4-03 狂気の哀歌 ②
【悪魔騎士】ニア・サキュバス
『討伐目標確認っ! 距離800っ!』
『魔術師っ、確認急げっ!』
『確認っ! ……ば、莫迦な……ありえない…』
『何ごとだっ! ハッキリ報告しろっ!』
『推定脅威度…天災級以上っ…………あ、【大悪魔】ですっ!』
その報告にセーラル子爵家軍とゴルトール男爵家軍を含めた辺境軍に動揺が走る。
シルベール教国南西にある町からの連絡が途絶え、ゴルトール男爵家の確認に向かうと町は破壊され、そこに『悪魔』を目撃したとの報告がなされた。
町を壊滅させるほどの魔物なら、ワイバーンや歳を経た吸血鬼などの『災害級』となる。その報告を受けた男爵は自分の手に余ると判断し、すぐさま辺境守備隊と隣接するセーラル子爵家に応援を求めた。
災害級もの魔物が国内に現れたのなら、すぐに対応しなければ他の町や村が犠牲になる。辺境守備隊とセーラル子爵家は要請を承諾し、迅速に討伐軍の編成がなされた。
集まった戦力は、辺境守備隊の駐在騎士48名と兵士450名。
セーラル子爵家軍の騎士が30名と兵士80名。
ゴルトール男爵家軍の騎士25名と兵士120名の、総勢七百名。後方支援を含めれば1500人規模になり、『災害級』の魔物に対するに充分すぎるほどの戦力が集められた。……だが。
「……ありえない…」
そんな呟きが壮年の騎士の口から漏れる。
その報告を聞いた年嵩の騎士や指揮官達の顔色が目に見えて悪くなった。
魔術師が報告した【大悪魔】とは、人類が一般的に認識している最上級の悪魔である。その力は天変地異さえ起こす『天災級』と呼ばれる【大精霊】と同等であり、年嵩の者達は、とある小国が召喚しようとして失敗し、一夜にして滅ぼされた大事件をまだ覚えていた。
天災級の敵は、国家が総力を挙げて討伐しなければいけないほどの存在であり、辺境軍の司令官は、すぐさまこの辺りを纏める辺境伯と王都の騎士団に応援を求めるべきだと進言したが、上位の貴族であるセーラル子爵とゴルトール男爵はそれを是としなかった。
「たかが悪魔の一匹程度、何ほどの物ぞっ!」
「女神が治める教国の兵は、下賤な悪魔風情には負けぬっ!」
辺境伯とその周辺の貴族は、元々教国に併合された小国の者達だった。
百年も経っているのでその意識はすでに教国の民となっているが、それでも辺境と中央には格差意識が存在し、辺境の貴族達は中央に介入されるのを嫌っていた。
「せめて辺境伯に……」
「くどいっ!」
「この程度で閣下に助力を仰ぐなど、あってはならぬっ!」
「……畏まりました」
どちらも三十代と若い当主達の言葉に、騎士爵である壮年の司令官は不満を見せないように深く頭を下げて奥歯を噛みしめた。
「出陣っ!」
魔術師が騎士達に【加護】の神聖魔法を与え、兵士達は女神である女王を讃える言葉を唱えながら、盾と槍を構えた歩兵達が地響きを立てながら進軍する。
だが……それに何の意味があるのだろうか?
