【環を司る鈴の音】8「思い出作り」
彼が森に来てから、季節が一つ巡った。暖かい春から夏を経て、秋を見届けて冬を越えた。そうして春を迎え――あともう少しで、一年になろうとする頃だ。私は思い出したかのように、それの存在が気になった。
太陽が真上に来る時間帯。家の掃除と昼食が終わった後に、私は彼に話しかけた。
『遊夢さん。その――鈴、でしたっけ。それは一体何なのでしょう?』
「何って――何……?」
それは、彼が異世界より持ち込んだ。小さな音を鳴らす道具。今や私の名前にもなっている、金属製の器物について。
彼は自身のポケットを探り、鈴を取り出す。赤い糸に繋がれた、二個の小さな球体。それぞれの球体の中央には変わった鍵穴のような空洞が、音を鳴らすための構造なのだろうか。指の動きに揺られて、チリンチリンと音が鳴る。響き渡る澄んだ音は、私が好きなものの一つでもあった。
「鈴は、こんな感じで揺らすと音が鳴る道具だ。神社や寺――神様を祀ってる場所か。そういう所には、もっと大きな鈴があったりする」
これくらいの大きさだったような、と。手で円を描く遊夢さん。彼が描くサイズの鈴を想像して――それならば、きっと良い大きな音が鳴るのだろうと納得した。
彼は言葉を選びながら、鈴の説明を続けている。
「音が鳴る道具ではあるんだけど、これが楽器として使われてるイメージは無かったな。多分、家の鍵とかに付けて落とし物に気付きやすくするとか、単なるお洒落として付けるとか、そういう使われ方をしてると思う」
『でも遊夢さんは、鈴を単体で持ってらっしゃいますね? お洒落でしょうか』
「どう、なんだろう」
説明を聞いて、相槌を打つ。遊夢さんが考えて、『記憶がないから』で話が終わる。これまでの生活で度々あった、異世界の話の流れだ。
今回もその例に漏れず、私の疑問に彼は頭を捻っている。
「鈴を見てもどこかに装備したいとは思わないから、お洒落では無いと思う。死ぬ前に持ってたんだろうなとは思うけど、詳しいことは分からない」
鈴を見つめて、何やら思案している。けれども言葉以上の所感はないようで。しばらく唸ったあと、「こんなところだな」と話を締め括った。
私は相槌を打って、今聞いた話を反芻する。彼にとって鈴はただの道具で、特別なものではなくて、彼個人としても思い入れのある道具ではないらしい。
『遊夢さんが持ってきているのは、その鈴と元々着ていた服だけでしたっけ』
「他のものは無かったな。財布とかスマホとか、あってもおかしくないと思うんだけど」
すまほ。偶に彼の口から出てくる、通信用の魔道具だったか。どうやら、この世界に持ってこれたものと持ってこれないものがあったらしい。
彼の記憶が無い以上推測でしかないが、考えられるとすれば――。
『少し、鈴をお借り出来ますか?』
「いいよ。ほら」
手を差し出すと、そっと鈴が乗せられる。手の上になった鈴を両手で包んで、意識を集中させた。
神による、人間を超えた魔力への適性。それを用いて、この鈴が特別な魔道具であるかどうかを調べるためだ。
私自身の神経、魔力を巡らせ、鈴の一粒に至るまでを検査する。検査を阻害するような動きは見られない。鈴のどこかに魔力が集まっているような痕跡もない。この鈴が、何かを集めているような動きも、鈴の『奥』から誰かが覗いているような感覚も、何一つとして存在しなかった。
それは、つまり。
『普通の鈴、ですね。てっきり、冥界の神様が与えた魔道具かと思いましたが、そういった感覚はありません』
私が調べる限りは、この鈴は彼の認識通りの、どこにでもある器物であるということ。神である私が調べて何もないのであれば、この鈴にはきっと何も仕掛けられてないのであろう。
何かしらの仕掛けがあったとして、それを見抜けるのは私以上の神でしか成しえない。
「ああ、確かにそういう可能性もあったのか……気付かなかった」
