【環を司る鈴の音】2「魔法入門~座学編~」
『落ち着きましたか?』
「…あ、はい」
さっき助けた少年の意識が戻ったので、神は水を手渡す。
彼はそれを遠慮しながらも口へ運び、「ふぅ」と一息吐いた。
その後に、少し不器用な笑顔でお礼を言ってきた。
「ありがとうございます」
『いえ、当然のことをしたまでです』
それに普通の返事をした後、神は少年の姿を観察した。
一通り見て抱いた感想は、見慣れない格好だ、というものである。
一言で言うなら、黒い。
闇に潜む為なのか、それとも黒が好きなのか。
だが、それはさして問題ではない。
問題なのは、その服のデザインが全く見慣れないものだったと言うことである。
最近人とマトモに関わっていないとはいえ、遠巻きになら何度も人間を見ているつもりの神だ。
それでも、彼のような格好をした人間は見たことがない。
『失礼ですが、その格好は…?』
「格好?普通の…なんて言ったっけ、これ」
少年は自分の姿を確認しながら、困ったように呟く。
喉まで出かかっている状態なのだろう。
彼は眉を潜めて何やら考え込み、やっとのことで神の声に返答した。
「あ、そうそう。パーカーですね、これは」
『ぱー、かー?』
しかし、それは神の知る名前ではない。
当然だ。パーカーという衣類はこの世界には存在しないのだから。
(ぱーかー、ぱーかー。えっと…そんなモノ、ありましたっけ?)
しかし神はそれに気づかないまま、暫く熟考する。
そのまま、時間だけが過ぎていくこととなった。
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───そう言えば、どこだここ?
ふと、そんな疑問が沸き上がってきた。
変な少女に転生させられたことは覚えている。
だが、そこからが思い浮かばない。
どうしてここに居るのか。
目の前の少女は誰なのか。
ついでにいえば、体の感覚が少し変なのも気にかかる。
少女に話を聞こうかと思ったが、彼女は何やら考えている様子なので口を出しにくい。
『ぱーかー、ぱー、かー?』
「───っ」
それに、だ。
首を傾げて熟考している姿は───なんというか、非常に可愛らしく見える。
美しいともいうべきか。
とにかく、俺は彼女から目が離せなかった。
ありきたりな言葉で表現すると、とても絵になっている。
腰まで伸びた紅い髪は、血のように深い色合いであるにも関わらず、命そのもののような気高さを感じさせられる。
橙色の瞳は清く澄んでいて、人間のものではないと錯覚する程だ。その瞳には、きっと見る者の目を惹く魔力があるに違いない。
(魔力といえば…)
俺が転生した時、魔方陣のようなものに吸い込まれたのを思い出す。
やはりというか、魔力や魔法の概念は、実在したりするのだろうか。
(ステータス、ステータス……って、出るわけないか)
その発想をしてしまえば、自然とゲーマー思考になってしまう。
つい、「ステータス」と小声で呟いてしまった。
当然、ここがゲーム世界であるはずがないので、俺の言葉は意味を成さず、ただ虚空に消えていく。
それでいい。
俺のちょっとした馬鹿な行動は、誰にも聞かずに完結する。
…と思ってたのだが。
『ステータス?』
「───っ!?な、何でもないです!」
どうやら、少女に聞かれていたらしい。
彼女はただ純粋な瞳で俺を見つめて、そう問いかけてきた。
それが無性に恥ずかしい。
顔の熱が上がるのを感じながら、裏返った声で返答した。
『大丈夫ですか?顔、赤いですよ?』
「だ、大丈夫です。…えと、ここはどこですか?」
彼女の指が額に触れる。
単に気遣ってくれていることは分かるのだが、それでもこういうのには慣れていない。
少し後ろに下がってから、無理矢理話題を変えた。
それに顔をしかめながらも、彼女はそれに答えてくれる。
『ここは『輪廻の森』と言われています。王都から歩いて三日程の距離にある、秘境と呼ばれる場所ですね』
「??」
答えてくれたのだが───さっぱり分からない。
王都とか、森の名前とか。
まるでゲーム世界のステージ名だ。
『…説明が悪かったようですね。すみません』
「いえ、そんなことはないです。遠くから来たもので」
『遠く?』
異世界から来ました。
そう言えば早いのだが、言っても信じて貰えるか分からない。
異世界モノらしく、現地の人に召喚されたら話は早かったのだが、俺を転生させたのは神様。
しかも動機は「記念」ときた。これで信じろというのが無理な話である。
だがそれ以外に言えることもない。
「嘘っぽい話ですが…」と前置きを入れてから、俺はあの空間での出来事を話し始めた。
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結論から言えば、俺の話は全て信じられた。
『異世界からの転生、ですか。その知識ならあります。貴方はどこかの世界で死に、『冥界』で神様に転生させられた。これで大丈夫ですか?』
「は、はい。多分それで合ってます」
それどころか、転生のシステムを俺以上に理解しているらしく、俺が体験した出来事をそのまま、彼女の知識で整理していた。
そして確認が終わると、彼女は改めて俺に向き直り、
『では、この世界のことを教えましょう。私も世間には疎い者ですが、貴方に魔法を教えるくらいは出来ますので』
(ま、魔法!?)
