10 六歳の王子に「祈りを捧げられる」守護精霊
イヴァロックと呼ばれる、ワシをふたまわりほど大きくしたような鳥魔獣が、上空を旋回している。飛んでいるだけならいいのだけど、突如、急降下して荷馬車に攻撃を加えるのだ。
隙あらば魔石をいただこうと、三羽のイヴァロックは、あっちこっちと狙いを変えて、突っ込んでくる。護衛の人たちも剣や弓矢を手に、走っている荷馬車の屋根の上から応戦している。
火の魔術師であるキアラは火の球のようなものを作り出し、空に向けて派手に打ち込んでいる。だけども、掠めるのが精一杯で、今のところ一羽たりとも魔獣を倒せていない。手傷を負う者も増えてきた。
魔術師の放つ魔法は詠唱を必要とする。好機と見たのか、攻撃をかわしたイヴァロックが、急旋回してキアラに向かって突っ込んできた。すぐさま、闇の魔術師が黒いもやで行く手を阻む。
イヴァロックがもやを避けて、矢が届かない上空に舞い戻った。火の魔法は鳥魔獣とは相性が悪いのかもしれない。キアラの顔色がずいぶんと悪い。
前を走る荷馬車から、闇の魔術師が大声で叫んだ。こちらに向かってくる狼系の魔獣を感知したようだ。闇の精霊は気配に敏感だ。闇の魔法にも、そういったものがあるのだろう。
屋根に乗っかっていたキアラが、荷室にひょいと顔だけ突き出した。
「ルイくん。魔術師候補生にこんなことを言うのもなんだが、手を貸してもらえないだろうか?」
護衛隊長であるキアラとしては、猫の手も借りたいところだろう。ルイが緊迫した面持ちで答えた。
「は、は、はい! ぼくで役に立つことがあれば、なんなりと!」
キアラはギュッと口の端をつり上げた。
「祈ってくれ!」
「は、はいー!? いのっ!?」
さっぱり意味がわからなかったのだろう。ルイは頭のてっぺんから声を出した。ちょうど荷馬車がガンッと揺れて、あやうく舌を噛みそうになった。
「祈るだけでいい。ミレーヌも一緒にな。誰も死にませんようにってな。このままでは、死人が出る。まかせたぞ!」
キアラは再び空を見上げて、大きく声を張った。
「伝令! 馬車をとめろ! 右前方から新手が来るぞ! 剣士は馬車を下りて迎撃! 急げ!」
キアラの言葉が次々に伝えられていく。荷馬車は速度を落とし、密集隊形をとり始めた。剣を持った護衛たちが飛び降り、土けむりをあげて襲いかかってくる魔獣から、馬車を守ろうと身構えた。
「祈るって、どういうこと……?」
キョドキョドしているルイの肩を、ミレーヌがバーンという音を響かせて叩いた。
「祈って! ルイ! 早く!」
そう言うやいなや、ミレーヌは目を閉じて胸の前で手を組んだ。
「みんなをお守りください! 精霊様!」
それを見たルイも、ハッとした顔で手を組んだ。
「お願いします、精霊様! 助けてください、精霊様!」
ルイの視線がチラッとわたしに向けられる。
『はぁー』と溜め息をつきながら、わたしは空を見上げた。
わたしが口止めをしているから、キアラは持って回った言い方をした。猫の手どころか、キアラが言うところの高位精霊である、わたしの力を貸してくれということだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昨日の夜、キアラはルイとミレーヌに、魔術師とはどういうものかを説いた。精霊と違って、人は魔力を持っているからといって、すぐに魔法を使えるわけではない、と。
魔術師になるには長い年月がかかる。魔法それぞれに決められた呪文を覚え、さらに、威力、方向、範囲などの指定を付け加えて詠唱しなければ、魔法は発動しない。魔術師候補生に選ばれただけでは、ふつうの人となんら変わらない。
それに、六歳のこどもに、魔術について書かれた本など読めるわけがない。読み書きだけではなく、さまざまな知識も必要だ。将来は辺境伯の部下になるのだ。礼儀と教養も身につけなければならない。
「候補生になって、数年たってからだ。それからだな。魔術を学ぶことができるのは」
こどもの頃の自分を懐かしむかのような目で、キアラはふたりに微笑みかけた。それから、コップにハチミツ水をつぎ足して、飲むようにすすめた。
「それと、これは君たちには関係のない話なんだが……」
