【環を司る鈴の音】5「鈴の音は胸に響く」
『それは…?』
「見たことないのか? これは鈴っていって、振ると音が鳴るんだ」
そう言いつつ、彼は鈴と鈴を繋いでいる糸を持つと、軽く腕を振る。すると、上下に動く鈴から、チリンチリンという心地良い音が聞こえてきた。
『───』
知識として存在は知っていたが、実際に見て、音を聞くと実感する。これは良いものだ。とても澄んでいて、聞いていると癒やされるような感覚がする。
目を瞑って音を聞く。生まれて初めて実際に聞いた鈴の音を、私はとても気に入っていた。
「……っ」
音に身を委ねていると、目の前で息を飲む音が聞こえてきた。不思議に思って目を開けると、ほんの少しだけ、彼が横に視線を逸らしている。彼の視線を追ってみるものの、その視線の先には何も無かった。
『何かあったのですか?』
「い、いや? そういう訳じゃない」
言葉を詰まらせながらそう言った彼は、ゆっくりと視線を私に向けてくる。時たま、今のように私と話している最中に私から視線を逸らす彼の行動の理由は、いまだに分からない。
「それで。どうだった? 初めて聞いた鈴の音は」
『……素晴らしかったです。人は、こんな小さな物にも美しさを込めることが出来たのですね』
「……」
何か思うところがあったのか、僅かに顔を顰める彼──青原遊夢さん。彼はすぐに真顔になると、またもや木の棒を滑らせて、文字を綴っていった。
「鈴。普通に読むと「すず」で、音読みは「りん」だったな。……ん? りんってどこかで聞き覚えのあるフレーズ……」
ぶつぶつと呟きながら、彼は先程書いた「環司」を見る。彼によって書かれたそれは、私の名前の一部になるはずの物だ。
それを見た瞬間、彼ははっと目を見開いて、何の迷いもなく、「鈴音」と書き記した。
「決まったぞ、神様」
手を止めて、彼は私に読めるように「環司 鈴音」という文字を地面に書いて、読むように促してくる。
私は直ぐにそれを読み上げようとはせず、少しの間考えた。思考の内容は至極単純。この文字を、この世界に唯一存在する『私』の証明を初めて認めるのは、私で良いのかという疑問。
私の知識が正しいのならば、名付けた子供の名前を最初に呼ぶのは、名付け親であるべきなのだ。私の彼の関係性は、当然子供と親のそれではないけれど。
でも、名前は私だけでは絶対に出来なかったものだから。そして名前とは、誰かに存在を認められることで初めて意味を為すものだから。私の名前を初めて呼ぶのは、私ではなく、彼が相応しいと思うのだ。
「よ、読めないのか?」
沈黙している私が、文字を読めずに困っているように見えたのだろう。少し困惑した声が、私の前から聞こえてきた。
『……そうですね、私には読めません。初めては、誰かに呼ばれたいです。ですから、呼んでくれますか? 私の名前を』
「そ、そういうことなら。神様、君の名前は……」
若干緊張した面持ちで、彼がそっと口を開く。囁くような小さな声で、それでいて優しく。意識して聞いている私以外には誰も聞こえないように、彼はその名を、呼んでくれた。
「鈴音、環司鈴音だ」
その瞬間に、鈴音という私はこの世界に姿を表した。ただの神様では無く、まるで一人の人間として生まれることを許されたような──そんな感動を、覚えた。
そして、鈴音という私を認めてくれたのが、目の前にいる彼だと認識して。その事実が、なぜだか無性に嬉しくて。
私は小さく笑みを浮かべて、まず一言。私の名前を復唱した。
『鈴音』
環を司る、鈴の音。
一般的な人間とは違う形態ではあるが、それが私の名前だ。その名前が、私を人だと認めてくれた。
『いい名前ですね』
姓となる「環司」は、私が神としてこの森で生まれたことの証明。私がこの、『輪廻の森』で生まれ過ごし、それと同時に【輪廻】の力を持つ者である証。
名となる「鈴音」は、私が人として好きな物があることの証明。私が彼と出会い、その鈴を見て、それに心奪われた者である証。
そして「環司鈴音」という名前は、彼が私の情報を元に考えてくれた、「私を構成する私以外の存在」を肯定す証なのだ。
だから最後に、お礼を兼ねて、その名前を呼ぶ。異世界からの転生者。この世界において、私以外は誰も知らない、彼の名前を。
『ありがとうございます、遊夢さん』
「どういたしまして。改めて、これから宜しく。鈴音」
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翌日。
晴れやかな青空が広がる森の中で、名前を得た神──鈴音は、笑みを浮かべながら遊夢の手を引いていた。
『こちらですよ、遊夢さん』
「ひ、引っ張らないでくれって……」
彼女らの目的は、食事となる木の実や肉の確保。『輪廻の森』に住まう生物たちは強く、危険度も周辺の平原に比べれば格段に上であるが、それは問題にならない。
何故ならば、ここに居るのは神である。幾ら、足手まといとなる人間を連れていたとしても、普通の魔物に遅れを取るような存在ではない。
彼女の実力をある程度分かっている遊夢は、そのことに関する心配はしていない。自分が足を引っ張っているという事実は少なからず後ろめたさを感じさせられるが、それよりも何も出来ない方が彼にとっては嫌なのだ。幸い、本当に軽くであれば魔法も扱えるし、荷物持ちくらいなら出来る。
そう、ポジディブな気持ちな気持ちで彼女の採集に同行した彼であるが、今は少し、困惑していた。
何故なら、今日は彼女の機嫌が異様に良いのである。
鼻歌──適当に言っているのか、音階はバラバラだが、とにかく鼻歌らしきものを歌い、頻繁に遊夢の名前を呼んで、遊夢に自分の名前を呼ぶように頼んでいる。
まさに有頂天。ルンルン気分と言えるだろう。魔物が顔を覗かせた瞬間に、鼻歌を歌ったまま魔法で威嚇し追い返す様は、恐怖すら感じられる。
常に繋がれている手と、少女らしい笑顔を振りまく鈴音を交互に見て、遊夢は何とも言えない気持ちになる。楽しそうな彼女を見ると、素直にこちらも嬉しくなると同時に、いつも以上に落ち着かなくなって、彼女の顔を直視出来ない。
顔を直視出来ないのはいつもの事であるが……いつもとは何かが違うと、自分の中の何かが囁いている気がする。
『遊夢さん?』
気が付くと、鈴音が不安げに見つめていた。脊髄反射で、遊夢はさっと顔を逸らす。
『大丈夫ですか? 顔、赤いですよ?』
「だ、大丈夫だ! ……行こう」
大丈夫だ、と言っても簡単には引き下がらない。そんな彼女の性格を寝床の一件で思い知っている遊夢は、多少無理矢理に彼女の手を引いて、歩き出した。
未だ脳内の大半を占める彼女のことを意識しないように意識している遊夢には気づく余裕が無かったが、彼が彼女の手を引いてから、彼女の鼻歌も、笑い声も、森の中には響かなくなっていた。
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鼓動がうるさい。話している時、手を握っている時、夜に眠る時。果ては、顔を合していない時ですらも、ふと、頭の中があの人で満たされていく。
明らかな異常だ。どうしようもなく病気だ。
そうと頭が分かっていても、中々あの人のことを考えることを止められない。
感じたことのない不整脈。ドクドクと爆弾のように脈打つ心臓。一回鼓動が頭に響く度に、あの人の笑顔が脳髄に打ち付けられる。それはとても、心地良い衝撃だった。
……はて、この鼓動の正体は、一体何なのだろう?
俺/私がそれを知るのは、もっと先の話である。