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13 九歳の王子に「責められる」守護精霊

「あのー、精霊様。お伺いしたいというか、そのー、お願いしたいことがあるんですが」


 二週間に一度おこなわれる、恒例の、水の精霊を使った髪染めが終わった後、ルイはもじもじしながら口を開いた。


『うん? なに? あ、ちょっと待ってね。ちびっこ精霊を逃がしてあげてからね』


 水の入っていた大きなバケツを浮かせ、窓の外に出してひっくり返す。ふだんは川まで行くのだけど、幸い、今日は雨だ。このくらい降っていれば、雨を伝って勝手に川まで帰るだろう。


『ありがとねー。また捕まったらよろしくねー』


 小指の先っぽほどのちいさな精霊たちに、どのくらいの記憶力があるのかわからないけど、いちおう、お礼を言っておく。


 いきなり拉致されて、仕事を押し付けられたのだ。こちらは下手に出て頼んでいるつもりでも、向こうはそうは思っていないだろう。


 窓を閉めて振り返ったわたしに、ルイがどこか含みのある笑みを浮かべた。ぬれた髪もそのままに、ひざをついたまま、上目づかいで、おずおずと切り出す。


「そのー、たいへん申し上げにくいんですが、魔法の呪文をずいぶん覚えたんですけどー」


『うんうん、知ってるよ。すごいね、ルイ。先生にもほめられてたよね。記憶力がいいって』


 できるだけ、ほがらかな笑みを浮かべながら、わたしはルイから目をそらした。


 ルイとミレーヌが本格的に魔術の勉強を始めて、二ヶ月が経った。最初の頃は、興味もあったし、魔法の呪文を覚えなければと思って、ちゃんと教室でふわふわ漂っていたのだ。


 だけど、来る日も来る日も、みんな、机に座ってカリカリ何かを書いているだけなのだ。教えている先生は日替わりで、風属性の魔術師はめったに来ない。


 呪文の詠唱は、教室ではなく屋外で、属性の魔術師の監督のもとおこなわれる。つまり、ルイは他の属性の生徒よりも、はるかに長い時間、机にかじりついているのだ。


 そんなつまらないところに、誰が好きこのんで行くだろうか? 最近では、ルイの様子を見るために、チラッと顔を出すだけで、呪文を覚える気も失くしてしまった。


「そうですよね。今日も授業を見にきてくれてましたもんね。お忙しいところ、ありがとうございます」


 視界の隅で、ルイが満面の笑みを浮かべた。人のこどもは九歳にもなると、思ってもいないことが言えるらしい。わたしはルイの成長をたたえるべく、うんうんと大きくうなずいた。


「でもですね、精霊様。ちーっとも魔法が発動しないんですよ。たしかに、風の魔法はぜんぶがぜんぶ発動するわけではないらしいのですけど、どうしたことでしょうね? ひょっとして、僕には魔法の才能がないんでしょうかね? 特に、最近――」


 九歳ともなると、人のお子様は、高位の精霊に嫌味が言えるようになるらしい。わたしはルイの進歩に感じ入りながらも、天井の隅を見つめて、ボソッとつぶやいた。


『無理だって。あんな面倒な呪文覚えられるわけないよ』


 わたしだって、覚えようとはした。風の魔術師が教えているときに、ルイと一緒に呪文を聞いてみたりもした。だけど、風の精霊だからだろうか? わたしの中に留まることはなかった。


 けっして、やる気がないとかではない。まちがいなく、呪文がおかしいのだ。だいたい、風の魔法の呪文だけ、発動率が低いというのがおかしい。わたしのせいではなく、呪文のせいなのだ。


 一度、ルイにそう言ってみたけど「覚えるだけなのに、まちがってるも何もないよね」と返されてしまった。


 風の魔術師の前で、呪文とまったくちがう魔法を、発動させるわけにはいかない。屋外での呪文の詠唱の訓練にも、わたしは姿を現わさなくなった。


「なにをおっしゃいますやら、精霊様。僕ごときが覚えられることですよ。何の役にも立たないとわかっていながらも、やればできるものですよ。ただ、ひたすらに覚えればいいのです」


 人のこどもには、反抗期というものがあると聞く。おそらく、ルイはそういうお年頃なのだろう。わたしは寛容な心で、ルイのおちゃめな言葉を聞き流した。


「そもそも、精霊様がおっしゃったのですよ。呪文を詠唱すれば、そのとおりに動くからって。ですが、どれだけ僕が覚えたところで、精霊様に伝わらないのであれば――」


『大丈夫だって! ルイのまわりには、火のちびっこ精霊がいつもいるんだから。こそっと頼めば、ある程度のことは伝わる――』


「せ、い、れ、い、さ、ま! ひょっとして、僕の属性をご存知でいらっしゃらないのですか? よろしければ、お耳に入れさせていただきますけど?」


 さすがは、将来、辺境伯の部下になる魔術師候補生だ。礼を尽くしながらも、相手の神経を逆なでする方法を、すでに学んでいるようだ。ただ、しゃべっている途中に割り込むのは、いかがなものだろうか?


 わたしは平常心を保ったまま、床に置いてあったバケツを浮かして、ルイの頭上でくるくると回した。


『じゃあ、風の精霊が自由気ままなことも知ってるよね? 机に座って勉強なんてできるわけないでしょう?』


「もちろん、わかっていましたよ。ですから、何度も伝えましたよね。守護精霊持ちということを――」


『ダーメ! それだけは絶対ダメ!』


 ルイは大きな溜め息をついて、宙をにらんだ。それから頭を斜めに傾けて、左右に振った。のどに引っかかったつかえを吐き出すかのように、ウンッと声を出した。


「……それは、どうして? ねえ、この前、僕ね、光の守護精霊持ちの人に会ったんだ。髪もヒゲもふさふさのおじいさんだったよ。とても、髪を染めているようには思えなかった。それに、下位の光の精霊が他の属性の精霊を――」


『わーかーりーまーしーた! 明日からまじめに授業をうーけーまーす! 呪文を覚えたらいいんでしょう! おーぼーえーまーす!』


 わたしの大声にビクンと首をすくめながらも、ルイは「うーん……」と釈然としない声を出した。


『なに!? わたしの言うことが信用できないの!? こう見えても、わたしはやるときはやるよ! なんなら、先生ごと吹き飛ばしてあげようか!?』


 ルイは大慌てで、頭と両手をブンブンと振った。


「それは、やめて。大変なことになるから。ちょっとでいいから。唱えた呪文の半分もできたら、じゅうぶんだから」


『半分どころか、わたしが本気になったら、ぜんぶ発動できるからね。とびっきりの優等生になれるよ。遠慮なく言ってよ』


 半信半疑といった表情ながら、ルイは「ふーむ」という声を絞り出した。それから、ちょっとだけ間をおいて、ふーっ、と大きく息を吐き出して、笑顔に戻った。


「初めて会った時に言ってくれたよね。僕のことを守ってるって。その……信じていいんだよね?」


『まあ、わたしは風の精霊だからね。信じてくれなくてもいいけどね』


 ルイが「えっ?」と目を丸くした。ついさっき『信用できないの!?』と怒ったのは何だったのか。茫然とたたずむルイを見て、自然と笑みがこぼれた。


『ルイがわたしをどう思おうと、わたしはルイのことを守るよ。どれだけ嫌われようともね。とりあえず、明日はご要望どおり、ルイの力をまわりのみんなに見せつけてあげるよ。楽しみにしててね』


「えっ? ええっ!?」と困惑しているルイの頭に、バケツをひょいと乗せて、わたしは夜の散策に出かけた。

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