【環を司る鈴の音】3「魔法鍛錬、失敗」
「───はっ!」
少し離れて、彼───異世界からの転生者の修行を見守る。
家の中で魔法について色々教えてみたものの、実際にやるとなると勝手が違うのだろう。静かに腕を前に差し出したり、勢いよく手を突き出したりしているものの、彼の身体から魔力が放出される様子は見受けられない。
「………」
彼の修行を見守りながらも、私は私で魔法を使っていた。彼の見本になれれば良いと思い、多種多様な魔法を起動して、木々へ叩きつけているのである。
『衝撃波のような形の《ファイア》、《ウォーター》、《ウィンド》、《マッド》、《ホーリー》、《ダーク》』
一つ一つ唱えながら、軽々と魔法を掌から放ち木を揺らす。木がへし折れてしまわないように加減はしてある為に勢いは弱い。その上誤って燃やしたりしないように属性付与魔法しか使っていないが、今の彼に見せるのはこの程度で問題ないだろう。
「凄い……本当に魔法だ」
『金属の衝撃波、というものはありません。金属魔法で作り出せるのは───』
《ファイア》などと同じように考えれば、金属属性に《メタル》という魔法があっても良いはずである。けれども、ない。同じ固体でも、土はまだ液体のように放出するイメージが持てるのだが、液体のような金属は中々想像し難い。
だから代わりに、金属の魔法ではこういうモノが作りやすくなっている。それを分かりやすく伝えるために、私は一振りの剣を作り上げた。
装飾なんてない、無骨な金属の西洋剣。長剣にも短剣にもなれないであろう微妙な長さの、不出来な剣。今までとは違い、事象具現魔法で作り上げたそれは本物の剣のような重量感を持っているものの、持ち手の部分まで金属であるために、とても冷たい。
『───《金の剣》のような、武器ですね。当然、炎魔法などでも作れますが、重量感などで金属魔法に勝るものは少ないでしょう』
剣を逆手に持って、地面に突き刺す。ある程度剣が地面に刺さる感触を感じ取ってから、ゆっくりと手を離す。すると、剣は地面に突き刺さったまま動かなくなった。
『この剣は、事象具現魔法で作り上げた剣です。抜いてみて下さい』
手渡しでも良かったのかもしれないが、剣を落として足を切ったら大問題だ。
彼は数秒間剣を見つめると、ゆっくりと歩み寄って柄を握った。
「……冷たい」
呟きと共に、彼の手に力が込められる。そしてゆっくりと、剣の重みを手に馴染ませるような動きで、彼は剣を引き抜いた。
『どうですか?本物の剣と、ほとんど変わりないでしょう?』
「……俺は剣を握ったことがないので、それについては分かりませんが。少なくとも、この剣はちゃんと金属ですね」
両手で剣を持って、軽く振る彼の姿は紛れもなく素人のもの。剣を握ったことがないという彼の発言は、恐らく真実なのだろう。
大切なことは、彼がこの剣を「金属である」と認識したこと。今まで彼が見ていた魔法とは違い、この剣には、確かな重みがある。人間の技術を結集して造られる武器には程遠い作品ではあるだろうが、魔法は「使い捨てられる」というメリットがある。
その辺りの話は、いつかの機会にすることにして。
一度深呼吸して、彼の瞳を見つめる。
彼の瞳からは、今まで顔を合わせてきたような村人たちとは違う雰囲気が感じられた。
───一言で言えば、温い。
戦いを知らない目、人の死なんて意識したことすらないような目。彼は一体、どんな世界で暮らしていたのだろう。
「…」
さ、っと目を逸らす彼の様子を訝しみながらも、空を見上げる。森の中なので、詳しくは分からないが……空は薄暗くなっていて、あと一時間もすれば完全に夜になるだろう。
『……今日は、このくらいにしておきましょう』
「分かりました」
私がそう言うと、彼は不服そうな顔をしながらも頷いた。
『それでは、ごはんを食べましょう。続きはまた明日、です』
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人など居らぬ神の森。人の形をとるものは、少女のような女神と少年の二人きり。
夜の帳は既に下りきっている。人の姿を取り、人の生活を送ろうとしている神と人に許される行動は、ただ寝静まるのみ───だが。
「嫌だ!」
『駄目です!』
未だ家にはぼんやりと蝋燭の灯りが揺らめき、月明かりが部屋の中を照らしている。その光を浴びながら、二人の少年少女が声を荒らげて口論していた。
『眠って下さい!』
「駄目だ!」
言い争いは数分前から。神が少年に「眠れ」と呼びかけ、少年はそれを拒否している。本来は少年にこそ必要な睡眠を、なぜ彼は拒むのか。理由は、彼にとっては単純明快なものだった。
『なんで駄目なんですか!?』
「何度も言ってるだろ!?一緒のベッドで寝るなんて、絶対に嫌だからな!」
少年にとっては───というより、健全な少年少女であれば普通の思考であろう。異性と同じベッドで眠るなど、考えられない。
しかし、神にとってはそうではない。元より自身のことを男性だの女性だのという区別すらしていないのだ。女性の形をしている神には、確かに女性としての機能はあるが……それだけである。
言ってしまえば。女性と寝ることが恥ずかしい彼と、自身を「女性」として認識していない神の差だ。それが、この言い争いを生み出しているのである。
