【環を司る鈴の音】7「過去は忘れた」
『あなたはどうして、ここに転生してきたのですか?』
自分の名前を呼ばれることにもすっかり慣れてきた頃。それはつまり、『輪廻の森』で彼と過ごすことにある程度慣れてきた頃。森の生活が落ち着いてきたからか、私の中で気になることが出来た。
それを素直に彼へ伝える。すると、彼は何かを思い出すように額に皺を寄せた。
「どうしてって言っても……。なんだろ。えーと、変な神様に、よく分からない記念に転生させられたっていうのは、この前言ったよな?」
『はい。あなたはどこかの世界で死に、『冥界』を通ってこの世界に降り立った。それは以前……初めて会った時に聞きました』
『冥界』に居る神様がどんな方なのかは分からないが、随分と雑な理由で人を転生させたものだ。
「そうそう。だから、転生させられて鈴音に出会うまで、転生先がここだってことも知らなかったんだよ」
「未だに、なんであんなことで飛ばされたのが分からないんだけど」と、苦笑しながら彼は箒を動かしていた手を止めた。今は、小屋の掃除の最中だった。
私もハタキを持っていた手を止めて、彼への質問を続ける。
彼がここに落ちてきてからのことなら、私は誰よりも知っている自信があるが、ここに来る前のことは全く分からない。
強いて分かることがあるとすれば、魔法の存在が一般的でないことと、争いとは縁遠い世界であったことくらいだ。
『……では、あなたはどうして亡くなったのですか?』
……争いと縁遠い世界で、こんな若者が命を落とす。
何か病気を患ったのだろうか。不幸にも馬車に跳ねられたのだろうか。或いは、天寿を全うしたのちに、若返って転生したのか。
今までは気にも留めなかった原因が、ふと気になってしまう。
「死因。死因、か……」
低い声で呟いたあと、何かを悩むようにうんうんと唸る。それは、死を思い出して苦しんでいるというよりは――何かを思い出そうとしているように見受けられた。
『ゆ、遊夢さん?』
「いや……その」
照れ隠しでもするように頬を掻く。死に対しての恐怖心らしきものが一切見えない彼の仕草は、不気味さすら感じるものだった。
……彼から放たれる、衝撃の一言が来るまでは。
「実は俺……ここに来るまでの記憶が殆ど無いんだよ」
鈴音に問われて、思い返す。
あの空間――『冥界』に落ちた時には、俺の記憶は既にある程度抜け落ちていた。
覚えていたのは、自分の名前と年齢。それと、学生であったこととゲームが好きだったことくらいか。
住んでいた街、家族の名前、血液型や誕生日など、その他諸々の情報は抜け落ちており、その中には俺の死因も含まれている。
確実に『死んだ』という実感はあるのだが、そこまで。
……記憶は欠落しているものの、知識はある程度残っている。だから、俺の思考はどちらかと言えば現代日本に寄っているし、魔法の理解もゲーム的に認識していることで為している。
記憶というセーブデータは失ったが、知識というシステムデータは残っている。今の俺を表すとすれば、こういった言葉が当てはまるだろう。
『記憶喪失……ですか』
「ああ。知識は残ってるんだけど、記憶が無い。なんて言うんだろ……」
あー、と呟き間を繋いでから、もう一度彼女の瞳を見る。
掃除の手を完全に止めた彼女は、少しだけ心配そうに、こちらを見つめていた。
「例えば、ゲーム――特定の遊びのやり方とか、どうやって楽しむのかとかの『器』はあるんだ。けど、誰と遊んだか、どこで遊んだかっていう『中身』が無い。そんな感覚」
知識までなくなっていたら、きっと俺は、俺と呼べないくらいに性格や性質が変わっていたに違いない。
好きだったものや、何と無くの生活リズム。そういうものを覚えているお陰で、俺の思う範囲で、俺らしく在れているのだから。
…………しかし。
「死因、か」
あの世界で、俺は比較的常識的な人間であったように思う。ゲーム趣味なんて誰もが持ってたはずだし、それ以上に逸脱したモノは持っていなかったはずだ。
そんな俺が、どうして死んだのか。俺にとって、『死んだ』という事実だけがあれば良いと思っていたのだが……そう問われると、確かに少しは気になってくる。
『遊夢さん?』
寿命か、病気か、自殺か、他殺か。事故という線もある。
他殺だった場合、俺は誰かの怨みを買って殺されたということになるのだが……その理由を思い出せそうな気配もない。喧嘩を全くしてこなかった訳ではない思うのだが、肝心の内容も頻度も理由も分からないのであれば、どうしようもない。
自殺の場合も、そうなるに至った過程が必要になる。つまり、これもまた、誰かに恨まれたり、あるいは誰かの期待に潰れてしまったりといった具合の、何かが。
……こちらにも、これといった心当たりは――――。
『遊夢さん!』
「うわっ!」
大声をあげられて、箒を掴んだまま飛び退き、ほんの一瞬だけ周囲の気配を探る。
彼女の表情を見て、これが警鐘ではないただの呼び掛けであることを理解した俺は、ほっとため息を吐いた。
「悪い、ちょっと考え事してた」
『大丈夫ですか? 少し、表情が険しかったですけれど……』
「……死因について、考えてた。けど、もう大丈夫だ。考えても分からないし、多分事故死だろ」
彼女の心配を覆うつもりで、矢継ぎ早に言葉を続ける。
一番最初。あの変な神様に会う寸前と、結論は大して変わらない。
「気にならないといえば嘘になるけど。今ここに居る方が大事だからな」
『……そうですね。遊夢さんがそう言うのであれば、きっとそれで良いのでしょう』
死因なんて、どうだっていい。
何故なら俺は、今ここで鈴音と生きているから。必要なのは未来であって、過去は引き摺ってまで考えなければいけないことではない。
幸い、これ以上鈴音からの追及は無かった。『私が分かる事情でも無さそうですし』と呟きながら、ハタキを握り直す彼女を見て、俺も箒を握り直す。そして、中断していた掃除に取り掛かり、その日を何事もなく終えた。