美代(2)
良美のベッドは入ってすぐ左側に位置している。
良美から見て左のベッド。そこに寝そべる一人の男性と、見守るように傍に座る女性。
どちらも年齢は五十後半か、六十前半ほど。パッと見は熟年夫婦といった所だ。
毛根のほとんどない坊主頭の男性は、いつ見てもベッドに寝そべり目を閉じている。口は少しばかり空いているが、その口が動き言葉を発している所を見た事はなかった。
傍にいる女性は、真っ白な頭髪を後ろに束ね、男性の横で静かに座っている。
穏やかな姿だった。男性を見つめる姿は聖母のようで、見ているだけで全てが凪のように落ち着いてしまうような神秘性すらあった。
彼女もまた、ただ静かに男性を見つめるだけで、たまに掌を合わせ何かを唱えている仕草を見せる時もあったが、男性に話しかけたりする様子はなかった。
美代が初めて病室に訪れてから、彼らの姿は毎日そこにあった。
「ねえ、隣の人、重い病気なのかな?」
良美が外の散歩が出来るようになった時、美代は思わず尋ねた。他人の病状を探るなんて不謹慎かとも思ったが、ちょっとした雑談程度のつもりで問いかけた。
「分かんない。けど良くはなさそうだね」
「喋ったり、起きたりしてる事はあるの?」
「ううん、全然。私がいてる時にはそんな様子見たことない」
「そっか。奥さんも大変だろうね」
「奥さん? あ、いつも横にいる人?」
「そう。毎日来てるんでしょ。心配なんだろうね」
「だろうね」
結局、二人の関係性やら病状はこちらの想像で創り上げるしかなく、詳しい事は分からなかった。ただそれ以上踏み込むつもりもなかったので、彼らの事について話題する事はそれからしなかった。
程なくして良美は退院した。
退院する瞬間に立ち会う事は出来なかったが、登校してきた彼女はすっかり元通りだった。
「あのさ」
部活終わり。帰りの電車の中、良美が唐突に切り出した。
「あの二人覚えてる?」
何の事を言っているのか、美代はすぐに理解し頷いた。
「退院する時さ、ちょっとだけ挨拶したんだ。奥さんの方」
「あ、そうなんだ」
「でね、その時奥さん、いつもみたいに手合してたんだ」
美代も何度かその姿を見た事はあった。真摯に願いを届けるような姿が印象的だった。
「すんごい小っちゃい声だったんだけどね、聞こえたんだ」
「聞こえた?」
「うん。唱えてる内容」
何か、不快な怖気が背に生じ始めた。その先を聞いてはいけないといった警告が、背中からぞわぞわと身体を這っていく。
「生きながらえて下さいって」
「え?」
「ずっと、そう言ってたの。生きながらえて下さい、生きながらえて下さいって」
「ふーん……」
すうっと這いまわる悪寒の虫が消えていく。
「なーんだ。良かった」
「ん?」
「なんか、実はすんごい怖い事でも言ってるのかと思った。死んでくださいとか」
「あ、それ私も思ってた。だからそれ聞いた時安心したんだ」
「何よ! うーわ、よしみん。それ分かってて私の事怖がらせようとしたんだ! いじわるー!」
「へっへー」
良美の思わせぶりな語り口調にすっかり騙されてしまった。
美代の頭の中で聖母の微笑みがうっすらと浮かんだ。