魔術師の話は終わったらしい。キアラはコリをほぐすかのように、肩をぐるっと回した。
「守護精霊持ちはそうじゃないんだ。守護主の意思をはっきりと、精霊に伝えることさえできれば――」
ふむ、とふたりに向かってうなずいて、不思議そうにつぶやいた。
「六歳のこどもであろうと、修練を積んだ魔術師すら遠く及ばない力を、使うことができるんだ」
自らの存在を隠し、守護主を魔術師にしようとする意図がわからない。キアラは、わたしにそう伝えたかったのだろう。
気まぐれな風の精霊の言うことだ。とりあえずは、ご機嫌をとっておこう。そもそも、魔力を放出できないルイは、魔術師にはなれない。放っておいても、そのうちあきらめるだろう。キアラはそう考えているにちがいない。
そんなことは、わたしだってわかっている。だけど、ルイにもミレーヌにも、事情を説明するわけにはいかない。特に、ブルンフョル辺境伯爵の姪であるキアラには。ルイの生い立ちを知って、なお、わたしたちの味方でいてくれる保証など、どこにもない。
王国がわたしたちを殺そうと、指名手配していたら? 国王自身がわたしたちの敵だったら? 辺境伯の身内が、国王の命令に背いてまでルイを守ってくれるなんて、ありえるだろうか?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルイとミレーヌが、必死に精霊に祈る声が聞こえる。どうすればいい? 水の精霊さんだって言ってた。精霊と人はちがうって。おんなじだって思うこともあるけど、やっぱりちがう。
わたしにとって本当に大切なのはルイだけ。あとは、ルイが大事に思っている、ミレーヌや村の人たちもそれなりに大事。他はどうでもいい。
キアラにいたっては、将来、ルイの敵になるかもしれないのだ。手を貸す気なんて――そう思いながら、チラッとルイを見た。
ルイはチラチラとこちらを見ながら、懸命に祈りを捧げていた。それでも動こうとしないわたしを、ルイはどう思っているだろう? わたしのことを秘密にしなければいけないことを、どう思っているだろう?
ルイは自分が命を狙われているだなんて知らない。やさしい村のみんなに囲まれて、人を信じて生きてきた。人は人の中でしか生きられない。人を信じなければ、今まで生きてこられなかったことも事実だ。今、わたしが何もしなければ、ルイはわたしのことを、信じられなくなるかもしれない。
ルイはいずれ魔術師になる。魔法の使えない魔術師に。そうなれば、ルイが詠唱したとおりに、わたしが動いてあげることになる。ちょっと早いけど、ルイの願いどおりに動いてみてもいいかもしれない。
わたしは、自由気ままな風の精霊だ。あれこれ考えるのは、やっぱり性に合わない。
ぽふっと息を吐き出し、上空で機会をうかがっているイヴァロックに向かって翔けた。一気に距離を詰めて風の刃を叩きこむ。羽ばたかなければ飛べない魔獣など、風の精霊の敵ではない。
水の中では水の精霊が、土の中では土の精霊が、そして、空では風の精霊がいちばん強い。
足の爪を大きく広げて飛びかかってきた一羽をスッとかわして、風の刃で切り刻んだ。残った一羽が慌てて逃げていこうとする。もう、遅い。
だいたい、荷馬車に風の精霊がいるとわかっていて、攻撃してくる気持ちがわからない。魔石にそれほどの魅力があるのだろうか? まあ、魔獣の気持ちなんて、わかるわけないか。
そんなことを思いながら、三羽目に風の刃を放った。
さてと、下はどうなってるかな? 地上を確認する。うーん、苦戦中だ。そういえば、水の精霊さんが言ってたっけ。人の魔法はたいしたことないって。
やれやれ、ルイのためだ。わたしは一気に高度を下げた。狼のような魔獣を風で押さえつける。あまり目立つのは避けた方がいい。いや、もうじゅうぶん目立っているような気もする。
身動きが取れなくなった魔獣に、矢が次々と打ちこまれる。あと、五頭。わたしは地上すれすれを翔けて、魔獣の後ろ脚を狙って、風の刃を放ってまわった。動けなくなった魔獣に、矢が刺さり、剣が振り下ろされる。
これでよかったのだろうか? ぽふっと息を吐き出して、ルイのもとへと向かう。むじゃきに大喜びしているルイを見て、わたしは難しいことを考えるのをやめた。