現在、少年は顔を真っ赤にして。神は訳が分からないといった様子で言い合いを続けている。話は未だ平行線。妥協案として、「少年が床で眠る」「神が床で眠る」というものも一応話には出たものの、それは互いから断固拒否された。人間が床で眠れば風邪を引く、家の持ち主がベッドで眠るべき、というのが二人の言い分だ。
『このままでは、埒が明きませんね』
「だから、俺は床で寝るって何回も……!」
言い争っているからか、彼の口調は先程までのものとは違い、少し乱暴になっている。こちらが、彼本来の口調なのだろう。
その変化を機敏に感じ取りながら、神はどういった行動を起こそうかと考える。このまま話しても埒が明きそうもなく、何時間も話していると夜が明けてしまう。神としては問題ないが、彼にとってはそうではない。
『───仕方ありません。……暴れないでくださいね?』
「?何を言って───」
《脚力強化》を起動した神は、部屋の床や置物を傷つけないように気をつけながら彼の背後に回りこむ。戦闘などしたこともなく、警戒心すら抱いていなかった少年は、そのいきなりの高速移動を目で追うことすら出来ずに、一瞬どころか一秒ほど遅れて振り返ろうとする。
「───うわ!?」
後ずさるようにしながら振り返る少年の視界に入ったのは、彼へ飛びかかる神の姿。その行動を予期していなかった少年に、彼女の行動を阻止する術があるはずもない。
呆気無く押し倒されると同時に、暴れられないように強く───人間の身体が悲鳴を上げない範囲で強く、抱きしめられる。
『捕まえましたよ』
「……っ!?は、離して───」
押し倒されている現状を理解した少年は直ぐに抜けだそうとするが、しっかりと抱きしめられている為に上手く藻掻くことが出来ない。その理由が、物理的な拘束力と異性との密着というものを嫌でも意識してしまうことの二つ……それも、主に後者であることは言うまでもない。
時間にすると、僅か数秒。羞恥で顔を真っ赤にした少年は、上ずった声で神に訴えかけた。
「……わ、分かったから。一緒に寝るから、抱きつくのは止めてくれ……!」
少年の絞り出したような声を聞いた神は、ゆっくりと彼を抱きしめている腕を離す。けれども身体は未だに覆いかぶさったまま、瞳はじっと彼の表情を映していた。
「……え、と」
『────』
赤面したまま、少年は神から目を背ける。それを許さぬとでも言うように、彼女は両手で彼の頬に手を添えて、こちらに向かせた。
『───』
「あ、あの…。なん、ですか?」
二人の間に微妙な空気が流れていることも気にすることなく、神は彼の瞳を見続けて。
『───やっぱり、過剰な程温かい目ですね』
それだけ言うと、彼の隣に転がって、神は静かに目を瞑る。
数秒静かな時間が続くと、神の穏やかな寝息が少年の耳に入ってきた。
「…………。って、もう寝たのか」
彼がその事実を認識したのは、寝息が聞こえて十秒ほど経った時のこと。押し倒され、抱きつかれた時に感じた感触や自身の顔をじっと見つめていた彼女の顔が頭から離れず、少しの間放心状態に陥っていたらしい。
彼女に倣い、自分も直ぐに眠ろうとするが───。
「───無理、だろ」
人が居ることを感じさせられる、僅かなベッドのしなり。
その人が女性だと認識させられる、女性特有の匂い。
そして、彼女が今無防備な状態にあると分かってしまう、穏やかな寝息。
気にするな、というのが無理な話だろう。少なくとも、今まで深夜に起きてゲームをすることが普通であった少年にとって、今の時間帯はまだまだ起床時間の内に入っている。疲れから眠ろうとしても、今日したことと言えば、気絶から目覚めて講義を聞いて、結果の出なかった集中をしていた程度だ。肉体労働でもなし、眠くなるような要素は見当たらない。
加えて隣りにいる無防備な女神の存在。これで寝られる方がどうかしている、と少年は考えていた。
「………練習するか」
前世から持ってくることが出来た道具は、身に帯びていた服とポケットに入っていた鈴程度。暇つぶしの道具が無いことを知った少年は、小さく溜息を吐いてからベッドを離れ、家から出る。
そして、ゆっくりと家のドアを閉めると、一歩前に進んでからその場に座り込んだ。
「───」
ゆっくりと息を吸って、自身が使いたい事象のイメージを構築する。
まずは手始めに、と。水の魔法を発現しようと、彼は試みていた。水は身近なものであり、火と違って森が燃える心配もなく、風と比較して分かりやすいからである。
「とりあえず、は」
魔法といえば、攻撃するための道具。
そう認識していた彼であるが、その考えを出来るだけ胸の奥に押し込む。昼の修行ではそれを意識していて失敗したからだ。それが直接の原因かどうかまでは分からないが、留意しておくに越したことはない。
「……と、なると」
楽しげに笑みを浮かべて、彼は一人思考を続ける。その成果は、後日語ることにしよう。
とにかく、一夜まるまる思考に費やしていた彼は少しずつ疲弊し、朝日が昇る頃にゆっくりと意識を手放していった。
魔力溢れた世界であろうとも、即座に魔法が使えるとは限りません。
腕が急に増えても、簡単には扱えないようなものです。