4-05 狂気の哀歌 ③
【悪夢の王】ファニー・ナイトメア
今回もホラー仕立て。
シルベール教国北東にあるセーブルの街はある日、“悪夢”に襲われた。
セーブル住民約六千人のうち眠りについていた九割強が、闇に包まれた街の中で自分以外にはゴブリンやコボルトしかいないのに気付き、自衛のために半狂乱になって包丁や鉈で戦い始める『夢』を見た。
だが、それは『現実』だった。
眠りについた住民達は夢遊病のように起き上がり、自分以外を魔物と信じて他の人間と覚めない夢の中で殺し合った。
その中で幸運にも――もしくは不幸にも眠りについていなかった者達は、刃を振るう友人や家族に手を出すことも出来ずに絶望の中で倒れ、それでも生き残ったわずかな者達――主に夜番の警備をしていた兵士達と精神耐性の護符を持っていた領主だけが、運良く脱出することが出来た。
でもそれは――これから始まる“悪夢”の始まりに過ぎなかった。
「……なんだ、アレは」
シルベール教国では夜が極端に短く、夜もまた完全な闇にはならない。
だが仄かに明るいはずの夜は黒い霧を巻き上げたように黒く染まり、すぐに訪れるはずの希望の朝は来ず、夢を終わらせないように闇に支配されていた。
この先にはモール男爵の寄子である士爵の治める村と準男爵が治める町がある。そこへ向かうために街道沿いに移動していたモール男爵と兵士達は、暗闇の空にふわりと浮かぶ『道化師』の仮面を目撃する。
それを何と表現すれば良いのだろう……
闇を切り抜いたように全身が真っ黒で、ボロボロに擦り切れた一枚布が化鳥のようにはためき、ドス黒い障気と怨嗟を撒き散らしながら、真っ白で硬質な仮面が血の涙を流しながら嗤っていた。
「「「…………」」」
遠くから見ているだけで身体が冷たくなり、根源的脅威に曝された魂が身体を小刻みに震わせ、誰かが『――悪魔――』と呟きを漏らした。
もしアレが悪魔だというのなら相当に上位……いや、高位の悪魔だろう。
道化師の悪魔は暗い夜空に浮かんだまま動かない。悪魔は街道の先、三叉路の真上にいてそこを抜けなければ他の街に行けない。
静かに行けば抜けられるだろうか……?
嫌だ。アレの側に近づきたくない。アレの側を通るくらいならまだ狼の巣の中を突っ切るほうがマシに思えた。だがその時――
「男爵閣下っ、後ろからっ!」
「なんだとっ」
背後から微かに聞こえてくる何かを引き摺るような無数の音に振り返ると、逃げてきた街がある方角から、血塗れで武器を構えた人間達が暴徒の群のように大挙して押し寄せてくる様子が見えた。
すぐに気付かなかったのは誰も声を出していなかったからだ。あまりの出来事から唖然とする男爵達に暴徒の一部が気付いて走り出すと、周囲の暴徒達もそれに気付いて男爵達に向けて駆け出した。
「ひっ」
「に、にげ……」
前と後ろを挟まれて、男爵達は悪魔とは言え目前にある動かない脅威よりも、背後から迫る大多数の狂人達への恐怖が勝り、その先にある人間の街という希望に向けて走り出した。
悪魔は動かない。それでも宙に浮かぶ悪魔の下を通る時は顔が恐怖に引き攣り、全身から嫌な汗が溢れ出た。それでも必死に足を動かして悪魔を抜けた時には、その場にいた全員が背後のまだ脅威が迫っているのにも拘わらず、思わず顔に笑みが溢れた。
しかし、そこに希望はない。
「あっ! あれはっ」
三叉路の向こう側。士爵の村と準男爵の町がある街道の向こうから沢山の人影が見えた。街の異変に気付いて援軍を寄越してくれたのか? そう考えてそちらに向かった男爵達の目に飛び込んできたのは、血塗れになり、致命傷のような傷を負って尚、死ぬことさえ許されない“悪夢”に浸食された亡者の群だった。
「ああああああああああああああああああああああああっ!?」
男爵達が悲鳴と共に三方からの人波に飲み込まれ、肉が潰れるような音がして断末魔の声が途絶えると、悪夢に冒された人間達は新たな犠牲者を求めて動き出し――
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
突然大地が砕け、岩と土塊と引き裂かれた血肉が巻き上がり、幅1メートル、長さが数百メートルもあるような巨大な二体の百足が現れると、人間を雑草でも刈るように薙ぎ払い、百足は時間を巻き戻すように何かに吸い込まれて血煙が舞う中に子供のような二人の人影が姿を見せた。
「ねぇ、アポル。あれがニュイ様の言っていた奴かな~?」
「うん、デポル。あれがニュイ様が言っていたファニーだよ」
さらさらとした銀髪で10歳くらいの男の子が二人。
全く同じ貴族のような服装に、全く同じ髪型と愛らしい顔をしていたが、人間のバラバラになった血煙の中で彼らの笑顔は何も変わらない。
シルベルタル旗下、【黒蟲の王】ニュイの配下である二人の悪魔は、宙に浮かんだまま動かないファニーを見てつまらなそうに唇を尖らせた。
「ねぇ、アポル。ニュイ様に報告しないの~? ファニーを見つけたら教えないといけないんだよ~?」