そんな、心踊ることを口にした。
前の世界でお馴染みだった魔法。
実在しないと、下らないと吐き捨てられ、誰もが存在しないと思っていた魔法が、ここにはあるというのか。
たったそれだけで自分のテンションが上がるのを感じながらも、それを面に出さないように試みる。
けれど、彼女には筒抜けだったらしい。彼女は小さく微笑みながら、俺に呼び掛けた。
『魔法が珍しいみたいですね。最初はちょっとした説明から入りますが……宜しいですか?』
彼女のちょっとした動きと共に、紅い髪が揺れる。窓から光を受けているそれは、煌めいているようにも見えて。美しい彼女の表情とも相まり、とても眩しくて直視出来ない。
だから結果的に、ほんの少しだけ視線をずらして、俺は彼女へ頭を下げた。
「はい、お願いします」
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“───魔法。
昔では特異能力とまで言われていた稀有な力ではあったが、ここ180年で急速に発達し、世代が一つ変われば魔法の形まで変わるとされている。
魔法を大雑把に表現してしまうと、『現象を魔力で再現する能力』だ。中でも、“魔力を固め、形だけ現象に似せたモノ”を『属性付与魔法』。“現象をほぼ完全に再現したモノ”を『事象具現魔法』と、ここ30年は区別している。”
彼女の発する言葉を、脳内で反復する。『分からなかったら何回でも教えますよ』とは言ってくれたが、何回も言わせるのは申し訳無い。
ゲームと同じ感覚で、大事そうな所を頭に叩き込んでいく。
「あ、えっと。先生、回復魔法とかはあるんですか?」
『良い質問ですね。現象には、実際の特性とは違う特性──いわゆるイメージを持っているものがありますね?』
“炎なら、『燃える、熱い』という特性と『便利、攻撃』というイメージ。
水なら、『濡れる』という特性と、『欠かせない、炎の逆』というイメージ。
風なら、『吹く』という特性と、『どこにでもある、自然の産物』というイメージ。
金属なら、『作る』という特性と、『鋭い、無機質』というイメージ。
土なら、『飛び散る』という特性と、『柔らかい、有機質』というイメージ。
闇なら、『陰る』という特性と、『汚染、聖を汚す、破壊の象徴』というイメージ。
このように、属性の数だけ魔法には別の特性があり、物によってはそのイメージに準じた属性により、その特性を引き出すことがある。
一番メジャーなのは、やはり光属性の回復魔法だろう。光の特性は『照らす』であるが、抱かれているイメージは『癒し、魔を祓う、救済の象徴』というもの。対極を為す闇属性同様、光属性はイメージが魔法となることが多い。”
名前を聞いていないので、彼女のことは先生と呼ぶ。
俺が質問すると、先生は回復魔法について、ちょっとだけ回りくどいが教えてくれた。
これだけの情報があるなら、場合によっては──自分で魔法を作ることも、出来るのかもしれない。
『……こんなところ、ですかね?』
「ありがとうございました」
『こちらこそ。誰かにお礼を言われるなんて、久しぶりです』
一通り説明し終わったらしく、彼女は一息吐いて、椅子に座る。
顔は変わらず綺麗に笑っていて、彼女自身、教えることを楽しんでいるようだった。
「………魔法、か」
『使ってみますか?』
「出来ることなら、使ってみたい……です」
一回死んだ時に消えたらしい、様々な記憶。
血液型から親の名前まで忘れて、前世との繋がりが殆ど消えたものの、ゲームの記憶だけは──あの感覚、高揚感だけは、しっかりと覚えている。
それを味わいたい。魔法を使うことでやっと、俺はこの世界に入れる気がするのだ。
『そうですか。では、外に行きましょう』
教え子が向上心を見せているように見えるのだろう。この短い時間ですっかり先生としての目線が定着した彼女は心底嬉しそうに、俺の手を引いて外へ連れ出した。
今回の授業で出てきた『イメージ』は、あくまで一部です。
もし、炎を癒しの象徴だと心から思っていれば、炎属性の回復魔法を使うことだって出来ます。
本編のユートが使っているような《身体強化》系の魔法は、攻撃に回すなら炎、防御に回すなら水、加速に回すなら風と、中々に面倒な仕様になっているのですが、彼らの世代だと《身体強化》というカテゴリで括られているのであんまり問題ありません。