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
大気を震わすように響く咆吼だけで訓練された軍馬が硬直し、心の弱い兵士達が魂を抜かれたように崩れ落ちて死を迎えた。
その戦うべき『敵』の姿に、遠目に見た兵士達は絶望する。
それは人の形を模しただけの“闇”に見えた。
頭部から生える、捻れた山羊のような巨大な角。
腰元から伸びる、うねりを上げる大蛇の尾。
その悪魔が纏う上級騎士のような衣装は、その禍々しい障気により数百年も風雨に曝されたように擦り切れ、自分に敵対する脆弱な者達に向ける闇に染まった眼球の中で、真っ赤な光点だけが生者を憎悪するように燃えていた。
その姿は正に人間が恐怖する悪魔の姿そのものであり、人間達が死の恐怖ではなく、魂そのものが捕食者に恐怖して脚を止めると、その瞬間、悪魔は大地を抉るようにして飛び出し、恐ろしい速さで襲いかかってきた。
一閃――。長く伸びた鉤爪が振るわれると、数十名の大盾を構えた兵士達が紙くずのように引き裂かれ、飛び散った血肉や中身がその後方にいた兵士達を赤黒く染める。
『…う……ぅあああああああああああああああああああああっ!?』
前線の兵士達が怯えて、悲鳴を上げて逃走する。
「に、逃げるなっ! たたか――」
後方にいた指揮官が叫ぶと、一瞬で迫った悪魔の爪に引き裂かれ、唸るヘビの尾がさらに数十人の兵士の上半身を粉砕して肉片に変えた。
逃げることは出来ない。だが、攻撃することさえ出来ない。
その悪魔の移動速度は異様なほどに速く、振るう槍は悪魔の残像さえ捉えられずに宙を切り、駆け抜ける悪魔に虫を潰すように殺されていった。
悪魔の姿が変わる。
その爪に引き裂かれた臓物が飛び散るたび――飛び散る血潮を浴びるたび――殺された兵士達の魂が食い散らかされるたびに、悪魔の肩がボコボコと大きく盛り上がり、腕や鉤爪がいびつに伸び、その皮膚が硬質な鱗に覆われ、その二本の脚が歪んで巨大な馬の脚に変化すると速度をさらに増し、人間達を子蜘蛛の群を踏み潰すように轢き潰していった。
『神よっ!』
そこに救いはない。もはや戦いではない。
それは殲滅でも蹂躙でもなく、ただの強者による『駆除』……もしくは、癇癪を起こして暴れる子供に偶然巻き込まれた蟻に過ぎなかった。
軍としての機能はすでになく、人間達は神に救いを求めるように泣き叫びながら、正に蜘蛛の子を散らすように逃走を始めた。
『……ァアアア――』
悪魔が呻きを漏らすように大きく口を開き、バチバチと火花が散るように炎が灯ると逃げ惑う人間達に極炎の大火を浴びせかけた。
ボッ、ボッ、ボッ、と炎が点火されるように瞬く度に人間達は全身が松明のように燃え上がり、目に映る全ての森林が何千ヘクタールにも渡って業火に包まれた。
燃えさかる炎が天をも焦がして炎が渦巻くように立ち上る。だがその時、唐突に吹雪が舞い、燃えていた大地と森は一瞬で凍りつき真っ白な樹氷に変わっていた。
巨大な吹雪が瞬く間に辺りを侵食し、その冷気が悪魔に迫ると、悪魔は己の呪詛である【吸収】を使い、冷気そのものを喰らってまた口内に炎を灯らせる。
生者の消えた耳が痛くなるような静寂の中、パキン…パキン…と凍りついた大地を踏みしめ、凍りついた森の奥から、銀の髪を結い上げ教国風のメイド服を纏った冷たい瞳をした女性が静かな足取りで近づいてくる。
「こちらにおいででしたか。ニア」
その冷たい銀色の瞳と声に、ニアと呼ばれた悪魔が呻くように声を漏らす。
『………ネー…ジュ』
そのさび付いた鉄のような声音と異形の姿に、人形のように動かなかったネージュの美貌がわずかに動く。
「……あなたを勧誘に参ったのですが、その様子では“まとも”にお話しできそうにもありませんね」
『ネージュゥウッ!!!』
叫びを上げるニアの口内に業火が燃えさかる。
ネージュの瞳が闇色に染まり白目の部分が真紅に浸食されると、白磁の肌をうっすらと白銀色の毛が覆い、狼の耳と尾を生やしたネージュは牙を剥き出しにした口内に凍気の渦を作り出す。
轟轟轟轟轟轟轟轟轟轟轟轟ッ!!!!!
吐き出された業火と凍気がぶつかり合い、大気が爆発する衝撃波が凍りついた樹木を粉々に吹き飛ばした。
次の瞬間、一瞬で飛び上がった二人が同時に爪を振るい、ガキンッ!と雷鳴のような轟音と激しい魔力の火花を撒き散らす。
何百もの雷が落ちるような轟音と共に空中で攻防が繰り返される。
どちらともなく大地に飛び降り、どちらも高速移動をしながら交差するように互いに爪をぶつけ、ネージュの爪でへし折れた自分の爪を見たニアが口内から障気にまみれた真鉄の長剣を抜き放つと、大地を抉るように軌道を変えて真鉄の刃をネージュに叩きつけた。
ガガキンッ!!
「…………」
ネージュは速度を落とさず、へし折られた二本の爪を見てわずかに顔を顰める。
「……わたくしは勘違いをしておりました。どうやら、そちらの姿があなたの本性のようですね」
ガキンッ! ガキンッ!
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
新たに創り上げた氷の爪とニアの長剣が激しく火花を散らし、ネージュの冷酷なまでの無表情な顔に初めて歪んだ笑みが浮かぶ。
「あなたは危険だと判断します。ニア……この場で悪魔の核ごと消滅させてやる」
次回は、ユルに場面が移ります。