「うん、デポル。でもアレ動かないよ? だったら僕たちで遊んでもいいんじゃないかな?」
「ねぇ、アポル」
「うん、デポル」
「「僕たち二人でアレを苛めて遊ぼう」」
悪魔には親も兄弟も存在しない。でも自分を創造した存在を『父』や『母』と認識して、それらに『双子』と設定されれば悪魔にとってそれが真実となる。
二人はニュイに創られた存在で、【大悪魔】ではないが、それに準じる准大悪魔級の悪魔だった。その力は大悪魔に及ばないが強力で、二人の同調する攻撃によって並の大悪魔なら倒したこともある。
それでも相手がファニーほどの大悪魔となれば二人でも無事では済まないが、ニュイに創造された彼らには遊び癖があり、命じられたことを曲解して獲物を嬲り殺すことがあった。
シルベルタルの側近である四人のメイド悪魔は、配下達にユールシア旗下の悪魔を勧誘、またはその力が及ばない場合は報告を命じていた。
ファニーが通常の状態ならその力量差から双子は即座に撤退し、主であるニュイに報告していただろう。だが、その目標が心神喪失に近い状態でまともに反撃も出来ないと判断した双子は、悪魔としての残虐性が刺激されたのか口から舌の替わりである百足を垂らして、歪んだ悪魔の笑みを浮かべた。
「「おいで、キマイラ」」
双子の呼ぶ声に、彼らの背後から地響きを立てて、多数の昆虫を無理矢理繋ぎ合わせたような巨大なキマイラが現れる。
人間を媒介として悪魔と精霊を合成した『合成獣』でも悪魔や精霊は一体ずつしか合成出来ていない。これは複数の悪魔と精霊を合成して力を上げることを目的として合成された失敗作で、力こそ大悪魔に近い性能が得られたがその存在は非常に不安定で、双子が逃げられない時の肉壁として捨てるために与えられたものだった。
だが短期として見るのならその力は有用で、これに取りつかれた生物や精神生命体は複数の顎に削られるように喰われながら、恐怖の中で死に絶えることになる。
これから起きる光景を想像し、主を失い悪夢を撒き散らすだけで動かないファニーを見ながら、双子は優越感からニタニタと笑う。
「ねぇ、アポル。僕たちはシルベルタル様の陣営で良かったね~」
道化師の仮面が静かに顔を上げる。
「うん、デポル。滅びたユールシアなんかの配下じゃなくて良かった」
道化師の仮面が静かに双子を見る。
「「さあ、キマイラっ、あの仮面の悪魔を――」」
そう言って指さそうと二人同時に指を向けた時、そこにいたはずの仮面の悪魔、ファニーの姿は消えていた。
「「……えっ」」
慌てて周囲を警戒する双子達。その視線が背後に向けられると、巨大なキマイラの姿は半透明の黒い膜に覆われ、音もなく暴れるキマイラは肥大化したファニーの胃の中で少しずつ分解されるように消えていった。
「ひっ…!?」
「な、なんだよっ!?」
双子は狼狽えつつも咄嗟に口から百足を吐き出し、巨大化した百足がファニーに襲いかかったが、それが触れる寸前にファニーの姿は闇に溶け込むように消えた。
「え、どこに……」
唖然とするデポルの声が闇に零れる。デポルはその後に続くはずのアポルの声が聞こえないことに振り返ると、アポルの姿は道化師の仮面に上半身を飲み込まれ、バタバタと暴れるアポルを、魚を飲み込む鵜のように上を向いてしゅるりと飲み込み、半透明になった胃の中でアポルはデポルに救いを求めるように手を伸ばしながら、分解されるように消化されていった。
「……ぁ……ぁああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
半身とも言うべきアポルを失ったデポルが半狂乱で叫びながら百足を吐きだし、その姿までもが百足の一部となってファニーに襲いかかる。
だがファニーの姿はまた闇に消え、百足の背後に現れたファニーは枯れ木のような長い腕でそれを捕まえると、暴れる百足をデポルごと飲み込んでいった。
「いやだぁああああああああああっ! 滅びたくないっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――」
デポルが完全に消滅するとゆっくりと顔を上げる。
以前、初めてこの世界に呼び出され、依り代となったファンティーヌの魂を喰らって融合した時、この世界は全て主であるユールシアの物であると考えた。
でももうそれを誓った主はいない。だから……こんな世界は存在してはいけない。
ファニーはゆっくり仮面の顔を巡らせると、絶望と悪夢をもたらすためにシルベール教国の王都に向けて動き出した。
次回は、【悪魔将軍】ノア・インキュバス
その後はまたユルに戻ります。
前回の続きで悪魔の属性です。
ノア 【冷酷系】の《色欲》
ニア 【残虐性】の《怠惰》
ティナ 【冷酷系】の《嫉妬》
ファニー【愉悦系】の《貪欲》
ギアス 【残虐系】の《暴食》
恩坐 【残虐系】の《嫉妬》
になります。
シルベルタルは【愉悦系】の《高慢》です。