『実際は何にもないようですけれどね。もしかしたら、他の神様なら分かるかもしれませんが』
「鈴音が調べて何もないなら、多分何もないって」
遊夢さんからは、あくまでこちらを気遣うような気配しかしない。鈴の正体などには一切関心がないようであった。
どちらにせよ、これでやるべきことは終わったはずだ。彼に鈴を返そうとして――一つ、思いつく。
『遊夢さん。この鈴、少し加工しても?』
「いいぞ」
『ありがとうございます。少々お待ち下さいね?』
許可を貰って、手元の鈴へ意識を集中する。使う力は【輪廻】。私だけに許された、特別な力。本来の使い方とは些か異なる用途になるが……力そのものは十全に発揮出来るだろう。
この力を使うのは、久しぶりだ。自身の心臓に意識を集中して、それを探る。――あった。長らく使っていなかったその力は、手足のように行使出来る。
【輪廻】は循環の力。本来は領域内――『輪廻の森』の生命を管理する力だが、それを限定的に利用する。使う魔力は私のもの。二つある鈴の内の片方に集中し、その中に自身の魔力を注入、循環させる。
鈴の一つが、赤い光を放ち始める。私の魔力が、赤く輝いていた。
『そうだ』
鈴の中を循環する魔力と、私との間で小さな繋がりを作成する。その小さな繋がりがある限り――私が生きている限り、この鈴が輝き続けるように。
手を開いて、遊夢さんに鈴を見せつける。彼は赤く輝く鈴をまじまじと見つめた。
「……魔法か?」
『いいえ、私だけの特別な力です。さ、遊夢さんの分も』
手を、と呼び掛け手を差し出す。意図を察した彼は、ゆっくりと手を重ねてきた。二つの手が触れ合う。こういう時はいつも、彼は明後日の方向を向いている。
彼が視線を逸らすのは、単純に照れ臭いからかもしれない。そう思うようになったのは最近で、そうであれば私としては――はて、私としてはどうなのだろう。胸の内が温かくなることを感じながら、言語化しにくい感情について思いを馳せる。
それも一瞬。何も、彼と手を繋ぎたくて促した訳ではない。
『それでは、失礼します』
告げて、彼の手を握り込む。力を入れすぎず、あくまで触れ合う面積が広くなるようにするために。
少し遅れて、手が握り返される。私の手は、汗ばんではいないだろうか。
触れた手から、彼の魔力を拝借する。あとは、自分用に行った加工と同じ手順だ。彼の魔力を循環させ、循環する魔力と彼自身を紐づける。これで、彼が生きている限りは鈴に魔力が巡り続けることとなるだろう。
鈴を持った手を広げる。そこにあるのは二つの鈴。環司鈴音の魔力を廻す赤い鈴と、青原遊夢の魔力を廻す青い鈴。
加工されたそれを、遊夢さんへ。
『私と、貴方の魔力を込めました。貴方の魔力は、青いみたいです』
「ありがとう。……魔力に色ってあるんだな」
私から受け取った鈴を、凝視している。赤と青に輝くそれぞれの鈴を見比べて、音を鳴らす。チリンチリンと、加工前と変わらない音が響く。私が弄ったのは外見だけであり、機能としては普通の鈴と変わらない。
「使い勝手は普通だな?」
『ええ。元々の音が、私は好きですから』
そうかと呟きながら、彼は鈴をじいっと見つめ続けている。気に入ってくれたのなら、私も嬉しい。
集中している彼の様子を眺めながら、声には出さずにそう思う。
――そろそろ、鈴を弄ってから十分ほど経つ頃だろうか。
遊夢さんは時折「あー」や「おおう」などと呟きながら、視線は一度も鈴から動かしていない。本当に、そこまで気に入ってくれたのだろうか。
嬉しい気持ちと、気恥ずかしいような気持ちを抱えて、私は席から離れる。水でも持って、一息入れるべきだろうと思ってのことだ。
彼に背を向けて、水を取りに行く。
「……鈴音の気配だ。ちょっと安心するなぁ」
ぼそりと呟かれる声を聞きながら、私は早足で歩いて行った。