願いが届く日まで
「まさか逆の立場になるなんてね」
「皮肉な運命ね」
大学生になった初年。晴れやかな大学生活が始まると思った矢先、美代は激しい腹痛を訴え、病院に運び込まれた。
「腸炎だったらお揃いだったのにね」
「やだよそんなお揃い」
「まあでもちょっとお揃いだけどね」
美代の病状は腸炎ではなかったが盲腸だった。その為入院する事になったが三日程度で退院出来るようだった。
「ああ、でもなかなかきついね盲腸。死ぬかと思った」
「なんだかすんごいデジャブなんだけど」
そう言って二人は笑い合った。
その時美代の視界に一人の女性が映った。
「あ……」
「どしたの?」
良美の問いかけには答えず、美代は女性を視線で追い続けた。女性は美代のベッドを通り過ぎ、左隣のベッドの横にすっと座った。
「え……」
声を出したのは良美だった。
束ねた白髪。高校の頃に観た、あの聖母だ。そしてベッドの上には、物言わず男性が寝そべっていた。
聖母は静かに男性を見下ろした。年月のせいか、あの頃より二人とも老いているように見えた。
しばらくして、彼女はゆっくりと両手をあげ、手のひらを合わせた。
美代も良美も黙ったままだった。
静寂の病室の中で、聖母の唱えが始まった。
「生きながらえて下さい、生きながらえて下さい、生きながらえて下さい」
繰り返される願い。
切なる願い。
だがその本質は、あの頃下した結論で正しかったのだろうか。
男性の何を願って唱え続けられているものなのだろうか。
やがて経が終わり、女性の顔にはぞっとする程柔らかな微笑みが灯った。
ずっと昔に消えたはずの悪寒の虫が、身体を這いまわった。