すくなくとも、わたくしは何も見ておりません。シャルル王子殿下。殿下は何かご覧になりましたか?」
ふいに、紅白男に話しかけられたシャルル王子は、ゆっくりと立ち上がって首をかしげた。それから、いつもの柔和な笑みを浮かべた。
「いや、すこしぼんやりしててね。何かあったのかい?」
「いえ、おそらく、ヒュランデル子爵はお疲れなのでしょう。このような山奥に、おひとりで王子殿下を迎えにまいったのですから。では、先を急ぎましょうか」
そう言うと、紅白男はカエル男をグイッとつかみ上げ、馬車へと引きずっていった。キアラが肩をすくめ、ルイが不思議そうに目を瞬いた。
人の世はホントに――
――わたしにはさっぱりだ。でも、今度は、ルイとキアラにもわからないようだ。
ふたりにわからないのなら、考えるだけムダだろう。わたしは、ぽふっと息を吐き出して、ルイのもとへと戻った。




